「世に倦む日々」氏が「因果応報/民意に引きずり降ろされた菅義偉 – 国谷さんをNHKに戻そう」とする記事を出しました。
その中で、菅氏の退陣に当たり、「国谷さんをNHKに復活させないといけない。安倍・菅レジームの破砕と倒壊を証するのはその一事である。菅義偉が人事でテレビに配置してきた愚劣な操り人形を一掃し、9年前の正常な布陣と環境に戻すのだ」と呼びかけています。
人気のあった国谷裕子氏、古舘伊知郎氏、岸井成格氏、膳場貴子氏らをTVから追放したのが安倍氏であり菅氏でした。確かに「国谷さんをNHKに復活させることが出来れば、安倍・菅レジームの破砕と倒壊が証明されることになりますが ・・・
そして「世に倦む日々」氏はもう一つ、「もしも河野太郎が新総裁になれば新しい総裁派閥の河野派が成立することになり、派閥最高顧問として菅義偉が君臨することになるのだ。菅義偉は自民党の副総裁に就任する」、「菅義偉の政治生命と地位は安泰で、副総裁として従来同様の実権を振るうことになる。内閣人事局の決定が菅義偉の意向で差配される」と、前記の事柄とは反対のこともさらりと書いています。何とも聞くだにおぞましい話ですが、両者にはそれだけの信頼関係というか親密さがあるということなので敢えて紹介します。
なお「(前 略)」として最初の2文節を省略しました。興味のあるかたは下記をクリックして原文にアクセスしてください。
⇒(9月6日)因果応報/民意に引きずり降ろされた菅義偉 – 国谷さんをNHKに戻そう
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因果応報/民意に引きずり降ろされた菅義偉 – 国谷さんをNHKに戻そう
世に倦む日々 2021-09-06
(前 略)
マスコミ報道が総括しなければいけないのは、そういう菅政権の失敗と撞着の意味づけである。それがこの政治の本質的契機だ。歴史として刻んで記すべき2021年の日本政治の物語だ。だから、この政治的結末は国民の勝利と言える。菅義偉のコロナ対策と五輪政策にNoを言い、拒否の意思を示し続け、横浜市長選で怒りの一票を叩きつけた、国民の民意の勝利である。民意を無視し続けた菅義偉の敗北である。民主主義の政治の必然的な旋回と帰結であり、民意が永田町の権力を動かした画期的な瞬間だ。選挙と世論調査の制度があり、すなわち最低限の民主制のシステムが保障され、民意が力になる環境と過程では、菅義偉は退陣せざるを得ないのだ。そのシンプルな裁断と結論をマスコミは言わなくてはならない。その総括こそが代弁されなくてはいけない。そして、国民が溜飲を下げ喝采する場面が、報道の絵で紹介され提示されなくてはいけない。国民が政治を動かした図であり、国民が主権者として立ち現れた局面なのだ。いわば、投票なく、選挙なく、プリエンプティブ(⇒割り込み操作的に)に国民は菅義偉を権力の座から引きずり下ろした。
国民の力で権力の座から引きずり下ろされた菅義偉。これは、9年続いた安倍・菅レジームの崩壊と終焉になり得る。なり得ると書くのは、まだ確定ではないからだ。もし、河野太郎が新総裁に就いたなら、安倍・菅レジームは基本的にそのまま継続される動きになる。麻生太郎が失脚するだけで、自民党内の派閥の構図と形勢が変わるだけである。竹中平蔵の地位はそのままで、また、菅義偉のコロナ対策の要諦であったワクチン一本足打法の集団免疫路線も同じままだろう。なぜなら、河野太郎と菅義偉はネオリベ(⇒新自由主義)の同志だからであり、神奈川ネオリベ原理主義の同閥だからである。菅義偉が河野太郎と小泉進次郎を買ってかわいがったのは、単に自民党世襲のサラブレッドという理由からだけではなく、この二人が猛毒のネオリベだからであり、自分と同じく、竹中平蔵の政策系統を強力に引き継いでくれる後継者だと見込んでいるからだ。菅義偉は倒されて一敗地に塗れたけれど、まだ完全に無力化されたわけではない。ここで河野新政権が誕生すると、菅義偉は自民党の副総裁に就任する新展開となる。菅義偉はここですぐに復活する。
この稿では、あまり総裁選の今後の予測に立ち入りたくないが、河野太郎が新総裁になると想定したとき、麻生派は割れ、細田派も地殻変動が起き、新しい総裁派閥の河野派が成立することになる。3回生以下の若手議員が移動して集合する。小泉進次郎も幹部として入る。おそらく、そこに、派閥最高顧問として菅義偉が君臨することになるのだ。喩えれば、嘗ての経世会の金丸信みたいなポジションとプレステージで、政府内では無役でも絶大な権力を持つ領袖になるだろう。河野太郎は菅義偉に引き立てられて出世した。9年間の安倍・菅レジームの中で抜擢され台頭した政治家である。所属派閥のボスの麻生太郎とはむしろ折り合いが悪く、麻生太郎は警戒して常に飼い殺しの状態に置こうと画策してきた。派閥を持たない菅義偉が、自身の後継の本命として頼りにしていたのが河野太郎で、ワクチン担当に据えたのも、それで手柄を上げさせ、マスコミと世間からの評判を与えるのが狙いだった。河野太郎が総裁に座れば、菅義偉の政治生命と地位は安泰で、副総裁として従来同様の実権を振るうことになる。内閣人事局の決定が菅義偉の意向で差配される。
この問題は重要で、菅退陣の後のマスコミ報道では、唯一、4日のTBSの報道特集が関連する問題に触れていて、片山善博が簡潔に断罪する場面があった。的を射た報道だった。9年間の安倍・菅レジームの核をなす実体とは、まずは霞ヶ関の官僚の人事権である。官僚を絶対支配することによって、安倍晋三と菅義偉は権力を恣(ほしいまま)にすることができ、国権の最高機関の国会を無化した。裁判所も天皇も、国家の統治機構の一切を私物化し、ほとんど北朝鮮と同類の独裁ヘゲモニー体制を確立し持続させた。私は何度もその認識を直言してきたが、安倍・菅レジームの権力の独裁と私物化の程度は、中国以上に度を超えたグロテスクな実相がある。習近平でもここまで極端に、国務院と報道機関を自己の私欲と放恣で統制できない。表面上および形式上、日本は中国にない民主主義があるように見え、中国より高度な民主主義が実在し機能しているように映るけれど、実態は中国以上に独裁者の権力が万能な国に変わっていた。だから、9年間、日本は何もかもどんどん劣化し腐敗したのだ。新聞テレビは言うまでもなく、官僚も、教育も、企業も。さらには反体制の左翼まで。何もかもどこまでも杜撰で粗野で無知で野蛮になった。
内閣人事局、官邸の官僚支配のツールである人事権。これが総裁選の争点にならないといけない。新総裁は、内閣法を再改正して7年前の原状に復さないといけない。これが重要なポイントである。詳しくは別稿で論じよう。もう一つ、マスコミ支配。ここを安倍・菅レジームの以前に戻さないといけない。この点に若干触れたのは、5日のサンデーモーニングの浜田敬子だった。菅義偉と安倍晋三が9年近く言い続けてきたところの、(1)個別の問題には回答を差し控える、(2)仮定の質問には答えられない、(3)それは特に問題には当たらない、(4)その件は政府として諒とする、等々。これらの回答拒否の応答方法、説明責任の否定と抹殺の政治様式を、そのまま今後も存続させるのか、ここで断ち切るのかという問題だ。第四の権力であり、先行三権を監視する使命と任務を持つはずのマスコミが、こうした逸脱を見逃して容認してきたために、悪影響は司法に及んだ。検察が与党議員や官僚の犯罪を見逃し、捜査を怠業し、立件を不作為するという暴挙に及んできた。安倍・菅のマスコミ支配も、根幹は人事であり、社の上層部を押さえ、要所に自分たちのパペットを置き、自分たちの都合のよいアナウンスとプロパガンダを撒いてきたということに尽きる。
その典型的な暴挙の例が、2015年の安保法制をめぐる生放送で菅義偉に切り込んだ国谷裕子を、NHKの人事を動かして強引に降板させた事件だ。国谷裕子と古舘伊知郎と岸井成格・膳場貴子は、当時の安倍・菅にとって邪魔な批判者で、目の上のたんこぶで、公共の電波から排除して始末することが重要な政治目標だった。国谷さんをNHKに復活させないといけない。安倍・菅レジームの破砕と倒壊を証するのはその一事である。菅義偉が人事でテレビに配置してきた愚劣なパペット(⇒操り人形)を一掃し、9年前の正常な布陣と環境に戻すのだ。われわれは断固として報復する。