新潟水俣病3次訴の訟判決に対して、新潟日報が「国は積極救済に踏み出せ」とする社説を掲げました。
今年公式確認から50年を迎え、新潟水俣病に関する国の関与や原因究明の妨害などがこれまで色々と報じられてきたのにもかかわらず、いまだに国の責任を認めない判決は意外でした。
原発の運転差し止めなどの裁判がそうであるように、国と対立する問題ではほとんど国側の立場に立ってきた裁判のあり方が、ここでも繰り返されました。
判決には一部前進面も見られましたが、認定の仕方を含めてまだまだ患者の救済には程遠いものであり、救済を急ぐべきであるとしています。
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(社説) 新潟水俣病判決 国は積極救済に踏み出せ
新潟日報 2015年3月24日
被害の発生、拡大をなぜ防げなかったのか。これが大きな争点だった。司法は行政の責任を認めなかったのだ。
高度成長の負の遺産として、新潟水俣病が公式確認されてから半世紀がたつ。その節目に言い渡された判決は、原告側にとって厳しい内容になったといえよう。
新潟水俣病の未認定患者ら11人が国と県、原因企業の昭和電工(東京)に損害賠償などを求めた第3次訴訟の判決で、新潟地裁は国と県に対する請求を棄却した。
1992年の第2次訴訟1陣判決以来、新潟水俣病では23年ぶり3度目の司法判断である。
審理の中で原告側は、65年の新潟水俣病の公式確認以前でも、国や県は工場排水を規制し、汚染された魚を捕食しないよう行政指導すべきだったなどと主張した。
これに対し、判決は「それまでに国や県は患者の発生を認識していなかった」などと述べ、違法性は問えないと判断した。
行政側の責任を認定した熊本水俣病の2004年最高裁判決とは結論が分かれた。「第2の水俣病」を招いた責任を問う難しさがあらためて示された。
ただし今回の判決は、昭和電工について、水俣病の発生源となったチッソ水俣工場と同種工場であるとの認識を、国は1959年に持っていたと認めてもいる。
本紙の情報公開請求では、公式確認以前に国が6社6工場を調べ、水銀を検出していたとする文書の存在が明らかになった。
さらに新潟地裁で係争中の第5次訴訟でも、同じような文書が原告の求めに応じて、国側から証拠として提出されている。
国が第2の水俣病発生を予見できたことを裏付ける資料だと言えるのではないか。
こうした証拠が加わり、評価されていれば、今回の判決で違う判断もあった可能性はあるだろう。
一方で、判決は、審理中に水俣病と認定された1人を除く原告10人のうち7人を患者と認めた。
昭和電工に対して、原告1人当たり330万円、または440万円(総額2420万円)の支払いを命じている。
原告は県内の40~80代の男女で、祖父母や父母に認定患者がいる人が中心だ。全員が水俣病の典型的な症状である手足の感覚障害を訴えている。
被告側は「別の病気の可能性がある」と主張したが、判決は過去の最高裁判決に沿って「生活歴など疫学的な知見を総合的に考慮し、判断すべきだ」と判断した。
水銀摂取から40年以上たった後に症状が出る遅発性水俣病の存在を認め、汚染魚などを食べた母親の胎内での影響も考慮した。
これらは、これまでの新潟水俣病訴訟の判決であまり言及されてこなかったが、それでも弁護団が不満とする点もある。
原告が患者であるか否かの判断について、原告の同居家族に認定患者がいるかどうかに寄り掛かりすぎているとの指摘だ。
被害者の苦しみは続いている。より広い認定の枠組みを考えて、救済を急がねばならない。