2022年10月29日土曜日

中国民衆は抵抗闘争と政権交代を-胡春華が逮捕処刑される前に(世に倦む日々)

 中国共産党大会で胡錦涛が退席させられた事件は、ハプニングではなく周到に演出された政治劇であり、胡錦涛の追放と共青団派の一掃を露骨に示威するのが習近平の狙いで、今後行われる恐怖政治を印象付けるためのものであるとして、そのシーン見せつけるために外国報道陣を入れたのに違いない、と世に倦む日々氏は見ています。

 共青団系のホープである胡春華国務院副総理)を党政治局から追い出して失脚させることと、胡錦涛を大会議場で物理的に排除することの二つはセットで、習近平による上からのクーデターであり、独裁権力を固めるための陰険な見せしめの粛清政治で、党大会後、各省各市の党内国務院各部署で、粛清の嵐が吹き荒れ、胡錦涛・胡春華の系統の共青団派の技術官僚が一掃され、すべてを茶坊主の官邸官僚が密室で決めるという、習近平一強独裁モードになっている
 それは毛沢東時代への忌まわしい先祖返りではないか。無残としか言いようがない。こんな政治をしていれば、間違いなく中国社会は劣化して国力は衰退する。国家は自滅に向かう。市場経済・市民社会との間で軋轢が生じ、収拾できない混乱の事態になる。そのことが習近平には理解できてない。それは習近平の知能が低く、毛沢東思想に惑溺する時代錯誤のカルト脳で、毛沢東への強烈な崇拝と憧憬があり、逆に鄧小平に対する怨恨と復讐の執念があるからだ、と世に倦む日々氏は酷評しています。
 習近平権力地位保全のため、嘗ての毛沢東のように次々と政敵の攻撃に出るなら、それは毛沢東の不毛の「政治闘争」の再現であり、経済の指導と操縦は非合理的で歪んだものに失敗ばかりとなる。民衆の不満はつのり、不満を代弁する党員と知識人「外国のスパイ」のレッテルを貼って次々と抹殺するのが、習近平3期目の主要な仕事になるのではないか
 何ともおぞましいことで、毛沢東の死没と共に雲散霧消すべきであった筈のものが見事に再現されるということです。毛沢東の死後いっとき彼への批判が起きましたが、それは不徹底のままで終り 結局こういう形で復活しようとしています。
 ところでタイトルの意味ですが、「胡春華の逮捕処刑。それは十分考えられる最悪の事態だろう。習近平独裁に反対する人々にとって、現在、対抗勢力の希望の星となるシンボルは胡春華だろう。それはすなわち習近平にとって邪魔な存在で、嘗ての毛沢東にとっての劉少奇と鄧小平の役回りである。このまま降格や左遷で済むとは思わない」という結びの言葉でそれは明瞭です。
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
中国民衆は抵抗闘争と政権交代を - 胡春華が逮捕処刑される前に
                      世に倦む日日 2022年10月27日
中国共産党大会で胡錦涛が退席させられた事件は、ハプニングのように見えて、周到に演出された政治劇であり、胡錦涛の追放と共青団派の一掃を露骨に示威する習近平の権力差配だったと考えられる。カメラが入る前、胡錦涛は党決定案の採決時に何か - おそらく人事 - に反対し、異論を唱えて壇上から同志に訴えたか、動議を提出しようとして揉め、議長である総書記がそれを却下阻止して、議長権限で議場から強制退去させる指示を出していたのだろう。その進行(胡錦涛の覚悟の叛乱)が予め想定される出来事だったから、排除する場面を映像に撮って流させようと陰謀を画策し、ジャストのタイミングで外国報道陣を入れたのに違いない

共青団系のホープである胡春華を党政治局から追い出して失脚させることと、胡錦涛を大会議場で物理的に排除することの二つはセットで、習近平による上からのクーデターであり、独裁権力を固めるための陰険な見せしめの粛清政治に他ならない。スターリン的で、毛沢東的で、北朝鮮的なグロテスクな暗黒政治の一幕だ。おそらく、党大会後、各省各市の党内で、そして国務院各部署で、粛清の嵐が吹き荒れ、胡錦涛・胡春華の系統の共青団派のテクノクラートが一掃されるだろう。北朝鮮で張成沢が失脚させられた2013年末の政変のときも、張成沢に連なる幹部が続々と処刑され、一派が「反党反革命分派」のレッテルを貼られて指弾、残酷な粛清劇が続いている。

今回、党中央政治局常務委員のいわゆるチャイナセブンは、悉く習近平の茶坊主だらけとなり、全く中身のないシャンシャン機関と化した。意思決定は形式だけのものとなり、内部での討議や多数決の要素は消滅した。象徴的で明示的なのは、党序列ナンバー2で首相に任命されると予想されるポジションに、腰巾着の筆頭で国民から嫌悪・軽蔑されている無能の上海市書記の李強を据えたことだ。近藤大介がコメントしていたが、習近平が浙江省書記だったときの秘書長を務めていた腹心である。こんな男が国務院の総理になる。国務院が形骸化するのは当然で、恐ろしい影響が出るだろう。社会科学院とアカデミーも同様の運命を免れない。北朝鮮化する。

近藤大介らの解説によると、すでに中国共産党の中では各重要政策やテーマ毎にそれを審議し方向性を出す小組が出来ていて、そこを習近平の子分が仕切っていると言う。小組政治が動いている。文革・四人組時代の「革命委小組」と同じだ。忌まわしい先祖返りではないか。ということは、国務院各部の政策決定機構も有名無実化し、さらに、中国共産党の政治局や政策研究室も政策の関与から外れている実態を意味する。日本の安倍政治と同じで、霞が関各省庁は政策立案の実権を失い、自民党政調も安倍天皇の言いなりで、政策と予算と人事は茶坊主の官邸官僚が密室で決め、安倍晋三がお友達を集めた審議会でオーソライズしていた。今、中国が同じ一強独裁モードになっている。

無残としか言いようがない。こんな政治をしていれば、間違いなく中国社会は劣化して国力は衰退する。国家は自滅に向かう。市場経済・市民社会との間で軋轢が生じ、収拾できない混乱の事態になる。そのことが習近平には理解できてない。なぜ理解できないかと言うと、習近平の知能が小学生レベルで、そして、毛沢東思想に惑溺する時代錯誤のカルト脳だからだ。今月号の文藝春秋に西村豪太(東洋経済新報)が寄稿しているが、その中で、中国の知識層の間で習近平について「小卒の指導者」という陰口が流行している件が紹介されている(P.162)。この指摘は、2年ほど前に興梠一郎が発していた。まともな教育を受けておらず、正規の教育課程での知識の習得と蓄積がない

だから常識と理性がない。その代わりに、毛沢東への強烈な崇拝と憧憬があり、遠藤誉が指摘するような鄧小平に対する怨恨と復讐の執念がある。われわれは、習近平を理解するために、もう一度毛沢東の思想と人格を復習し、当時の中国社会や中国の深層(いわば執拗低音)を知る必要があるだろう。毛沢東は、西洋的な知識や教養にコンプレックスは持っていたが、コミットせず、その価値を否認する態度が顕著だった。中国古来の皇帝独裁制への志向と欲望を持ち、すなわち、価値を天下に発信し、価値を整序する絶対的主体は天子たる自分だと考え、それを外部に押しつけ、部下と民衆に忠誠を強要していた。北朝鮮の現在の政治思想と政治制度の実相を見れば分かりやすい。

カリスマ性がなく、実績がなく、したがって権威の実体がない習近平が、党規約を改正して「権威づけ」など噴飯で笑止ではないかとわれわれは思う。そんなハリボテ政治が通用するはずがないと、中国の市民一般も考えているだろう。だが、それが貫徹して「権威づけ」が成功した例が東アジアの現代史に実在する。北朝鮮の金正日だ。捏造された歴史ではあるが、抗日解放闘争の英雄(白頭山の虎)という伝説で粉飾された父・金日成は、北朝鮮国民が権威を承認する根拠を持っていた。だが、息子の金正日は頭も悪くルックスも醜く、荒淫と米国映画鑑賞以外に趣味のない無能であり、権威などどこにもなかった。しかし、二代目わがまま暴君の「権威づけ」は事実として成功し定着している。

習近平は それを見ているのであり、権威など、暴力による恐怖と上からの思想統制でどうでもなるものだと考えているのだろう。権威は「政治工作」で簡単に創出でき、既成事実化できるものだと決め込んでいる。金日成の英雄神話と同様、毛沢東の中国革命の指導者偶像というのも、その仔細内実を検証してゆけば相当怪しくなり、また、金正日など足元にも及ばない好色無頼が毛沢東の実像だった。始皇帝だの煬帝だのの中国古代の暴淫皇帝のビヘイビアモデルがスライドされていた。儒教の徳治の意義を崇めつつ、それが権力者に内面化されず、それとは矛盾する動物の獣性が爆発暴走し、人間の本能欲望の極限形態を追求するのが中国史のパラドクシカル⇒逆説的なな姿である。そしてまた、荒廃の中で再び内省と倫理を説く知識人が登場する。それが反復する。

北朝鮮も、金日成から金正日に世襲継承された当初は、金正日に服従しない一部が反乱を起こし、暗殺未遂事件なども起きていた。だが、すべて鎮圧され、粛清と弾圧の連続で根絶やしにされ、今日の無風の王朝国家が築き上がっている。習近平はその経験を学び、別に自分にカリスマなどなくても、権威なるものは暴力と統制によって醸成され盤石に固まるものと思っているに違いなく、北朝鮮の「成功方式」どおりに着々と政治を前に進めているのである。前回も述べたとおり、習近平の信念と理想は毛沢東の政治にあり、地上のモデルは北朝鮮にある。われわれの常識感覚ではそれはカルトの極致だが、毛沢東を信奉する習近平はそうではない。われわれと鄧小平系の中国人にとって粛清は疎んじるべき悪だが、習近平はそうではない。

今後、中国で予想される変化は、これまで長く続いた経済中心の考え方が揺らぎ、崩れ、入れ替わりに国家防衛が第一の動機と命題になる展開である。これまで、中国には自由はないけれど、経済が成長し、個人生活が豊かになっているから国民が満足し、社会が安定しているのだと説明され、一般に了解されてきた。中国共産党の第一の使命は経済成長と民富増大であり、指導部はそこに責任を賭け、心血を注ぎ、知恵と資源を投じ、政府は確かな成果を上げて約束を果たしてきた。そこに中国の人民と共産党との黙契があった。それが鄧小平路線だった。おそらく、それが変容し、経済成長は第一の命題ではなくなり、指導部と政府は経済にセンシティブ⇒敏感ではなくなる。代わって、外国のスパイ狩りみたいな安保問題が最大の課題と関心になるだろう。

経済第一主義で動き、富と豊かさを激しく求め、経済的欲望の充足と生活レベル向上に貪欲に没頭し邁進している今の中国人が、生き方と価値観を変え、政府にGDP指標以外の目標達成を求める図など、到底想像できない姿である。だが、習近平にはそれは不自然な想定ではない。不満を言う者は叩き潰して排除すればよいのであり、中国全土を新疆ウィグル自治区のようにすれば治安管理でき、国家に必要な安定は得られる。そういう単純で野蛮で原始的な思考を習近平は持っていて、その自信と勝算で動いている。習近平には、2049年までにアメリカを超える強国になるためには、市民社会と市場経済が発展して、ハイテク含めた民間企業の力がアメリカのそれを追い越す必要があるという理解がなく、その前提条件が何かの正しい認識がない

北朝鮮方式で強権弾圧をやっていれば、経済が萎縮し低迷するという発想がない。否、習近平には、経済成長よりも全体主義的秩序の方が重要で、そちらの方が価値と優先度が高いのだ。おそらくこれから、習近平は権力の地位保全のため、嘗ての毛沢東のように次々と政敵の攻撃に出ると思われる。今後の中国共産党の経済の指導と操縦は、北朝鮮と同じく非合理的で恣意的で歪んだ愚策になるはずで、そうなると、当然、結果は失敗ばかりとなる。民衆の不満はつのり、不満を代弁する党員と知識人が党内とアカデミーに出現する。それらに「外国のスパイ」のレッテルを貼って次々と抹殺するのが、習近平3期目の主要な仕事になるのではないか。それは毛沢東の「政治闘争」の再現であり、習近平にとってその遂行は最高の自己満足のプロセスに違いない。

やや先走った過激な予測と提起で躊躇を覚えるのだけれど、中国の市民に要望したいのは、胡春華が逮捕処刑される前に、1976年の四五天安門事件のような争議行動に立ち上がり、習近平独裁を倒して政権交代を果たすことである。当該事件の後、不倒翁鄧小平は三度目の復権を果たし四人組を追い落とした。胡春華の処刑など、現在はとても想定できない異常図である。だが、10年前、習近平がルールを破って終身独裁に歩を進め、恩義のあるはずの胡錦涛を辱めて懲罰追放に出る悪魔になるとは誰も思わなかった。15年前の習近平はただの鈍牛で、江沢民が胡錦涛の牽制に使うべくポストに置いたところの、図体がでかいだけの無害な木偶人形に過ぎなかった。習近平は何をするか予測できない。想像もできない苛烈な権力政治を平気でやる。純粋に、予兆なしに毛沢東と北朝鮮の模倣をする。

胡春華の逮捕処刑。それは十分考えられる最悪の事態だろう。習近平独裁に反対する人々にとって、現在、対抗勢力の希望の星となるシンボルは胡春華だろう。それはすなわち習近平にとって邪魔な存在で、嘗ての毛沢東にとっての劉少奇と鄧小平の役回りである。このまま降格や左遷で済むとは思わない。劉少奇はリンチを受けて最終的に殺害された。