民青同盟主催で5月23日に行われた「社会は変わるし、変えられる―志位さんと語る学生オンラインゼミ」の詳報が、テーマごとに連載されることになりました。
その第4回と第5回です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
社会は変わるし、変えられる――志位さんと語る学生オンラインゼミ(4)
「自己責任」論を乗り越えて
しんぶん赤旗 2021年6月4日
政治を話しづらい どうすればそういう空気を変えることができるか
京都府の学生班 僕たちは、去年から食料支援をやってきたんですけれど、食料支援の時は社会への関心や疑問、政治を変えたいという学生がたくさんいると思いましたが、普段、自分の周りでは、政治や社会のことを話しづらい空気も感じます。どうすればそういう空気を変えることができると思いますか。
志位 とっても大事な質問ですね。どうすればそういう空気を変えられるのか。私としては二つのメッセージを送りたいと思うんです。
「あなたのせいじゃない」――「自己責任」論を乗り越え、社会的連帯をひろげよう
志位 一つは、「あなたのせいじゃない」ということを言っていこうということなんです。つまり、「自己責任」論を乗り越えて、社会的連帯を広げていこうということを訴えたいと思います。
菅首相のセリフで、「まずは自分でやってみる」、「自助が大事だ」というのがあるでしょう。そんなことを言うんだったら答弁も「自助」でやってくださいなと言いたくなりますけれど(笑い)。ただ、そういう議論が繰り返されるもとで、少なくない学生のみなさんが、「自己責任」論のいろいろな呪縛にしばられているという状況もあるのではないかと思うんです。たとえば、「正社員になれずに非正規雇用なのも自分の努力が足らないからだ」とか、「奨学金は借りたら返すのが当たり前」とか、そういういろいろな「自己責任」論にしばられている状況もあるんだと思うんです。
ただ、ここで大事なのは、コロナ危機に直面して、「自己責任」論はもう通用しなくなるという状況が生まれていると思うんですよ。民青のみなさんがとりくんでいる食料支援は、まさにそういう状況のもとでのとりくみだと思います。アルバイトの休業で収入がなくなって、途端に生活が成り立たなくなる。これは学生のみなさんの責任でしょうか。誰がどう考えても、そうじゃない。学生を「使い捨て」の労働でこき使う。学費が高すぎる。奨学金が貧しすぎる。そこから来ているわけです。これが、まさに政治の責任だということが見えやすくなっていると思います。食料支援の時には、政治や社会の話題がはずんだというのも、そういうことではないかと思うんです。
ですから、私は、ぜひ、「あなたのせいじゃない」ということを言っていってほしい。「自己責任」論を乗り越えて、社会的連帯で社会を変えていこう、そういう動きや対話をいろいろな分野ですすめてほしいということが一つなんです。
「社会は変わる、変えられる」――この希望を伝えていこう
志位 もう一つ、言いたいのは、今日のゼミナールの主題ですけれど、「社会は変わる、変えられる」、この希望を伝えていくことが大事だと思います。「社会はそうはいっても変わらないのではないか」というところから、政治や社会について話しづらい空気も生まれてきていると思うんです。
しかし、私は、社会というのは変わる、変わるときには一気に変わるということを言いたいと思います。
最近そのことを実感したのは、ジェンダー平等を求める深い巨大なうねりが起こっていることです。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長がとんでもない女性蔑視の発言をしました。一昔前だったら笑い話でごまかすということが通ったかもしれません。しかし、ごまかしがまったく利かなかった。瞬く間に怒りの声が広がって、辞任に追い込まれました。
それから先日、札幌地裁で、「同性婚を認めないのは憲法違反」という画期的な判決がでました。これも一昔前なら考えられない画期的判決です。原告側の弁護団が、「2年前に提訴した時には、こんな素晴らしい判決、予想もしていなかった」と言われていたのが印象的でした。たたかいの先頭にたった当事者の予想すらこえた画期的判決がでる。私は、ジェンダー平等にむけて、いま日本社会がガラガラと変わりつつあると思います。
「世界の構造変化」と核兵器禁止条約――「ある種の革命」との評価も
志位 もう一つ言いますと、世界史を見てほしいと思います。私たちの綱領にも書いてあるんですけれど、20世紀とはどんな世紀だったか。20世紀を振り返ると、二つの世界大戦があった。軍国主義とファシズムがあった。暗いことの連続だったという見方もあるでしょう。でも、そうじゃないんですね。もちろん悲劇がたくさんあったけれども、1世紀というスパン(期間)で世紀を見ていきますと、たいへん巨大な変化をしている。
その最大のものは、20世紀の最初には一握りの帝国主義の大国が、全世界を植民地、あるいは従属国として支配していた。こういう世界だったんです。この植民地体制が、100年間のうちにガラガラと全部崩れて、100を超える主権国家が誕生しました。これを私たちは、「世界の構造変化」と言っているんですけれども、100年単位でみると、人類は巨大な進歩をしているんです。
20世紀に起こった「世界の構造変化」が、21世紀のいまになって、いろいろな素晴らしい力を発揮しだしています。その一つが、今年1月に発効した核兵器禁止条約です。核兵器保有国がみんな反対したのに、世界の多くの国ぐにと市民社会が共同して、ついに、核兵器を違法化したのです。
オーストリアの国連大使でトーマス・ハイノッチさんという方がいます。核兵器禁止条約の先頭にたった外交官で、私も国連本部で懇談したことがある方なんですが、ハイノッチさんが、今年4月の講演で、核兵器禁止条約の誕生は「ある種の革命」だと言いました。つまり、これまでは核軍縮交渉というのは、核保有国が独占していた。ところがついに主役が交代して、世界の多くの国ぐにと市民社会が核軍縮の主役になった。「ある種の革命」というような巨大な変化が起こったというのです。私は、ハイノッチさんのこの見方に全面的に賛成します。
「社会は変わるし、変えられる」。ただ、自動的には変わりません。人民のたたかいによって変わる。この希望をぜひ、広げていってほしいと思います。
身近な切実な願いから出発して、その実現のために力をあわせよう
中山 では学生の方はどうでしょうか。
学生 政治って一般的に難しい話だとか、話していて、楽しくないというふうに思われたりして、話を持ち出すときに、すごく難しいけれど、志位さんは学生時代に周囲の人にたいして政治の話ということで、どういうふうに話していったのかというのを、経験談とか教えていただいて、自分たちに生かせるようなアドバイスとかも欲しいのですが、よろしいでしょうか。
志位 私たちがやっていた当時の学生運動というのは、だいぶ状況も違うもとでのものなので、参考になるかどうかわからないんですが、学生運動をやっているときに一番心掛けたのは、シンプルな話ですが、「学生の要求実現」なんです。当時も学費の問題が大きかったですし、大学の条件整備の問題もたくさんありました。学生にとって身近な、身のまわりの要求を掲げて、みんなで解決していこうという運動にとりくみました。
もう一つ、当時は、「暴力一掃」というのも切実な課題でした。当時は、ニセ左翼のいろいろな集団が「内ゲバ」をやっていまして、大学のキャンパスでも「内ゲバ」をやったりするんです。ですから、「暴力一掃」は本当に切実だった。私たちが学生の時は、「要求実現」、「暴力一掃」というところで頑張ったわけです。
今は条件が違うと思うので、あまり暴力とかはないと思うんですけれども、やっぱり、いまの切実な要求、先ほどいったコロナ危機のもとでの暮らしの願い、キャンパスでもっと勉強したいという願い、そういうみんなの願い、要求から出発して、その実現のために力をあわせる。これは今も昔も変わらないのではないでしょうか。
中山 食料支援ですでに、いろんな関心や疑問を聞いているということなので、そこを出発点にまた、学生のみなさんで話しあってみたらいいかなと思います。(つづく)
社会は変わるし、変えられる――志位さんと語る学生オンラインゼミ(5)
人民のたたかいによって実証
しんぶん赤旗 2021年6月5日
科学と実証 社会科学の理論は何によって実証されるか
東京都の学生班 社会科学には、実験による仮説検証の難しさだったり、攪乱(かくらん)要素の複雑さがあるといわれています。こういったことから私自身、理学を専攻しているんですが、そこで扱う自然科学にくらべて、社会科学は理論の実証性に劣るのではないか、という批判がよくあります。これを踏まえたときに、科学的社会主義や綱領において言われる、科学的に社会をとらえるということは、どのようなものとして解釈されるでしょうか。ぜひ、教えてください。
志位 いま言われた、社会科学と自然科学の実証性の違いについての議論というのは、大学で使うテキストなどにもよく出てくる議論ですね。
人間社会にも、自然界と同じように、人間の意識から独立した客観的な法則がある
志位 私たちが世界観としている科学的社会主義は、人間の社会にも、自然界と同じように、人間の意識から独立した客観的な運動の法則が存在するという立場に立っています。それでは、その法則が真実かどうかは何によって検証されるか。
自然科学の場合は、理学をやっているということでしたが、ある理論の真実性というのは、実験や観測で確かめられます。たとえば、アインシュタインが一般相対性理論を提唱しました。この理論が何によって確かめられたかといったら、強い重力を持っている天体のそばを光がとおると曲がる、このことが観測されたことによって正しさが確かめられたわけです。
それでは、社会科学の場合は、ある理論が真実かどうかは何によって確かめられるかと言いますと、実験をやるというわけにはなかなかいきません。私は、二つ大事なことがあると思っています。
社会と経済の現実の運動で確かめられる――『資本論』の分析と21世紀の世界
志位 一つは、社会と経済の現実の運動によって確かめられます。
たとえば、マルクスは、『資本論』のなかで、資本の蓄積が進みますと、一方では、富の蓄積が、他方では、貧困の蓄積が起こる。貧富の格差が必然的に拡大する。このことを、徹底的に論じ詰めて明らかにしています。この理論というのは、今日起こっている世界的規模での貧富の格差の途方もない拡大によって、日々、実証されています。そういう形で私は真理性が確かめられていると思います。
それから、マルクスは、同じ『資本論』のなかで、環境破壊についても、とても先駆的な解明をやっています。資本主義の下での、もうけ第一の生産によって、人間と自然との「物質代謝」が「攪乱」されるという指摘です。19世紀の当時、環境破壊で何が問題だったかというと、その一つは、農業生産での環境破壊でした。資本主義的なもうけ第一の農業生産によって、土地の栄養分がなくなってしまって荒れ地になってしまう。それをマルクスは、「物質代謝」の「攪乱」だとズバリ指摘するのですが、これはいま、まさに、21世紀の今日、地球規模での気候危機とか、感染症の多発とか、深刻な環境破壊によって日々、実証されています。
みなさんもマルクスの『資本論』をぜひ、読んでいただきたいと思います。そこでは資本主義というシステムのもつ矛盾をさまざまな角度から徹底的に明らかにしていますが、その理論の真実性は、21世紀の世界の現実そのものによって、豊かな形で裏付けられていると思います。
社会変革の法則は自然には進まない――人民のたたかいによってはじめて現実になる
志位 同時に、もう一つ大事な問題があります。
それは、社会と経済の運動法則のなかでも、社会を変える法則――社会変革の法則は、自然には進まない、自動的には進まないということです。人民のたたかいによってはじめて、社会変革の法則は現実のものになる。これが自然の法則と社会の法則の大きな違いだと思います。
たとえば、日本共産党は戦前、天皇絶対の専制政治に反対して主権在民の日本をつくろう、侵略戦争や植民地支配に反対して平和な日本をつくろうと訴えました。いろいろなひどい攻撃や迫害が行われましたが、不屈に頑張りぬきました。民青同盟の前身の日本共産青年同盟も、そうした旗を掲げて一緒にたたかいぬいたのです。若い女性の革命家で、迫害によって20代前半で命を落とした先輩たちも歴史に刻まれています。
戦前の日本共産党や共産青年同盟の主張の正しさが、何によって確かめられたかといったら、歴史によって真実性が確かめられています。戦前、日本共産党や共産青年同盟が掲げた旗印は、戦後の日本国憲法の国民主権や恒久平和主義などに実っています。そういう形で真実性が実証されたのですが、そういう歴史の進歩は、自然現象ではなく、たたかいによってはじめて勝ち取ったものです。日本国民の不屈のたたかい、さらには平和と民主主義を求める世界のたたかいと世論によって、日本の社会変革の巨大な一歩前進が実現したのです。
私たちがいま掲げている日本共産党綱領も、その真実性は、たたかいによって綱領を実現することによって確かめられていく。そういう立場で頑張りたいと思います。
綱領が実践的に生きてきた例――歴史が決着をつけたたたかいについて
中山 学生の方、どうでしょうか。
学生 はい、ご回答ありがとうございます。先ほど、社会変革の法則は自動的には進まないというお話でしたが、例えば、最近綱領が(一部)改定されましたけれど、2004年に綱領が変わったじゃないですか。それより、昔のものもありますけれど、綱領において述べられていることが、社会変革の法則について実践的に生きてきた例とかありましたらぜひ、教えてください。
志位 歴史が決着をつけた点ではいくつかあるのですけれど、今お話しした戦前のたたかい――国民主権、反戦平和を掲げたたたかいは、日本の歴史の歩みによってそれらの旗が正しい旗だったということは、日本国憲法に書き込まれたことで、私は実証されたと思います。
それでは、戦後のたたかいはどうかというと、いろいろな問題があるけれど、日本共産党は、相手がどんな大国であれ、覇権主義を許さないというたたかいをやってきました。1960年代、旧ソ連、中国・毛沢東派などが、自分たちの方針を押し付けよう、そのために日本共産党の指導部を転覆して自分たちの言いなりになる勢力にとりかえよう、こういう悪辣(あくらつ)な覇権主義の干渉攻撃を行ってきました。そういうやり方は、社会主義とは無縁だという厳しい論争をやりました。ソ連との関係では、ソ連が最終的に崩壊して、決着がついたと思うんですよ。
中国との関係はどうかというと、中国も毛沢東の時代に、日本共産党にたいするひどく乱暴な干渉をやりました。ただ、これにたいしては、中国は誤りを認めました。1998年に両党が関係を正常化したさいに、先方から干渉は間違いだったと認めました。そういう意味では、これも歴史が決着をつけたのです。ただ、その後、しばらくたって、中国は、覇権主義や人権侵害の問題を起こしていますので、私たちはそれについては批判していますが、毛沢東時代の干渉の誤りという点では、決着がついたと思うんです。
もう一ついうと、1980年に当時の社会党と公明党が「社公合意」という「日本共産党排除」の政権合意を結んだんです。それから後、日本共産党は、長い期間にわたって、日本の政界から排除されるという状況が続きました。そういうもとでも、私たちは、一致点にもとづく共闘の努力をずっと続けてきましたが、とくに2015年の安保法制反対のたたかいをつうじて市民と野党の共闘が生まれ、最近の共闘では、日本共産党をふくめた共闘が当たり前になっています。これも、長年にわたって続いた「日本共産党排除の壁」が崩れたという点では、歴史が決着をつけた。
このように、歴史が決着をつけた問題もあります。1961年にいまの綱領の土台となる綱領をつくったとき以来掲げている民主主義革命の旗――アメリカ言いなり、財界中心という政治のゆがみをただして、「国民こそ主人公」の日本をつくるという旗は、まだ、実現はしていませんが、この方向にこそ日本の未来があるということは、60年のたたかいをつうじて明らかになっていると思います。
「国民が主人公」といえる民主主義の日本をつくる、さらに社会主義・共産主義の日本をつくる――これは現在から未来のたたかいにかかっていますが、これは若いみなさんがぜひ、これからの歴史で決着をつけてほしいと願っているところです。(つづく)