櫻井ジャーナルが掲題のリベラル派に対して辛口の記事を出しました。
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ウクライナの戦乱であぶり出され、注目されているリベラル派と左翼の実態
櫻井ジャーナル 2022.10.15
ウクライナは戦乱の只中にある。そうした中、突如「侵略」を批判し始めた「リベラル派」や「左翼」が注目されている。ベトナム戦争が終結した後、沈黙していたからだ。平和になったからではない。侵略、破壊、殺戮、略奪に反対する声がか細くなったのである。
第2次世界大戦の前、アメリカの支配層が海兵隊を使って侵略戦争を行っていたことはスメドリー・バトラー海兵隊少将が告発している。1933年から34年にかけてウォール街の大物がフランクリン・ルーズベルト大統領が率いるニューディール派の政権をクーデターで倒そうとしていたことをバトラー少将は議会で証言した。ニューディール派の政策が巨大資本の利権にとって好ましくないからだ。
第2次世界大戦後の1948年にアメリカの強大な私的権力は破壊活動を目的とした極秘機関OPCを創設、52年にはこの機関が中心になり、CIAの内部に「計画局」が作られ、クーデターで民主的に選ばれた政権を倒していく。
例えば1953年にはイラン、54年にはグアテマラ、60年代になるとキューバの革命政権を倒すための工作を繰り返し、ベトナム戦争の際には共同体の破壊を目的とした住民皆殺し作戦のフェニックス・プログラムを実行している。1960年代から80年代にかけてはイタリアで極左を装い、爆弾テロを繰り返した。1973年にはチリで軍事クーデターを実行、中米では1970年代から80年代にかけて現地の軍人などで「死の部隊」を編成して民主化勢力を弾圧、エル・サルバドルではカトリックの大司教も暗殺している。
1970年代からアフガニスタンの体制を破壊するため、CIAはムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を訓練、「ムジャヒディン(イスラム戦士)」として送り込んだ。この侵略戦争を西側の有力メディアは「良い戦争」として描いていた。1980年代にはアメリカ/NATOとソ連が核戦争の寸前まで行った。
1991年12月にソ連が消滅してライバルがいなくなると、ネオコンは他国に気兼ねすることなく侵略できる時代になったと判断、実際に戦争を始める。まず狙われたのが旧ソ連圏で、ユーゴスラビアが先制攻撃で解体された。イラクを破壊するために「大量破壊兵器」という偽情報を世界に広め、2003年に先制攻撃している。
21世紀に入ってロシアが曲がりなりにも再独立すると、再び属国にしようと画策し始める。NATOの東への拡大という形で侵略戦争を進め、アメリカの思い通りにならないビクトル・ヤヌコビッチを排除するため、2004年から05年にかけて「オレンジ革命」を仕掛けて政権を奪取した。
大統領に就任したビクトル・ユシチェンコは新自由主義的な政策を推進し、富は国外の私的権力へ流れ、その私的権力に協力した一部の人間が巨万の富を築いた。その一方で大多数の国民は貧困化、2010年の大統領選挙でもヤヌコビッチが当選する。
カラー革命は通用しないと判断したのか、2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使った暴力的なクーデターをアメリカのバラク・オバマ政権は実行、ヤヌコビッチを排除した。
ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の人びとはクーデターを拒否、クリミアはロシアと一体化する。オデッサでは反クーデター派の住民をネオ・ナチの一団が虐殺、東部のドンバスではロシア政府が支援の手を差し延べなかったことから内戦になる。
ウクライナ軍の少なからぬ将兵がクーデターを拒否したこともあり、内戦はドンバスが優勢。そこでアメリカ/NATOは話し合いで時間稼ぎしつつ、兵器の供給し、兵士を訓練して戦争に備えた。オバマ政権で副大統領だったジョー・バイデン大統領は就任早々、ロシアに経済戦争を仕掛け、軍事的な挑発を繰り返した。そして今年2月にロシア軍がウクライナに対する軍事作戦を始めたわけだ。西側の「リベラル派」や「左翼」の間で「戦争反対」の声が高まるのはそれからである。
反戦運動が展開されたベトナム戦争の時にも、長い沈黙の時期があった。そうした運動が盛り上がるのはテト攻勢があった1968年1月からだろう。
その前年、まだ「リベラル派」や「左翼」が沈黙していた1967年4月、ニューヨークのリバーサイド教会で「ベトナムを憂慮する牧師と信徒」が集会を開き、「沈黙が背信である時が来ている」と訴えた。その訴えに賛意を示したひとりがマーチン・ルーサー・キング牧師だ。その時、「なぜ私はベトナムにおける戦争に反対するのか」という話をしている。
ロン・ポール元下院議員によると、キング牧師の顧問たちはベトナム戦争に反対するとリンドン・ジョンソン大統領との関係が悪化すると懸念、牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたという。それが「リベラル派」や「左翼」の実態だった。そうしたアドバイスを牧師は無視して戦争に反対すると宣言したのだが、その丁度1年後にキング牧師は暗殺された。
アメリカ政府を批判したキング牧師は殺されたが、ロシア政府を罵倒する限りは安全だ。