2021年9月19日日曜日

19- 河野新政権は第2次菅政権 竹中平蔵の新自由主義政策が引き継がれる

 世に倦む日々氏が、「河野新政権は第2次菅政権だ―竹中平蔵のネオリベ政策が無傷で引き継がれる」という記事を出しました。「菅」といい「竹中」といい見たくも聞きたくもない名前が並んでいて救いのない話ですが、河野氏が総裁になれば多分そういうことになるのでしょう。
 安倍氏の影響力が削がれるのはいいことですが、菅氏がそれに取って代わるというのでは何にもなりません。河野氏が総裁になっても、菅=竹中氏の新自由主義がそのまま継続するのでは何の変わりようもありません(竹中氏は早くも河野氏への接触を開始したと伝えられています)。
 問題は河野氏が本当に総裁になれるかです。共同通信17、18両日、全国の自民党員・党友の支持動向を探った結果は、河野氏支持が48.6%で岸田氏の18.5%を大きく引き離し、高市氏は15.7%野田氏は3.3%でした(「まだ決めていない・分からない」は13.9%これはこれで重要なデータですが、実際には様々な要素が作用するので党員票がそんな大差になることはないと見られ、総合的に岸田氏が有利とされているようです。
 誰がなるにしても、菅氏が背後霊のようにつくのだけは止めて欲しいものです。
 因みに4人の候補の中で、「森友」の疑惑を明らかにするとしているのは野田氏だけで、新自由主義からの脱却を明言しているのは岸田氏だけです。河野氏は脱原発を封じられているものの核燃サイクルなどについての主張は筋が通っています。
 世に倦む日々氏のブログを紹介します。
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河野新政権は第2次菅政権だ竹中平蔵のネオリベ政策が無傷で引き継がれる
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自民党総裁選。河野陣営について気づかないといけない点がある。河野政権が誕生した場合、その実体は第2次菅政権だということだ。思い出してもらいたいのは、8月30日から一週間の過程で起きた政変で、菅義偉が解散に討って出ようとして失敗した権力闘争劇である。安倍・麻生に鎮圧された。このとき菅義偉が腹に矯めていた構想が、石破茂を幹事長に、小泉進次郎を政調会長に、河野太郎を官房長官に据えるという改造人事の打ち上げで、マスコミと世論を沸騰させ、瞬間風速の高支持率をもぎ取り、旋風を起こして総選挙に圧勝するという戦略だった。シナリオを描いて背後で嗾(けしか)けていたのは軍師の橋下徹。菅義偉の腹心で政局工作の参謀である。田崎史郎が、あの週、小泉進次郎が何度も何度も菅義偉に諫言して、解散を思い止まらせたのに、翌日になったらまた解散に前向きになっていて、おかしい、誰に相談していたんだろうと解説していたが、それは橋下徹のことだ。強気一辺倒の強行突破策を指南し、最後の最後まで煽って粘って口説いていた。オレがテレビで喚いて勝たせるからと。 

河野政権が成立した場合、首相が河野太郎、幹事長が石破茂、そして官房長官に小泉進次郎が座り、おそらく、副総理で菅義偉が要職に復権するだろう。何かの担当相を持ち、官邸詰めの副総理として内閣の実権をふるうに違いない。官僚を人事で脅すドンになるだろう。二階俊博は副総裁。菅義偉が解散戦略に出たときも、二階俊博にはこのポストが約束されていたはずだ。一見して、河野新政権が第2次菅政権だということが分かる。同じ陣容なのだ。河野太郎は菅義偉によって引き立てられ、日の当たる場所で活躍させてもらって実績を上げ、マスコミの注目と評価を過剰に浴びるキャラに育った政治家である。神奈川コネクションの陣笠であり、菅義偉は恩義のあるオヤジ(育ての親)に他ならない。イデオロギーも同一同類であり、したがって政策も、菅政権の路線と変わらず、菅義偉のネオリベ政策をそのまま引き継ぐのは間違いない。菅義偉の「自助・共助・公助」の政策を指導し方向づけていたのは、誰もが知るとおりブレーンの竹中平蔵だったが、実質的に、河野新政権は頭を挿げ替えただけの菅政権の延長となり、竹中体制(電通・パソナ中抜き体制)が盤石で続くことになる。

河野太郎が売り出し文句として掲げている「改革」も、マスコミは積極的な意味づけで持ち上げているが、当然ながら、「改革」とは新自由主義の看板の標語に他ならない。ネオリベを美称化する象徴的キーワードが「改革」であること、世間の常識である。河野陣営に馳せ参じた「若手議員」の顔ぶれを見ても、猛毒のネオリベで右翼の闘士が勢揃いしていて、見る者に邪悪で胡乱な妖気を放っているのを否めない。要するに、河野太郎の今回の政治は、安倍・麻生レジームの世代交代の幕であり、経済政策もイデオロギーも全く同じで、舞台の登場人物を若返らせるだけという意味しかない。この世代交代は、実は菅義偉がかねてより計画して、自らの腕で差配し実現することを目論んでいた図だった。表のポストに世襲貴族の河野太郎や小泉進次郎が就き、それを外から橋下徹(政局・マスコミ)と竹中平蔵(経済政策・予算)が支えて切り回すという体制は、菅義偉が思い描いていた将来展望だ。河野太郎が新総裁になるということは、麻生太郎抜きの第2次菅政権が立ち上がるということであり、表紙が新しく派手な意匠に変わるということだ。清新なイメージはフェイクである。

以上の分析と認識から、私自身は、この権力闘争は岸田文雄が勝てばいいという見方で傍観している。岸田文雄の宏池会の伝統へのコミットは、多少とも脈があるものと期待を持たせる。岸田文雄が総理総裁に即くことで、竹中平蔵が失脚し、極端で過激なネオリベ路線が止揚に向かうのではないかという淡い希望 - 幻想かもしれないが - を抱かせる。それは誰しも同じ感情だろう。無論、そうならない可能性は高く、11年前に菅直人が裏切った悪夢で懲りた経験もあり、安易に期待などできるわけがないという意識もある。ただ、新自由主義からの転換は国民の20年越しの悲願であり、それを自民党の政治家が総裁選で公約に掲げた意義は小さくない。敢えて期待的バイアスを加重させ、岸田文雄が総裁になった場合を楽観的に予想するなら、そのときの自民党政権は、(1)岸田文雄の官邸司令塔と、(2)安倍晋三の旧レジーム権力と、(3)河野太郎の「改革」勢力と、三者が鼎立して輻輳する三国志的な構図になると思われる。(1)は脱ネオリベだが、(2)と(3)は親ネオリベである。(2)と(3)は安保外交とイデオロギーの面で獰猛な反中反共右翼でもある。(1)のみがマイルドな属性を標榜し、座標軸のポジショニングが立憲民主党に近い。

岸田文雄が総裁になっても、黒幕の安倍晋三のパペットになり果て、公約した脱ネオリベ政策は骨抜きにされるのではないか。この懸念は至極尤もだが、ただ、総裁選を通じて従来の構図に変化が起きる。それは、麻生太郎の失脚が確実な点だ。安倍晋三の相棒だった副総理・財務相が消える。このことで、9年続いた安倍晋三のヘゲモニーは斜陽の時刻を迎える。(2)の権力と(3)の勢力とは、政策もイデオロギーも同じだが、世代交代の論理で対立する関係となり、すなわち自民党の多重ディレンマの一つの契機を構成する。フリクション(⇒摩擦)とバランスの力学ができる。(2)と(3)が拮抗し竦(すく)み合うことで、(1)の権力が相対的に独立し安定した地平を確保し得る。三国志の蜀を建国できる。ツイッターでも書いたが、80歳の麻生太郎の進退はこの総裁選の決定的に重要な焦点だ。竹中平蔵のネオリベ政策は、この佞悪な副総理・財務相によって9年間予算と法律になって積み上がった。課長補佐クラスが入省したときから、この男が大臣に君臨し続けているのである。河野太郎は仲間を連れて麻生派から抜ける。麻生派の数は半分になる。有力な後継者はいない。派閥は潰れるだろう。

岸田文雄が勝った方がよいと考える理由のもう一つは、岸田自民党の方が衆院選で圧勝しにくいという環境条件の点だ。河野太郎が総理総裁になった場合、またぞろ「改革」熱狂のブームをマスコミが盛り上げ、「清新さ」を強引に喧伝する。新しい時代の到来を狂躁し、河野自民党に異常な高支持率を流し込む扇動が予想される。想像するだけでメンタルが病みそうだが、マスコミはそのイベントを待ち構え、河野新政権の一部になってお祭り騒ぎをやろうと嬉々として準備している。去年の菅政権時と同様、大衆を操作して愉悦する政治アドミニストレーター(⇒管理者)の欲望でハァハァしている。そのグロテスクな事態を憂慮したとき、新総裁は岸田文雄に転んだ方が精神衛生的に許容でき安心できる展開であることは間違いない。マスコミはネオリベ勢力の中核部隊であり、ネオリベ体制を保全する教宣装置だから、脱ネオリベを標榜する岸田文雄には熱狂的な高支持率を供与せず、岸田劇場の演出をしないだろう。ということは、無能な野党でも総選挙でそこそこ議席を拾えるという計算になる。今の野党の憫然(びんぜん)たる体たらくで、河野劇場の祝祭作戦を仕掛けられたら一発で終わりだ。また自民党が大勝して300議席取ってしまう。

枝野幸男に政治センスが致命的に欠如しているという問題は、ブログやツイッターで何度も指摘してきたが、枝野幸男を奉戴し応援しながら、左翼のセンスも麻痺し耄碌してまともな思考力と判断力がなくなった。果たして、左翼は眼前の政治状況を正しく理解しているのだろうか。国民多数は脱ネオリベを希求している。そのニーズに対しては、岸田文雄が餌を撒く素振りを見せている。ここに一つの対立軸ができ、関心と争点のフェーズができている。他方、国民多数は安倍・麻生の旧レジームに辟易して脱却を求めている。そのニーズに対しては、河野太郎が「改革」ラベルの化学芳香剤を散布して大衆を釣っている。ここにも一つの争点ができている。総裁選では、それぞれ、国民の要望に即応した政治の謀計と模索がある。しかるに、野党はどこのニーズに応えて動きを作っているかというと、ジェンダー・LGBT・在日外国人の軸である。自らの政策軸をそのように演出して報道させている。共生・多様性のアイデンティティ・ポリティックスで優位性と差別性を訴求している。時代のトレンドであるSDGsを錦の御旗にした政治戦を設計している。左翼に素朴に尋ねたい。その戦略でどれだけの票を取れるのですかと。

どれだけの支持率が積み上がりますかと。これぞまさにマーケティングのニッチ(⇒隙間)戦略で、市場のマスボリュームを放棄した弱者の戦略ではないか。こんなニッチ戦略で臨みながら、政権交代をめざすなどと、言っていることがあまりに矛盾し倒錯している。甚だしい目的と手段の乖離がある。なぜ、国民の圧倒的多数が切実に求め、岸田文雄も河野太郎もよく提示できてないところの、コロナ対策の具体策で刮目のアイディアを発表し、与党に勝る説得力と政策力を証明しようとしないのか。国民の命をを守ろうとする、本気度と使命感のダイナマイトを爆発させようとしないのか。野党側のセンスとイマジネーションの無さに呆れる。