2022年10月3日月曜日

注目の人 直撃インタビュー 経済学の重鎮・野口悠紀雄氏

 現代の経済学では宇沢弘文に代表されるように、理数系を専攻した学者が経済学に転じて画期的な業績を上げるケースが多くなりました。経済学においてもそれだけ数理的解析が重要になっているからでしょう。
 日刊ゲンダイが経済学者の野口悠紀雄氏を「 直撃インタビュー」しました。彼も工学を専攻した後に米エール大学で経済学博士号を取得していて、アベノミクスは「古い産業を維持する」ことが目的で、その結果日本の経済は足腰が立たない状態になったと断定しています。
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注目の人 直撃インタビュー
経済学の重鎮・野口悠紀雄氏「日銀は利上げにカジを切る時、悪影響のない政策はない」
                          日刊ゲンダイ 2022/10/03
■野口悠紀雄さん(一橋大名誉教授)
 急速な円安と物価高が日本経済を侵食している。円相場は1ドル=145円を突破し、政府・日銀は為替介入に追い込まれた。実は、アベノミクスのはるか前から円安誘導は一貫して進められてきた。それは、日本経済に何をもたらしたのか。この先、展望はあるのか ─。経済学の大御所に聞いた。
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 ──この半年で30円もの「スピード円安」が進行し、値上げラッシュも止まらない。足元の日本経済をどう見ていますか。
 経験則から、輸入物価指数が10%上昇すれば、時間を置いて、消費者物価指数が1%上がる。輸入物価が3~4割上昇しているので、消費者物価指数が3~4%上昇するのは十分あることです。4月以降、マイナスが続く実質賃金はさらに落ち込むことになりそうです。

 ──物価上昇率が8%超の米国と比べ、日本は2%台と低い。
 日米でインフレのタイプが異なります。昨年来の米国のインフレはデマンドプル型です。コロナ禍から経済が正常化し、成長率が高まり、賃金が著しく上昇している。そのために物価上昇が起きています。日本は輸入価格の上昇によるコストプッシュ型インフレ。賃金上昇は伴っていません

 ──なぜ、日本では賃金が上がらないのですか。
 企業の付加価値は短期的には為替の影響などで増えたり減ったりしていますが、長期的に見れば増えていない。ほぼ一定です。だから賃金が上がらない。

■足腰が立たない日本経済
 ──企業の利益が増えない要因は何ですか。
 米国の場合、情報処理産業を中心に新しい産業が発達して、長期的に企業の利益が増えています。ところが、日本では成長産業が現れなかった。そういう道を選択したからです。
 ──と言いますと。
 円安に誘導することで、古い産業を維持しようとしたのです。円安によって自動的に輸出企業は儲かるため、企業は技術開発したり、新しいビジネスモデルを構築してこなかった。だから、日本経済の体力が衰えたのです。そして、足腰が立たない状態になった

 ──1ドル=80円台だった2010年ごろ、製造業に従事していました。海外向けの売値が跳ね上がり、非常に苦しかったのを覚えています。日本企業は価格競争では勝てない。高くても売れる高付加価値品で勝負するしかないと言われました。
 日本に限らず、どこの国でもそうです。高付加価値品化を実現したのが、米国であり、韓国です。日本は円安が進行したため、企業があぐらをかき、努力を怠ったのです。

■アベノミクスの本当の目的は古い産業を助けること
 ──円安誘導政策はいつごろからですか。
 90年代半ばから始まり、2000年ごろからは、積極的に為替市場に介入するようになった。13年に導入されたアベノミクスの異次元緩和以降、円安誘導は非常に顕著になったと言えます。

 ──異次元緩和はデフレからの脱却をうたい、2%の物価上昇率を目標に掲げています。
 アベノミクスの本当の目的は、金利を抑えて円安を促進し、古い産業を助けること。物価目標は名目的にそう言っているだけです。事実、消費者物価指数(生鮮食品を除く)の対前年比が28%になっても、日銀は金融緩和を続けています。アベノミクスの狙いが、物価上昇ではなく、円安促進であることが今ハッキリ分かりました。

 ──そもそも金融緩和はすべきではなかった。
 もちろんそうです。大企業や株式を所有している人にとってはプラスでも、国民の大半を占める働く者にとっては良くなかった。賃金が上がらず、物価だけが上がってしまっている。日銀は大企業の利益を重視し、働く者を無視してきました。

 ──国民の中に「円安は良いこと」という認識があったような気がします。
 マスメディアが「円安は日本にとってプラス」という報道でミスリードしたからです。メディアの責任は大きい

 ──民主党政権時代は1ドル=80円台の円高水準でした。
 民主党も一所懸命、円安に誘導しようとしました。大企業の利益を優先し、働く者の立場に立たなかった。自民党政権と全く同じです。

■賃金が安いニッポンには海外人材は集まらない
 ──円安を食い止めるにはどうすればいいですか。先週、政府日銀は24年ぶりに円買い・ドル売りの為替介入を行いました。
 日銀が金利の上昇を容認するしかありません。金利抑制とドル売り介入は矛盾する政策でアクセルを踏みながらブレーキを踏んでいるのと同じです。利上げにカジを切る時です

 ──どの程度の利上げが必要ですか。黒田総裁は、7月の記者会見で「金利をちょこっと上げたらそれだけで円安が止まるとは到底考えられない」と言っています。
 米国との金利差が縮小すれば、円安は止められる。米国の足元の長期金利は3%台。年内、4%も視野に入っている。日本は日本の状況に合わせて利上げする必要があります。

 ──大幅利上げをすれば、日本経済に冷や水となりませんか? 設備投資や住宅ローンへの影響が心配です。
 日本の設備投資はいまや、金融機関からの借り入れよりも内部留保の役割の方が大きいのです。金利に対する感応度は大きくないと思います。住宅ローンには悪い影響があるでしょう。もっとも悪影響がない政策はありません米国ではインフレ抑制を最重要目的として、株価下落を承知で、利上げを重ねているのです。

■分野に既得権があり、経済の変化を阻止している
 ──スイスがマイナス金利政策から脱し、主要中銀では日本だけになりました。22日の金融政策決定会合後の会見で黒田総裁は、「2~3年は利上げしない」といった趣旨の発言をしています。円安進行は家計以外にどんな影響がありますか。
 大企業が恩恵を受ける一方で、中小零細企業は壊滅的です。4~6月の法人企業統計によると、資本金が5000万円未満の企業は、営業利益や経常利益、さらに従業員数も減少している。コストアップを価格転嫁できていないからです。中小零細企業は価格面で譲歩してでも、取引を続けることを優先させる傾向があるためです。

 ──ドル建ての賃金低下が深刻です。1ドル=140円なら、日本の平均賃金は年3万ドルとなり、90年ごろの水準に戻る計算です。
 日本が門戸を開けば、海外から人材は集まってくると思いがちですが、そうはいかなくなる。高齢化が進み、海外からの介護人材の確保が必要ですが、賃金が安い日本には来なくなります。介護だけでなく、ITの人材やさまざまな分野の専門家も日本に来ません。そうした現象はすでに起きていますが、いっそう深刻になる恐れがあります。

 ──円安誘導を止めることに加え、経済を好転させるには何が必要ですか。
 経済成長の主体は企業です。企業が新しいビジネスモデルと技術を開発して、付加価値を増加させて賃金を上げていくことです。

 ──政府が取るべき経済政策は何ですか。
 政府は新しい技術産業が生み出される条件を整えるべきです。あらゆる分野に既得権があり、経済の変化を阻止している。規制を緩和し、既得権を打破することが重要です。補助金など余計なことはしなくてよい。 (聞き手=生田修平/日刊ゲンダイ)

のぐち・ゆきお 1940年、東京生まれ。東大工学部卒業後、大蔵省入省。米エール大経済学博士号を取得。一橋大教授、東大教授(先端経済工学研究センター長)、スタンフォード大客員教授、早大大学院ファイナンス研究科教授などを歴任。専門は日本経済論。〈超」整理法〉を考案し、シリーズはベストセラー。「円安が日本を滅ぼす」(中央公論新社)、「どうすれば日本人の賃金は上がるのか」(日経プレミアシリーズ)など著書多数。