2021年6月24日木曜日

沖縄慰霊の日 歴史知らねば寄り添えぬ

 太平洋戦争末期の沖縄戦から76年の「慰霊の日」の23日、沖縄県に緊急事態宣言が出ているため、戦没者追悼式は規模を大幅に縮小して開かれました。

 玉城知事は「平和宣言」を読み上げ、「沖縄戦の実相と教訓を次世代に伝え続け、人類社会の平和と安寧を願い、国際平和の実現に貢献できる『安全・安心で幸福が実現できる島』を目指し全身全霊で取り組んでいく」と述べました。
 また、来年で沖縄が本土復帰50年の大きな節目を迎えることについて「辺野古新基地建設が唯一の解決策という考えにとらわれることなく『新たな在沖米軍の整理・縮小のためのロードマップ』の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図ることを要望する」と述べました。
 このあと菅首相はビデオメッセージで「引き続き『できることはすべて行う』との方針のもと、沖縄の基地負担の軽減に向け一つ一つ確実に結果を出していく決意だ」と述べました。
 しかしこれまでの沖縄への対応を思えば、空疎な言葉としか受け取れませんでした。

 西日本新聞は社説で、「政府が米軍の攻撃にさらされ、戦争に絶望し死んでいった人々の血が染みこんだ土で、米軍の基地を建設する。そんな計画県民が死者の尊厳を損なう行為と怒るのは当然だ」として、「ことあるごとに沖縄に寄り添うという言葉を使うが、かつて菅首相は官房長官時代に翁長氏との会談で私は戦後生まれ。歴史を持ち出されたら困りますよと語った」ことを挙げ、「沖縄の歴史への理解がなければ寄り添うなど不可能だ」と批判しました
 北海道新聞も社説で、「沖縄今なお、不条理とも言える国の安全保障政策の犠牲になっている地元の声に耳を傾けない菅義偉政権の姿勢は看過できない」と批判したうえで、「本をただせば米軍基地は沖縄県民らの土地を接収して造られた。宜野湾市や嘉手納町などはその基地周辺に住宅地が隣接する。土地利用を規制する新法では、そうした暮らしの場も規制区域となる可能性が高い」と指摘し、「米軍基地の存在に苦しんできた住民たちに、新たな生活上の制限や負担を強いるようなことがあってはならない」と述べました
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「忘れない…」 沖縄 慰霊の日 「平和の礎」は祈りに包まれる
                     NHK NEWS WEB 2021年6月23日
沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦から76年の「慰霊の日」を迎え、各地で平和への祈りがささげられています。沖縄県に緊急事態宣言が出ているため、戦没者追悼式は規模を大幅に縮小して開かれました
76年前、昭和20年の沖縄戦では住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、沖縄県は旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。
各地で平和への祈りがささげられていて、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園には朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた平和の礎の前で花を手向けたり、手を合わせたりしています。

平和祈念公園では正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれました。
ことしは緊急事態宣言が出ていることから県外からの来賓や一般の県民の参列は見送り、例年は5000人規模だった参列者の数が去年よりさらに少ない36人に絞られ、正午に1分間の黙とうをささげました。
式で沖縄県の玉城知事は「平和宣言」を読み上げ「沖縄戦の実相と教訓を次世代に伝え続け、人類社会の平和と安寧を願い、国際平和の実現に貢献できる『安全・安心で幸福が実現できる島』を目指し全身全霊で取り組んでいく」と述べました。
また、来年で沖縄が本土復帰50年の大きな節目を迎えることについて「辺野古新基地建設が唯一の解決策という考えにとらわれることなく『新たな在沖米軍の整理・縮小のためのロードマップ』の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図ることを要望する」と述べました
このあと菅総理大臣はビデオメッセージで「引き続き『できることはすべて行う』との方針のもと、沖縄の基地負担の軽減に向け一つ一つ確実に結果を出していく決意だ」と述べました。
式の中では沖縄県宮古島市の中学生、上原美春さんがことしの「平和の詩」に選ばれた「みるく世の謳」を朗読しました。
上原さんはめいが生まれて初めて命の芽吹きを目にして感じた平和への思いと、多くの命が犠牲になった76年前の戦争の悲惨さを対照的に描き平和な世の中をつくっていきたいと訴えました。

「平和の礎」亡くなった24万1632人の名前が刻まれる
「平和の礎」は戦後50年の平成7年に沖縄戦の最後の激戦地、糸満市摩文仁に建設されました。
国籍を問わず、民間人と軍人も区別せず、沖縄戦などで亡くなった24万1632人の名前が刻まれています。ことしは新たに申告のあった沖縄県出身の38人と、県外出身の3人の合わせて41人の名前が追加されました

朝早くから祈り 
「平和の礎」ではことしも朝早くから祈りをささげる人たちの姿が見られます。平和を願う祈りに包まれる沖縄の声です。

 以下はタイトルのみ記します。全文には下記からアクセスして下さい。
       ⇒ 「忘れない…」 沖縄 慰霊の日 「平和の礎」は祈りに包まれる
・叔父を亡くした女性「心安らかに眠ってください」 
・父と姉亡くした82歳男性「そばで艦砲射撃の破片で亡くなった」 
・叔父を亡くした女性「祈り続ける…」 
・80歳男性 姉2人と幼なじみ亡くす「供養は生き延びた自分しか…」 
・叔父と曽祖母亡くした85歳男性「命からがら歩いて逃げた」 
・父の名前が刻まれた82歳男性「毎年 父親に会いに来ています」 
・親族10人以上が亡くなった86歳男性「平和な世の中を」 
・親族10人で訪れた男性「子どもに戦争について考えてほしい」 
・戦跡などめぐる女性ガイド「伝えていきます」 


社説 沖縄慰霊の日 歴史知らねば寄り添えぬ
                           西日本新聞 2021/6/23
 きょう23日は太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍による組織的な戦闘が終結した日だ。沖縄県はこの日を「慰霊の日」として全戦没者追悼式を開催する。今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、昨年よりさらに規模を縮小して開く。
 76年前、当時の軍部は沖縄を本土決戦までの時間稼ぎの場と位置付け、徹底した持久戦術を採った。このため多くの住民が戦闘に巻き込まれて命を落とした。当時の沖縄県民の4人に1人が犠牲になったとされる。
 沖縄の苦難は戦後も続いた。米軍の占領下、土地を強制的に収容され、基地が造られた。現在の沖縄県民を苦しませる米軍基地の過度な集中の原点、これもまた沖縄戦にあるのだ。
 その沖縄では今、米軍普天間飛行場(宜野湾市)移設に伴う名護市辺野古沿岸部の埋め立て工事に、防衛省が沖縄本島南部の土砂を使おうとしていることに対し、県民から強い批判の声が上がっている。
 沖縄戦では旧日本軍が本島南部に撤退したことで、南部が米軍の掃討戦の主戦場になった。沖縄戦で最も悲惨な犠牲を生んだ場所、それが南部である。それ故に、南部で土砂を採取すればその中に戦没者の遺骨が混じる可能性は捨てきれない。
 米軍の攻撃にさらされ、戦争に絶望し死んでいった人々の血が染みこんだ土で、米軍の基地を建設する。そんな計画が、沖縄県民の理解を得られるだろうか。県民が「死者の尊厳を損なう行為」と怒るのは当然だ
 昨年9月、安倍晋三前政権から菅義偉現政権へ交代して以降も、普天間飛行場の辺野古移設に反対する沖縄の民意を無視して、埋め立てを進める政府の姿勢に変化はない。埋め立て予定地に軟弱地盤の存在が明らかになるなど、新たな問題が露呈したにもかかわらず、工事はそのまま強行されている。
 政府は沖縄の基地問題に関して、ことあるごとに「沖縄に寄り添う」という言葉を使う。だが、本当に沖縄に寄り添っていたら「遺骨混入の可能性がある土砂で米軍基地を建設」という発想が生まれるだろうか。
 故翁長雄志(おながたけし)前知事の著書によれば、菅首相は官房長官時代に翁長氏との会談で「私は戦後生まれ。歴史を持ち出されたら困りますよ」と語ったという。沖縄の歴史への理解がなければ「寄り添う」など不可能だ。
 沖縄は来年5月、日本復帰50年を迎える。復帰半世紀を経ても残る沖縄県民の心の傷を癒やし、過重な基地負担を解消するために何をするのか。政府が「寄り添う」と言うなら、まず歴史を知り、沖縄の人々の心情を思いやることだ


社説 沖縄慰霊の日 国の不条理許されない
                           北海道新聞 2021/06/23
 沖縄はきょう、戦没者を追悼する「慰霊の日」を迎える。
 太平洋戦争末期の沖縄戦では、日米合わせて20万人以上が犠牲となり、半数近くを沖縄県民が占めた。都道府県別では沖縄に次いで北海道が多く、1万人を超す。
 沖縄は今、新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言下にある。
 追悼式の規模は大幅に縮小されるが、76年前の悲惨な過去にあらためて向き合い、平和の大切さを顧みる日としたい。
 慰霊と同時に思いを致さないといけないのは、沖縄が今なお、不条理とも言える国の安全保障政策の犠牲になっていることだ。
 国内の米軍専用施設の7割が沖縄に集中し、米軍普天間飛行場の辺野古移設工事は多くの県民が反対する中、強行され続けている。
 地元の声に耳を傾けない菅義偉政権の姿勢は看過できない。
 辺野古移設では、人道上許し難い土砂採取も計画されている。
 軟弱地盤を改良するために使う土砂の採取地に、沖縄戦の激戦地となった本島南部を含めたのだ。
 南部の海岸線には、住民が逃げ込み命を落としたガマ(自然壕(がま))が点在し、多くの遺骨が石灰岩の大地と相まって眠っている。
 県民から「戦没者への冒涜(ぼうとく)だ」との声が上がっているのは当然だ。
 辺野古移設は工期も工費も膨らみ、運用の見通しは立っていない。政府は工事自体を中止すべきだ。
 先の国会では、政府が安全保障上重要とみなした施設周辺の土地利用を規制する法律が成立した。
 政府判断で規制対象を拡大できるため、米軍基地の反対運動などにも適用するのではないかとの懸念が沖縄で広がっている。
 2年前に施行された改正ドローン規制法では基地の監視活動が制限されるなど、市民運動への締め付けは厳しくなっている。新法への懸念は杞憂(きゆう)とは言えない。
 本をただせば米軍基地は沖縄県民らの土地を接収して造られた。宜野湾市や嘉手納町などはその基地周辺に住宅地が隣接する。
 土地利用を規制する新法では、そうした暮らしの場も規制区域となる可能性が高い。
 米軍基地の存在に苦しんできた住民たちに、新たな生活上の制限や負担を強いるようなことがあってはならない。
 玉城デニー知事は全国に占める沖縄の米軍施設の割合について、50%以下にするよう求めている。
 来年は沖縄の本土復帰50年になる。占領の歴史に伴う沖縄の苦難を国全体で直視する必要がある。