2022年10月10日月曜日

統一協会 安倍元首相と深いきずな 開祖供養行事で新たな祈り指示(しんぶん赤旗)

 統一協会は、安倍氏が銃撃された7月8日から15日後に、丁度文鮮明の没後10周年の供養期間中であった信者に対して、亡くなった安倍元首相にも祈りをささげるよう指示するメッセージを出していましたまた今年7月の参院選で第1次安倍政権で首相秘書官を務め自民党比例区の井上義行候補(現議員)を応援するように求めるメッセージを信者たちに送っていました。
 これらは安倍氏と統一協会が深いきずなで結ばれていたことを示すものです。しんぶん赤旗が報じました。
 記事中に登場する梶栗正義氏は現在国際勝共連合会長と世界平和連合会長を務め、自民党下野中の10年8月には安倍晋三氏の事務所を訪れ面識を得て、12年には安倍夫妻と一緒に高尾山登山(今井元総理補佐官も同行)もしています。
 それとは別に、柳 錫氏が「統一教会・文鮮明 “お言葉集” 」の中から岸信介、安倍晋太郎に関する部分をピックアップした記事を発表しました。それによると文鮮明は中曽根首相のあとは安倍晋太郎が首相になるものと確信していたようで、そうならなかったことに憤激しています。少なくとも岸信介や安倍晋太郎には特別の親近感を持っていました。
 韓国内限定で日本語訳は全く考えていない全615巻選集ですが、それだけに本音が書かれていて、文鮮明が日本の首相たちをどう見ていたかが分かります。
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徹底追及 統一協会
安倍元首相と深いきずな 開祖供養行事で新たな祈り指示
                       しんぶん赤旗 2022年10月9日
 統一協会(世界平和統一家庭連合)と安倍晋三元首相の関係について、岸田文雄首相は調査を拒否しています。ただ安倍氏との“きずな”は、統一協会内で周知の事実でした。信者らが見聞きした癒着の実態とは―。(統一協会取材班)
 安倍氏が銃撃されたのは7月8日。当時、統一協会は開祖、文鮮明の没後10周年の特別な供養期間中でした。事件の15日後、特別供養に新たな祈りを加えるよう信者に指示を出しました。
 「食口(シック=信者のこと)が安倍元首相のご冥福と日本が一つになることを祈る」と。
 子どものころから両親に信仰を強要されてきた元2世信者は、「政治家の冥福を祈るという指示は初めてみました」と驚きます。


(写真)統一協会は文鮮明を供養する特別の期間中に、亡くなった安倍元首相にも祈りをささげるよう信者に指示しました

担当者に注意
 安倍氏と統一協会の関係はいつ頃から深まったのか―。
 安倍氏は官房長官だった2006年5月下旬、集団結婚式を兼ねて開かれた「天宙平和連合(UPF)祖国郷土還元日本大会」に祝電を送りました。UPFは統一協会の開祖文鮮明の妻韓鶴子が総裁のダミー団体です。安倍氏は「岸信介元総理大臣のお孫さん」と紹介されました。
 ただ当時の安倍氏は、現在ほど統一協会と密接な関係があるとはみられていませんでした。実際、祝電を送ったことについて安倍氏は「誤解を招きかねない対応であるので、(事務所の)担当者によく注意した」とのコメントを出しています。祝電はまずかった、というのです。
 ところが安倍氏は昨年9月に、同じUPFが韓国で開いた大会にビデオメッセージを送ります。ここで安倍氏は「演説の機会をいただいたことを光栄に思います」と述べ、こんな発言をしました。
 「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」

返り咲く前に
 かつては秘書を注意したのに、一転して自ら韓鶴子総裁を大絶賛したのです。
 この変化の裏に何があったのか―。
 安倍氏は06年9月に初めて首相に就任したものの、わずか366日で退陣に。09年には自民党が政権から滑り落ちました。再び安倍氏が首相についたのは12年12月です。
 統一協会関係者は言います。「国際勝共連合の梶栗正義会長が、安倍氏が首相に返り咲く前に接点をもっていた。うまく協会とつないだのだろう」。勝共連合とは統一協会の政治組織です。
 ジャーナリストの鈴木エイト氏が入手し、全国霊感商法対策弁護士連絡会に提供した資料によると、梶栗氏は昨年10月に統一協会の日曜礼拝でこんな裏話を披露していました。
 ― 安倍氏以外の首相経験者3人にアプローチしたが「布教のために利用したいだけでしょ」と断られた。安倍氏との信頼関係は一朝一夕でできたわけではない
 権力の座からすべり落ちていた安倍氏に対して、政権復帰前から接触してきたことが功を奏した形です。

安倍氏側近の選挙応援 “志を共にしている政治家”
本部のメッセージ 本紙入手
 昨年9月、UPFの大会で、安倍氏のビデオメッセージを見た信者たちはどんな反応をしたのか ―。
 統一協会の日曜礼拝で梶栗氏は、こんな自慢話をしています。
 ― 信者や教会長が「うわーこれどうなっているんですか」「何が起こっているんだ」「すごいことだ」と大騒ぎになった。

“親密さ”強調
 さらに梶栗氏はビデオメッセージが、「日本の再建のために信頼して一緒にできる団体はどこか」と安倍氏が統一協会に信頼を寄せる内容だったと説明。信者に統一協会と安倍氏の“親密さ”を強調してみせました。
 事あるごとに安倍氏との近い関係をひけらかす統一協会。内部で信者は安倍氏をどう見ていたのか ―。
 信者の両親を持つ元2世信者は、「信者だったときは安倍元首相を『統一協会を応援する人』『善なる人』ととらえていました。安倍氏の祖父である岸信介元首相、父親の安倍晋太郎元外相についても協会で教わりました」と証言します。
 統一協会は安倍氏側近をも選挙で支援しました。今年7月の参院選で自民党比例候補だった井上義行議員です。井上氏は、第1次安倍政権で首相秘書官を務めました。派閥は安倍派です。一部報道では安倍氏側が統一協会に井上氏の支援を依頼したとされています。
 本紙は統一協会本部が井上氏の応援を求めて信者たちに送ったメッセージを入手しました。
 メッセージでは統一協会の理想世界を実現する「重要な取り組みとして、私たちと志を共にしている政治家の井上よしゆき先生を応援しています」と強調しています。
 そして井上氏が安倍氏の首相秘書官だったことを紹介し、「井上先生をぜひ共に応援していただきたい」と要請。協会ダミー団体「世界平和連合」が主催する井上氏と青年代表とのトークセッションに参加するよう求めています。


(写真)7月の参院選で自民党の井上義行議員を応援するよう信者に求めた統一協会のメッセージ

役職者が指示
 実際、統一協会元信者らからは、井上氏を応援するよう求められたという証言が相次いでいます。ある信者は井上氏を応援するよう協会の役職者から指示をうけたといいます。元2世信者は「信者の母親から電話で井上氏への支援を求められた」と語ります。
 統一協会は安倍氏を最大の「広告塔」として使い、安倍氏側は統一協会を選挙の手足に使った ―そんな癒着の実態が浮かび上がります。
 安倍事務所に、安倍氏側が統一協会に井上氏の支援を要請したか質問しましたが、回答はありませんでした。


 統一教会・文鮮明“お言葉集”発掘
「安倍晋太郎は私と契約書を書いた」「福田赳夫と中曽根は私首相にした」
                     柳 錫 文春オンライン 2022/10/06
                         週刊文春 2022年9月29日号
 「文鮮明先生말씀(マルスム)(み言葉)選集」という本がある。そこに収録されているのは統一教会(現・世界平和統一家庭連合)を創設した文鮮明氏が遺した独善的な“お言葉”の数々だ。
                 ◆ ◆ ◆
膨大な量の“お言葉集”を韓国で入手
 1961年から2010年頃まで不定期に発行された選集は、全615巻。全て韓国語で編まれている。版元は韓国・ソウルにある教団傘下の出版社だ。韓国在住の元信者が解説する。
 1冊あたり300ページから400ページ。印刷部数は限られていて、入手は困難です。現在はコアな信者のみが所有しています。全巻を揃えている信者は限りなく少ないと思われます」
 統一教会の日本本部によると、韓国の信者向けに作られており、日本語版はないという。筆者は今回、膨大な量の“お言葉集”を韓国で入手した。
 主な内容は文氏による説法等の発言だが、その中に日本の政治家との繋がりを語っている箇所がある。韓国限定で発刊された冊子ということもあり、そこで語られているのは日本国内には漏れ伝わってこない放言のオンパレードである。
岸(信介)首相は霊界に行っていますが(亡くなっているの意)、その次に福田(赳夫)首相です。福田は、私が首相にさせたのです。中曽根(康弘)も私が首相にしたんです(98年6月10日/294巻)
私たちの計画通り踊らせる
 まるで日本の歴代首相が自分の掌中にあったかのような口ぶりである。
 文氏が日本の政界に食い込んでいく原点は、統一教会が日本で宗教法人の認可を受けた64年に遡る。同年11月、教団は本部教会を世田谷区下北沢から渋谷区南平台に移転。その場所こそ、安倍晋三元首相の祖父・岸信介氏の私邸の隣。57年から60年の岸内閣時代に首相公邸として使われた建物でもあった。
 統一教会と岸氏の間を取り持ったとされるのが、戦前に右翼政治家として活動した日本船舶振興会会長の笹川良一氏。2人はA級戦犯の容疑者として収監され、親密な関係を築いていた。
 68年、文氏は日本と韓国で反共産主義の政治団体「国際勝共連合」を結成。日本の名誉会長に就任したのが笹川氏だった。
 日本の統一教会系出版社が発行した「日本統一運動史」によれば、岸氏は73年4月、本部教会を訪れてこう話したという。
「笹川君が統一教会に共鳴してこの運動の強化を念願して、私に、君の隣りにこういう者が来ているんだけれども、あれは私が陰ながら発展を期待している純真な青年の諸君で……」
 文氏はこう明かしている。

日本の政治、政界の有力者である首相の岸信介という人を(略)笹川のじいさんと組ませて、私たちの計画通り踊らせるようにしておいたんですよ(69年5月12日/160巻)
 勝共に賛同した岸氏の自民党派閥を源流とし、後に清和会(現・安倍派)を立ち上げたのが、福田赳夫氏だ。福田氏は大蔵大臣だった74年5月7日、来日中の文夫妻が出席した晩餐会でこう挨拶したとされる。
「アジアに偉大な指導者現る。その名は“文鮮明”である」(前出・「日本統一運動史」)

日本の次期首相は岸氏の娘婿である晋太郎氏だと信じていた
 福田政権の発足はこの2年半後のことである。
 福田氏と同様に文氏が私が首相にしたと主張するのが中曽根康弘氏だ。
 中曽根政権下の86年7月、自民党は衆参同時選挙で衆院の獲得議席が300を超える圧勝を果たす。文氏は、その半数近くが自分の支援した議員だと言い張る。
中曽根の時は(略)、130人の国会議員を当選させ、20ある国会の委員会のうち、13の委員会の長は、私が立てた人になりました(04年9月16日/468巻)
 だが一方で、中曽根氏についてはこうも語る。
中曽根が私の世話になっておきながら私に嘘をついて、日本の国会を台無しにしたんですよ(91年2月2日/214巻)

 87年10月、中曽根氏の総裁任期満了にあたり、安倍晋太郎氏、竹下登氏、宮沢喜一氏が自民党の次期総裁に名乗りを挙げた。だが総裁選は行われず、中曽根氏が後継者の指名権を掌握。竹下政権が誕生した。いわゆる「中曽根裁定」だ。
 文氏は日本の次期首相は岸氏の娘婿である晋太郎氏だと信じていた。選集では、実現しなかった理由を中曽根氏が金に転んで裏切ったためと主張している。

首相を200億で売られた
本来は中曽根が中心になって、安倍晋太郎という人が(次の)首相になることになっていました。ところが、首相を選ぶ5分前に、200億(注・単位不明)で売られたんです(同前)
 晋太郎氏とはこんな“契約”を交わしたと暴露する。
安倍晋太郎は私と契約書まで書いたのです。これを発表すると、世の中がひっくり返ります。その時の約束はというと、自分が首相になれば、80人から120人の国会議員を連れて漢南洞(文氏の自宅があったソウルの地名)を訪問するということでした(95年10月22日/273巻)
 岸氏の系譜にあり、福田氏から清和会領袖の座を継いだ期待をかける人物晋太郎氏が日本の宰相になれなかったことがよほど悔しかったのか、文氏は後年も中曽根裁定への恨みをしつこく繰り返している。
(晋太郎氏は)自分が首相になるためには、夜も眠らずに中曽根の金玉を握って寝なければならないのに、勝手をして売られました。中曽根の後継者は誰になったっけ? 竹下か誰か(04年7月31日/463巻)

脈々と続いてきた自民党と統一教会の近すぎる関係
 文氏は92年3月20日に栃木県内で起きた金丸信・自民党副総裁(当時)銃撃事件にも言及。
金丸は私と会う約束をして招聘した人です。約束した1週間後に銃撃事件が起きたのです。(中略)5メートルの距離で3発撃たれた銃弾は、体に1つもすれ違うことなく、どこかに行ってしまいました。その人が死んだら、私は日本に入れないのです(92年4月3日/228巻)
 84年に米国で脱税の実刑判決を受けた文氏は本来、入管法の規定で入国できなかった。だが、政界の実力者だった金丸氏の働きかけで、92年3月26日、文氏は超法規的に来日を果たしている。前出の銃撃事件は、90年の金丸訪朝を“土下座外交”と見なした右翼団体の男に至近距離から発砲されたものだが、金丸氏は無傷だった。

 それから30年後。金丸氏と同じく至近距離から放たれた凶弾に斃れたのが、岸氏の孫であり晋太郎氏の息子・安倍晋三氏だった。文氏は、晋三氏についてこう触れたことがある。
私に後援して欲しいということです。日本の官房副長官(当時)が安倍晋太郎の息子なんですよ(03年1月17日/402巻)
 登場人物が悉く故人となっている今、選集に残された発言の真偽を確かめることは困難だが、教団の信者にとっては事実として認識されているのか。統一教会に聞くと、こう回答した。
「語られはしたものの、実現していないものは総裁の発言に過ぎず、信徒にとっても歴史上の事実とは認められていません」
 教祖が遺した言葉の数々は、脈々と続いてきた自民党と統一教会の近すぎる関係を示唆している。