2015年3月16日月曜日

川崎大空襲を知る記録展

 川崎市は1945年4月15日の夜、1万2千発以上の焼夷弾で焼かれ、10万人を超える市民が被災し、全半壊した家屋は千戸以上に上りました。
 その空襲を写真などで振り返る記録展「私たちのまちに『空襲』があった」が14日、川崎市平和館で始まりました。
 会場は、空襲を受けた街の写真や市民から寄贈された資料など約90展示されました
 記録展は日まで開かれます。
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川崎大空襲を知る 中原で記録展
東京新聞 2015年3月15日
 一九四五年四月の川崎大空襲を写真などで振り返る記録展「私たちのまちに『空襲』があった」が十四日、川崎市平和館(中原区)で始まった。初日は空襲体験者による語り継ぎや子どもの学習発表会もあり、戦後七十年の節目に平和への思いを新たにした。
 
 川崎大空襲は四五年四月十五日午後十時すぎにあった。一万二千発以上の焼夷(しょうい)弾が落ち、十万人を超える市民が被災。全半壊した家屋は三万三千戸以上に上ったとされる。
 
 会場では、空襲を受けた街の写真や市民から寄贈された資料など約九十点を展示。戦時中、川崎には軍需工場が集中していたことをパネルで説明し、一面焼け野原となった市中心部や破壊された工場を写真で紹介しているほか、召集令状や千人針など戦時下の生活が分かるものも展示している。
 この日はオープニングイベントとして、同市中原区の中野幹夫さん(79)が大空襲の体験を語った。家族と防空壕(ごう)に逃げ込んだ時の恐怖や、街が炎に包まれた様子を話し、「焼夷弾が降る『ザー』という音や燃えさかる紅蓮(ぐれん)の炎は忘れられない。戦争は恐ろしい。二度としてはいけない」と呼び掛けた。
 市立東住吉小の児童たちは、空襲の歴史や平和について学んだことを一人一人発表した。「皆が笑顔でいられるように、小さい争いからなくしていきたい」「過去は変えられないが、未来は変えられる。戦争の恐ろしさを学んで次につなげたい」と感想を語った。
 
 記録展は、五月六日まで。問い合わせは平和館=電(433)0171=へ。(横井武昭)