2021年9月8日水曜日

菅退陣に見る下克上ストーリーの限界 自民党が総裁選で生き返るには

 上久保誠人立命館大学教授が興味深い記事を発表しました。

 同氏は、安倍首相が登場する前の自民党が、自由民主主義国では世界最長の長期政権を築いてきた大きな理由の一つは、時に野党の主張する政策を奪って自分のものにしてしまうという「包括政党」としての政策的な幅広さと多様性だったとして、安倍・菅「一強」体制は、その多様性を認めるという自民党の強さを失わせた結果、人材・政策の「多様性」が失われたと述べています。
 そしていまや「プランB」を持つ党内野党が存在しなくなったため、党内での「疑似政権交代」がなくなり、結果として自民党の対抗勢力は野党ということになったとして、安倍・菅「一強」体制が自民党を弱体化させて「政権交代」の可能性を高めてしまったとしています。
 問題は、野党の実態が「対抗勢力」となるべき条件を備えているかどうかですが、別項の記事で植草一秀氏が指摘するように、現行の枝野氏らの立民党には残念ながらのその資格はありません。
 上久保氏は「あえて皮肉を込めて言えば、安倍・菅一強体制が、政権交代のある民主主義の実現に大きな貢献を果たしたと後世が評価することになるのかもしれない」とまで述べています早くその時代が来て欲しいものです。
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菅退陣に見る下克上ストーリーの限界、自民党が総裁選で生き返るには
              上久保誠人 ダイヤモンド・オンライン 2021/09/07
菅義偉首相が、自民党総裁選に立候補しないと表明した。「延命」のために、直前まで必死に「権力」を振るっていたが、党内から不満が噴出し、ついに「退任」に追い込まれてしまった。これまでの安倍・菅「一強」体制は、逆に自民党を弱体化させてしまっている。ここから自民党は奮起できるだろうか。(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)

権力行使をしてきた菅氏になかった「数の力」
 菅氏が首相就任前に、対立する官僚や政治家を解雇したり干したりできたのは、彼のバックに党内の多数派を掌握し確固たる党内基盤を持った権力者がいたからだ。
 官僚や政治家にとっては、権力者に「忖度」することが重要だった。そうすれば選挙に負けないし、ポストも得られる。だから、菅氏の冷徹な「政治手法」に不満を持つ者はいても、誰も表立って菅氏に楯突こうとしなかった。
 一方、最高権力者である首相になれば、バックには誰もいない。菅首相自身の支持率が下がり、「選挙に勝てない」ことが明らかになれば、誰も言うことを聞かなくなる。首相の最強の権力である「衆議院解散権」を行使しようとしても、止められてしまった。「人事権」を使って脅しても相手にされなくなったのだ。
 要するに、菅首相が官房長官として振るってきた「権力」を、首相として振るえなくなったのは、菅首相自身が、党内に確固たる「数の力」という基盤を持っていなかったからだ。
 そこで、菅義偉という政治家が、「強引な権力行使」という政治手法を取り続けたことを考察してみたい。それは、世襲議員ではなく、裸一貫から首相に上り詰めた経歴からきている。

「仲間」を作らなかった菅氏、「下克上ストーリー」の限界
 菅氏は、政界入りした時、自分が将来首相になると思っていなかったはずだ。
 日本の政界は「逆学歴社会」だ。世襲のお坊ちゃま・お嬢さまを、一生懸命勉強して東大・早稲田・慶応などを卒業した非世襲の政治家や官僚が支える構図である(第233回)。
 菅氏も、自分は世襲議員を支える側とわきまえていただろう。政治改革法案をつぶしたことで有名な小此木彦三郎氏や「大乱世の梶山」と呼ばれた梶山静六氏という「武闘派」を政治の師匠とし、菅氏は「汚れ役」となって成り上がる道を選んだ
 菅氏は、小泉純一郎元首相、安倍晋三前首相という権力者の下で、人事権を行使して改革に抵抗する官僚を容赦なく切り捨てる役割を担い、政界で存在感を示していくようになった。
 その一方で、菅氏は「無派閥」で通していた。仲間を作っていくことは、権力の座に上り詰めるために絶対に必要だ。だが、菅氏はその労力を割かなかった。
 菅氏からすれば、そんな時間があれば、権力者から任された、抵抗する者をつぶす仕事に専念したかったのだろう。むしろ、仲間の存在は邪魔だとさえ考えていたかもしれない。自分が首相になる日が来るはずがないと思っていたので、これは合理的な行動だった。
 菅氏は、「汚れ役」としての役割を全うし、官房長官在任期間は歴代最長となった。毎年約10億~15億円計上される官房機密費や報償費を扱い、内閣人事局を通じて審議官級以上の幹部約500人の人事権を使い、官邸記者クラブを抑えてメディアをコントロールし、官邸に集まるありとあらゆる情報を管理した。官邸に集まるヒト、カネ、情報を一手に握った(第256回)。
 絶大な権力を掌握した菅氏だが、首相就任時、意外なまでの人脈の幅の狭さが明らかになった。最初の組閣・党役員人事で、主要閣僚・役員が安倍政権から留任し、安倍氏の側近、菅氏の初当選同期組、そして小此木・梶山の「2人の師匠」の息子たちが起用された。実に退屈で新味のない布陣となったからだ(第253回)。
 菅氏が「非世襲」「無派閥」であることの限界を示すと同時に、首相になる準備を本当にしていなかったことがはっきりした。そして、これが菅政権の延命を阻む「致命傷」となった。
 何があろうと菅氏を支える「派閥」のような集団があれば、支持率が下がろうとも、むちゃな権力行使は必要なかっただろう。現職の首相が、総裁選立候補断念という異常事態には、至らなかったはずだ。
 要するに、菅氏は「汚れ役」に徹することで、一代で首相にまで成り上がる「下克上ストーリー」を成し遂げたが、最後にはその限界を露呈してしまったということだ。「逆学歴社会」である日本の政界で、非世襲の人材が出世し、首相になって能力を発揮するのは、やはり非常に困難だという厳しい現実を突き付けたといえる。

「安倍一強」を守り、作り上げた菅氏
 菅義偉という政治家が日本政治にもたらしたものを考えたい。なによりも、2012年に誕生した第2次安倍政権で、菅官房長官が果たした役割の大きさは言うまでもない。
 安倍政権は、国政選挙に6連勝して史上最長の長期政権を築いた。また、安倍首相は自民党総裁選でも3連勝している。選挙に圧倒的に強かったのが、安倍政権の特徴だ。一方、その弊害も指摘されてきた。
 安倍政権での菅官房長官の役割は、主に「ダメージコントロール」。情報と資金を自らに集中させて、政敵が台頭するのを未然に防ぐ役割だったといえる。菅官房長官は、安倍首相を支持する党内の「主流派」を党役員・内閣人事や公認権・資金配分において徹底的に優遇する一方で、「非主流派」を徹底的に干した。
 その「非主流派」の代表が、石破茂元幹事長だ。安倍氏が首相に復帰した2012年の総裁選で次点だった石破氏は、最初は党幹事長に就任した。だが、その後「地域創生大臣」に回された後、役職に就くことがなくなった。憲法や安全保障の専門家を自認する石破氏は、現実的な案で実現を目指した安倍首相を容赦なく批判することが多かった。それを煙たがった安倍首相は石破氏を排除するようになったというわけだ(第190回)。
 安倍氏は、主流派とされる派閥にも容赦がなかった。2018年の参院選で、岸田文雄氏の側近・溝手顕正氏が公認されていた広島選挙区に、安倍首相・菅官房長官の「強い意向」で河井案里氏が追加公認された。これには、過去に安倍批判を行っていた溝手氏をつぶすことを狙ったという見方が存在する。そして、後に河井夫妻が実刑判決を受ける大スキャンダルに発展した。
 岸田氏は、安倍政権で外相を務め、「ポスト安倍」の有力候補とみられてきた。だが、2018年の総裁選は、安倍首相の総裁任期満了後の「禅譲」を期待して立候補しなかった(第193回)。
 安倍首相が退任した後の2020年の総裁選には立候補したが、期待した安倍氏の支持を得られず、菅氏に敗れてしまった(第253回・p2)。
 このように、安倍首相・菅官房長官は人事権、公認権、資金配分権を容赦なく使って、非主流派のみならず、主流派までも容赦なく抑えつけて、「一強」と呼ばれる圧倒的な党内権力を築いた
 だが、見方を変えれば、安倍・菅「一強」体制は、実は自民党を弱体化させてきたことがわかってくる。安倍・菅「一強」体制で起きた、自民党の変化を検証したい。

一強の弊害、自民党内の「多様性」を失わせた
 2012年の自民党総裁選では安倍氏を含め5人が立候補した。それ以前も、自民党総裁選では平均3~4人が立候補してきた。だが、安倍政権下では、2015年は無投票再選、2018年は石破氏1人と、立候補自体がほとんどなくなった。野田聖子元総務相など、総裁選への立候補を模索する人を容赦なく妨害して立候補できなくするようなこともあった。
 政策についても、党内から異論が消えた。特に、安倍首相の名前を冠した経済政策「アベノミクス」への批判は難しくなった(第193回・p2)。
 自民党が、自由民主主義国では世界最長の長期政権を築いてきた大きな理由の一つは、時に野党の主張する政策を奪って自分のものにしてしまう「包括政党(キャッチ・オール・パーティー)」としての政策的な幅広さと多様性だった(第218回)。
 三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘のいわゆる「三角大福中」の派閥が血で血を争う権力闘争を繰り広げた時代もあり、政策も派閥ごとに多様性があった。例えば、吉田茂・池田勇人元首相を源流とする「軽武装経済至上主義」、田中角栄を源流とする「利益誘導政治」、鳩山一郎や岸信介の系譜の保守派である。
 派閥が首相の座を争うことは、「疑似政権交代」と呼ばれた。政策志向も、首相によって明確に変わった。政策が失敗し、党が危機に陥った際には、「プランB」を掲げる首相が登場して、党の危機を救ってきたのだ。
「疑似政権交代」は、自民党内の権力闘争と政策論争に国民の関心を向かわせた。野党は「蚊帳の外」となり、「自民党一党支配」の長期政権が実現したのだ。
 安倍・菅「一強」体制は、その自民党の強さを失わせたのではないか。人材・政策の「多様性」が失われた。「プランB」を持つ党内野党が存在しなくなり、党内での「疑似政権交代」がなくなった。自民党のオルタナティブは野党ということになってきた。
 現に、菅政権は、補選や横浜市長選で野党に連敗した。これは、「一強」体制の自民党が、野党に政権を奪われる可能性が出てきたということだ。明らかに、安倍・菅「一強」体制が自民党を弱体化させて、「政権交代」の可能性を高めてしまったのだ。
 あえて皮肉を込めて言えば、安倍・菅「一強」体制が、「政権交代のある民主主義」の実現に、大きな貢献を果たしたと後世が評価することになるのかもしれない。

「プランB」を提言できる政治家が出てくるか
 菅首相の総裁選不出馬表明で、岸田文雄氏、石破茂氏、河野太郎氏、高市早苗氏、野田聖子氏など次々と立候補が取り沙汰されている。しかし、誰が次の首相になろうと、政策の「プランB」がなく、菅政権の政策を国民の不興を買わない形で遂行し、「選挙の顔」になるだけであれば意味がない。短期的には、次期衆院選で過半数を維持できようとも、長期的には自民党の衰退が続くことになるからだ。
 しかし、岸田氏は新型コロナウイルス対策に関する政策を発表した。感染症対応を一元的に担う「健康危機管理庁」(仮称)を設置するほか、国主導で「野戦病院」のような臨時の医療施設開設を進め、「医療難民ゼロ」を実現することを掲げている。
 これは、私が提言してきた「オールジャパンの専門家会議」(第265回)や「自衛隊大規模野戦病院」による医療体制の構築(第283回)に近い考え方で、コロナ対策の「プランB」となり得るものである。
 その他の候補者も、次々と「プランB」を出せば面白い。「一強」体制が終焉し、多様な人材が、多様な政策を訴えて競い合う総裁選になるならば、自民党が本来の強さを取り戻すきっかけとなるかもしれない。