戦後営々と歩んできた平和国家のあしどりが、いま一人の人間とそのグループによって強引に変えられようとしています。
しかもそれは国内での議論を尽くしてのものでも、国民の合意を図ってのものでもありません。肝心なところになると舌先三寸のゴマカシと言いくるめ、更には問答無用の強引さで、ことが進められようとしています。
そんなときにメディアが目を瞑り、口を閉ざしていてよいのでしょうか。
今や「メディアの使命」というのは空語になっているのでしょうか。
東京新聞の一記者が署名記事で敢然と安倍晋三批判の記事を書きました。
他のメディアも大いに見習って欲しいものです。
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「不安倍増」 略して「安倍」? 【私説・論説室から】
東京新聞 2015年3月11日
人間のすることとは思えない行為を、さも平然と行う。中東や北アフリカでの過激派組織の蛮行は冷酷非道、無慈悲といった言葉しか見つからない。
しかし、この一見平和に思える日本においても、忍び寄る不気味な不安を感じる。軍靴の音が近づいてくるような、暗い時代に向かっていく恐怖である。その正体は無論、現政権がつくり出す危うい雰囲気による。
「決めるのは私だ」「この道しかない」などと異論を許さず、道理や機微が通じない。狡猾(こうかつ)で専制的。首相は昨年十一月の衆院解散を消費税増税先送りを問うためと言った。アベノミクスが争点とも強調した。なのに選挙の大勝が判明した途端、安保法制を含む政策全般が「国民の信を得た」と言ってのけた。
そんな詭弁(きべん)は子どもの教育に悪いからやめてほしいが本人は本気のようだから恐ろしい。一内閣の判断で戦争への道を暴走しているかのごとくだ。このままでは国防軍になった自衛隊が他国や武装勢力と戦火を交え、血が流れる。若者らに犠牲が出る。過激派の憎悪を煽(あお)り、日本が、国民がテロの標的になる。
3・11から四年。「汚染水はアンダーコントロール」と東京五輪招致活動で国際社会に大うそをついてからも一年半。事態は改善しないのに原発再稼働、原発セールスである。息苦しさの中で戯(ざ)れ言が聞こえた。「不安倍増」、略して「安倍」だと-。 (久原穏)