2021年6月18日金曜日

自分の総裁再選のために菅首相が仕掛けた社会実験(山田厚史氏)

 東京五輪パラ問題は、既に開催すべきか否かではなくて、観客を1万人規模にするのかそれとも5千人規模にするのかの問題にすり替えられた可能性があります。要するにいまや「仮に開催するとしたら無観客で」という選択肢はなくなりました。
 国会が閉会して突如そうなった裏には、菅首相が、国会では「沈黙」しながら裏では「観客を入れて開催」という方針を鮮明にしていたということがあります。
 国民に不人気な彼に取って、総裁に再選されるための唯一の可能性は「東京五輪で一発逆転」を果たすことであり、国民を熱狂させるためには「無観客開催はあり得ない(ましてや五輪中止はありえない)」のでした。
 海外から約8万人の関係者が来日し、国民が熱狂して人流が増えればコロナが拡大するのは火を見るよりも明らかだし、ましてデルタ株(インド型二重変異株)が今後急速に蔓延すればより大々的に感染が拡大します。
 厳密な言い方をするならば、それはやってみなければ分からない壮大な社会実験なのですが、菅氏は自分が総裁選に勝ち抜くためには、そんな危険はどうでもいいと考えている筈です。
 山田厚史氏の記事を紹介します。
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「五輪の力」は世論を変える? 菅首相が仕掛けた社会実験
                                    山田厚史 ダイヤモンドオンライン 2021.6.16
                                  ジャーナリスト
 東京五輪の開催まであと1カ月に迫るが、菅義偉首相は「開催する意義」を問われても、答えないままだ。
 本当のことを言えないからだろう。「私の政治生命がかかっている。東京五輪で一発逆転を狙っています」と答えれば、世間は「なるほど」と思うだろう。
 そうは言えないから、念仏のように「国民の命と健康を守り、安全安心な大会が実現できるように全力を……」と繰り返す。
 首相周辺から聞こえてくるのは「五輪が始まれば、世の中の気分は変わる」という淡い願望。熱狂し「感動をありがとう」と支持率がV字回復することだってある、と期待を寄せているらしい。
「ニッポン、チャチャチャで世論は変わるか?」
「開催の意義」、語らず答えず
成功した「時間切れ作戦」
 東京五輪は菅首相による社会実験だ。試されているのはわれわれ日本人の成熟度かもしれない。
 閣僚経験のある自民党議員はこう語る。
「広島、長野、北海道の国政選挙3連敗で明らかなように、このまま総選挙に突入すれば大敗する恐れがある。五輪を中止すれば、コロナ対策の失敗を認めたことになる。開催すれば、ナショナリズムが燃えて世論が変わるかもしれない。勝機はそこだけ。さまざまな不安には目をつむり、楽観的願望を頼りに突進する。第2次大戦末期にも似た展開です」
 コロナ禍が長引き生活不安などが鬱積する気分を、お祭りで発散させる。国民も気分が変わる刺激を求めている。開催してしまえば、ムードは一変する。日本人選手の活躍をメディアは汗と涙の物語で取り上げる。「ガンバレ、ニッポン」の渦が巻き起こる――そう思ってのことのようだ。
 政府のコロナ対策分科会や医療関係者らからも五輪開催への疑問が出されているにもかかわらず、首相は語らない、訴えない、答えないダンマリ戦術で押し通した
 医療関係者が悲鳴を上げようと、新聞が「反対社説」を掲げようと、無視。国会で何を聞かれようと、決まり文句を繰り返し、論議をはぐらかした。耳と口を閉ざし、時間切れに持ち込む。その作戦は成功したようにみえる。
G7で「世界への約束」に
IOCとタッグ組む首相
 英国・コーンウォールで開かれたG7サミットで首相は「難局を乗り越え日本から世界に発信したい」と東京五輪への決意を語った。開催は世界への約束となった。ここまで来れば、もう誰も止められない、と思っているに違いない。
 次の段取りは、東京・大阪などの緊急事態宣言を解除し、開催を前提に観客などの規模を決めることだ。
 分科会の尾身茂会長らによる「提言書」に待ったをかけていたのは、開催が動かない時点まで抑えるためだった。
 提言は「参考にします」といんぎん無礼に処理し、来日するIOCのコーツ副会長らとの5者会談で、最終的な段取りを決める。あとはIOCと開催地・東京都に任せるということだろう。
 首相とバッハIOC会長は「何がなんでも開催」で、ピタリと息を合わせてきた。バッハ会長は、4年に一度のお祭りが中止になったらIOCの収入が吹っ飛ぶ。全米に独占中継するNBC放送から放映権料が入らなくなったらIOCの屋台骨は揺らぐ。日本の事情などお構いなしだ。
 IOCは「大会関係者が観戦できるように」と要求している。「五輪貴族」と呼ばれるIOC役員や王族、スポンサーなどの豪華接遇を大会の度に開催地に求めてきた。一般の外国人観客を受け入れない東京五輪の観戦は、特別扱いのサービスとなる。「五輪貴族用」の席を求めているという。
「観客を入れて」の開催は
首相の指示だった?
 菅首相も「観客を入れろ」と言っているようだ。
「無観客の覚悟を固めていたのに、いつの間にか有観客の方向で話が進み始めた。理由を組織委幹部に聞くと『総理が観客にこだわっている』。がっくりきた」という五輪組織委員会幹部の嘆きを、朝日新聞の五輪特集(6月4日「五輪 記者は考える」)は報じている。
 首相は国会で「黙秘」しながら、裏で「観客を入れて開催」という方針を鮮明にしていたということのようだ。本当なら国民への背信である。
 観客を入れる理由を「子どもたちに感動の機会を与えたい」「声援があったほうがアスリートは力を発揮できる」などと政府は言うが、子どもや選手をだしにしている。
 首相が「観客」にこだわる理由は、別のところにあるようだ。
 五輪開催で「世論の風向きを変える」。ならばお祭り騒ぎがいい。熱狂を誘うには、観客は必要だ。パブリックビューイングにこだわるのも「人が集まる」場面がほしい。日本選手が勝ったとき、喜ぶ観客の表情や集団観戦する人たちの熱狂ぶりをTVが伝えることが、望ましい――。
 こうした官邸の意向の下で組織委員会などの事務方は疲労困憊(こんぱい)のようだ。
支持率回復狙う「政治の都合」
「相棒」とも“仲たがい”
 政府の姿勢に専門家たちも気が付いた。
 首相の記者会見の度に横に立たされ、助け舟を求められる分科会の尾身会長は、コロナ対策で首相の「相棒」だったが、五輪が近づくにつれ“亀裂”が深まった。
 お祭りを盛り上げれば、人は外に出て、はしゃぎ、大声を上げる。人の流れは膨れ、感染防止と真逆の動きが始まる。感染症の専門家は、人流を抑えることが大事だと主張し、接触機会を減らし、大声を出さないようにと言ってきた。官邸のやり方に黙っていられなくなった。
 五輪が終われば後はお構いなしのIOC。政治の都合でお祭りにしたい官邸。相棒のままでいたら、いいように使われるだけ、という危機感が専門家たちにも広がったようだ。
 東京五輪を「普通なら(開催は)ない」と尾身会長は語った。感染を抑え、医療体制を守る専門家の立場なら「五輪開催はコロナ対策の障害になる」と中止を主張してもおかしくない。そこまで踏み込まないのが「相棒」の限界かもしれない。
 しかし、専門家が「注文」をつけたことは、大きな意味を持つ。
 菅政権は専門家のアドバイスもろくに聞かず五輪を強行した、という事実を天下に知らしめることになる。身内の意見でも、首相の意に沿うものでなければ聞く耳を持たないという政治姿勢も改めて印象づけた。
 だが、菅首相には“成功体験”がある。官房長官として安倍前首相を支えた7年だ。
 安倍首相夫人のなじみである学校法人森友学園に国有地を格安で売却し、公文書改ざんを局長が指示し、担当職員が自殺に追い込まれた。責任者の処分や真相解明も不十分なままだ。
 首相のじっこんの理事長が経営する学校法人に官邸官僚が「首相のご意向」をかざし文科省に獣医学部の新設を認めさせた加計学園問題。「桜を見る会」の前夜祭の費用を首相の後援会が負担した問題で、首相が国会でうその証言を100回以上繰り返し、第1秘書が政治資金規正法違反に問われた事件もあった。
 だがどれも安倍首相は責任を問われることなく、逃げ切った。
 事件が取り沙汰されているとき世論は沸騰するが、終われば潮が引くように下火になる。独善だろうとうそだろうと力で押し通す。世間はすぐ忘れる。選挙に勝ちさえすれば政権は安泰だ。
「池江選手がメダルを取ったら
日本中が熱狂して選挙に勝てる」?
 東京五輪は、首相に冷ややかな世論を「上書き」する願ってもないチャンスだ。
 月刊誌でコラム子が、官邸筋の話として「池江璃花子がメダルを取れば日本中が熱狂し、コロナなど忘れて総選挙で勝てる」と首相が漏らしたと書いている(「文藝春秋」7月号)。
 本当に首相がそう言ったのかは、分からない。
 だが、ゴルフのマスターズで勝った松山英樹、全米オープンで「日本人同士」のプレーオフを制した笹生優花、大リーグでは大谷翔平の活躍など「日本人の活躍」はメディアが大好きな話題だ。
「五輪で池江璃花子がメダルでも取れば」というのは分かりやすい話だが、こんな願望に寄りかかっているとしたら政権は危うい。
 日本選手のメダルに期待するのは分かるが、東京五輪は「スポーツの祭典」として欠陥大会ではないだろうか。
 感染まん延で練習もままならない選手が世界にたくさんいる。予選に出られず出場資格を失った選手もいる。規制だらけのプレイブックで外国から来た選手は収容所のような環境に置かれる。観客は日本人ばかり、日本選手が声援を受け活躍する。とても公平な大会とは言い難い。
最悪の事態を考え準備するのが
政治リーダーの責任だ
 日本のメダルラッシュが起こる。ニッポン、チャチャチャ!開催してくれてありがとう。菅人気が盛り上がる――そんな展開はないとはいえないが、楽観シナリオにすがるのはまともな政治ではない。
 現状は第4波が収束に向かう局面だが、西浦博京大教授は「高齢者へのワクチン接種が7月中に完了しても、8月には東京で緊急事態宣言を出さざるを得ない恐れがある」と警鐘を鳴らしている。
 五輪開催中に第5波が襲来したら人々は五輪を楽しめるだろうか。大会によって生じた人流の増加で秋には感染爆発が起こるかもしれない。
 遅くとも10月には総選挙もあるが、「五輪開催」が菅政権に都合よく働くとも限らない。それでも首相は「五輪の熱狂が政治状況を変える」に政治生命をかけた。
 最悪の事態を考え、さまざまな処方箋を用意して国民に示すのが政治リーダーの責任だが、残念なことに、わが国の首相は自分に都合のいいシナリオを描き、当たるかどうかを実験しようとしている
 首相が期待するように、愛国気分が盛り上がり「五輪の力」が政府への不満を吹き飛ばすか。それとも感染を広げ、政権批判に油を注ぐか。
「コロナ禍の五輪」は世の中の空気をどれほど変えるのか。
 やってみなければ分からない壮大な社会実験、この大博打には国民の命と暮らしが賭けられていることを忘れるわけにはいかない。 (ジャーナリスト 山田厚史)