鳴門海峡を眼下に望む南あわじ市の景勝地大見山に、太平洋戦争で犠牲となった学生約20万人の追悼施設「戦没学徒記念 若人の広場公園」が建設されたのは1967年(昭和42年)でした。
その後1995年の阪神淡路大震災で被害を受けたため閉館・休園していましたが、21日に約20年ぶりに開園するのに合わせ、新たな平和のシンボルとしてブロンズ像「わだつみのこえ」が同園の管理棟に設置されます。
ブロンズ像「わだつみのこえ」は、戦没学生の手記「きけわだつみの声」の刊行収入を元手に、1950年に本郷新氏によって制作された像と同種類の作品で、未来を失った若者の無念と平和の尊さを訴えています。
「わたつみ(わだつみ)」は“海神”を意味する古語ですが、同書の出版後は戦没学生をあらわす言葉になりました。
ところで最近の若者たちは必ずしも平和志向とは言い切れず、自民党は選挙権が18歳以上に下がることをもって、9条改憲を目指す自分たちに有利だと考えているほどです。
戦後70年、メディアの姿勢がかつてとは全く変わってしまったのですから、若者たちの感覚が変わったとしても当然のことかもしれません。
しかしかつての同世代「わだつみのこえ」の訴えだけは、なんとか伝わって欲しいものです。
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平和誓う「わだつみの像」を設置 戦没学生追悼施設 南あわじ
神戸新聞 2015年3月6日
太平洋戦争で犠牲となった学生約20万人の追悼施設「若人の広場公園」(兵庫県南あわじ市阿万塩屋町)が21日、約20年ぶりに開園するのに合わせ、新たな平和のシンボルとしてブロンズ像「わだつみのこえ」が設置される。戦没学生の手記の刊行収入を元手に、1950年に制作された像と同種類の作品。終戦から70年の節目に、未来を失った若者の無念と平和の尊さを訴える。
広場は1967年に財団法人「動員学徒援護会」が建設。広島平和記念資料館(広島市)などを手掛けた建築家丹下健三氏(1913~2005年)が設計した。利用低迷や阪神・淡路大震災の被害などで約20年間、閉鎖状態が続いたが、福良湾や鳴門海峡を眼下に収める眺望の良さを生かし、市民や観光客の憩いの場として南あわじ市が再整備した。
わだつみ像は1949年に刊行された戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」の収入を元に、彫刻家の本郷新氏(1905~80年)が制作した。戦争の犠牲にならなければ存在した青年の美しい肉体がモチーフ。拳を握り締めるしぐさなどで若者の怒りや悲しみ、煩悶を表現した。
設置予定だった東京大学が拒否したため、53年に立命館大学(京都市)が構内に設置。69年に学生運動の中で破壊され、注目を集めた。平和への願いが共感を呼び、全国には同じ像が7体ある。
今回新たに制作された像は高さ78センチ、重さ約5キロ。公園の管理棟2階展示・研修スペースに設置する。園内の記念塔下部には淡路島最高峰の諭鶴羽山で若者らが起こした「永遠の灯火」をともす。市は「犠牲になった若者の無念を次代に伝えるのは私たちの責務。わだつみのこえ像を中心に共感の輪を広げたい」としている。(長尾亮太)
「若人の広場公園」に設置される像「わだつみのこえ」と
同じ種類のブロンズ像=京都市北区、立命館大学
「若人の広場公園」 平成23年(休園中)