2015年3月20日金曜日

驚くべき三原じゅん子議員の「八紘一宇」発言

 世の中には、立場や場所をわきまえずに口にしたらその人の全人格が否定されることになる言葉とか考え方があります。
 もしもドイツの国会議員が議場で「優生学」の正当性を滔々と述べたとしたらどうなるでしょうか。多分狂人に近い評価を受けるでしょう。それが600万人とも1100万人ともいわれるナチスのホロコースト:ユダヤ人犠牲者を生み出すのに援用された理論だからです。
 
 しかしそれと全く同じことが日本の参議院で起きました。
 三原じゅん子という自民党の議員が議場で堂々と「八紘一宇」という思想を称揚する演説を行ったのです。
 「八紘一宇」は、「大東亜共栄圏」や「五族協和」などと並んで戦前に朝鮮、満州、中国、更には東南アジアに向けて日本軍が侵略するのを支えた理論でありスローガンでした。
 そして結果として日本人300万人余の犠牲者に加えて、東南アジアの人々に1000万人を超える犠牲者を生み出したのでした。
 
 「八紘一宇」は、まともな日本人であれば罪の意識からとても口には出来ない「血塗られた言葉」であって、そんなことを広言する国会議員を擁しているならば、アジアの人たちに一体どう言い訳が出来るのかという問題です。
 
 しかしながら何故か国会ではそれほど問題にされていません。そのうえ書き込みサイト:2chなどでは、いわゆるネット右翼によって三原順子の「八紘一宇」賛美を応援し、正当化する書き込みが連なっているということです。心の凍りつくような風潮です。
 
 天木直人氏は19日のブログで、「三原じゅん子の『八紘一宇』発言を見逃してはいけない」とし、言語道断の発言、この一言だけで即刻議員辞職ものだと述べました。
 
 哲学者の山崎行太郎氏は政治ブログ『毒蛇山荘日記』で、17日~19日連続で同議員の発言を「無知無学蒙昧」などと批判する記事を掲げました。
 
 また元法政大学教授で大原社会問題研究所所長でもあった五十嵐仁氏は、18日付で下記のブログを発表しています。
 
「政治家の劣化を象徴するような三原じゅん子参院議員の愚劣な国会質問」 
                             五十嵐仁 BLOGOS 2015年3月18日
 
 五十嵐氏のブログは紙面の関係でURLのみを表示しました(上記)ので、どうぞクリックして記事にアクセスしてください。
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三原じゅん子の「八紘一宇」発言を見逃してはいけない
天木直人 2015年3月19日
 三原じゅん子という国会議員が3月16日の参院予算委員会で八紘一宇という言葉を持ち出して、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」であると言ったらしい。
 この国会発言が事実なら、大問題である。
 なぜならば、その発言は、歴史を聞きかじった不正確な発言であるだけではなく、いま国際的に懸念されている日本の政治の右傾化に直結する言語道断の発言であるからだ。
 
 三原じゅん子はれっきとした自民党の国会議員だ。
 なぜこの発言が国会で大問題にならないのか。
 安倍自公政権はこの発言を許すのか。
 なぜ日本の戦争責任を反省する護憲政党はこの発言を問題にしないのか。
 なぜメディアはこの問題の深刻さを国民に教えないのか。
 そう思っていたら、やっときょう3月19日の東京新聞が「こちら特報部」でとり上げ、朝日新聞が「ニュース3Q]というコラムで取り上げた。
 すなわち、「八紘一宇」の言源は古く8世紀の日本書紀の記述にあるが、「八紘一宇」という言葉そのものは田中智学(1861-1939)という宗教家が1913年に使った造語であり、1930年代から満州国支配やアジア侵略を正当化する標語として軍部に使われた言葉であると。
 だからこそ戦後は一貫してこの言葉は否定され、昭和天皇も中曽根大勲位さえも忌避してきた言葉であると。
 
 三原じゅん子はこの一言だけで即刻、議員辞職ものだ。
 安倍首相がこの三原じゅん子を放置するならその歴史認識は同類だということだ。
 それほど深刻で言語道断な発言であるのに、誰も騒がない。
 この国は、政治家から国民まで、歴史に無知、無関心な、未来の見えない国だ。
 それでいいのか(了)
  
 
無題
哲学者山崎行太郎『毒蛇山荘日記』 2015年3月17日
「八紘一宇」とは何か?三原じゅんとかいう、いかにも最近の自民党の「無知・無学・蒙昧」を象徴するよような議員が、「八紘一宇」という言葉を使って、意気揚々と国会質問か何かをやったそうである。馬鹿を言うのも休み休みにしろ、とでも言いたいところだが、そもそも「八紘一宇」という言葉を、軽々しく口にすること自体が、不謹慎である。「八紘一宇」という言葉には、日本国民の血と涙がこもっている言葉である。
三原じゅん子は、「八紘一宇」は「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」(?)などと言ったらしいが、戦時中の聖戦イデオロギーであったということなど知らないらしい。もちろん、日本の「大切な価値観」などというものではないだろう。要するに、賛否は別としても、たかが「芸能人崩れ」のネット右翼以下の馬鹿政治家などに軽々しく使って欲しくない言葉だ。
 
 
無題
哲学者山崎行太郎『毒蛇山荘日記』 2015年3月18日
「三原じゅん子的なもの」とは何か? 私は、「八紘一宇」という言葉を、無邪気に、肯定的に使う「三原じゅん子」になんの関心も興味もない。しかし「三原じゅん子的なもの」が、自民党政権内部に蔓延しているとすれば別である。曽野綾子の「アパルトヘイト」発言や麻生太郎の「憲法改正はナチスに学べ」発言と並んで、勉強不足も甚だしい奇怪な発言である。
「三原じゅん子的なもの」とは何か。単なる「無知無学蒙昧」である。「八紘一宇」という言葉を深い熟慮もなしに国会という場所で無邪気に発言する鈍感さ。私は、残念ながら、現在の自民党政権の内外には、安倍晋三や麻生太郎等を筆頭に、「三原じゅん子的なもの」が蔓延しているのだろうと思う。
三原じゅん子の「八紘一宇」発言に、早速、韓国政府が反応したようだが、私は、韓国政府の反応(批判)にも関心はないが、しかし、韓国政府に、安易な批判を許すような軽率発言を、繰り返す自民党の政治家たちにも、失望、落胆する他はない。政治家たちの「無知無学蒙昧」は、確実に亡国につながるからだ。日本よ、あるいは安倍自民党政権よ、大丈夫なのか?鯛は頭から腐るというが、安倍自民党政権は、頭から腐りかかけているのではないか?それとも、もう腐った後なのか?
(以下は有料ブログのため非公開)
 
 
「三原じゅん子」の「八紘一宇発言」を擁護するネット右翼の心理と論理
哲学者山崎行太郎『毒蛇山荘日記』 2015年3月18日
予想通り、「三原じゅん子」の「八紘一宇発言」は、各所で批判され炎上しているらしいが、これまた予想通り、「三原じゅん子」発言を弁護するネット右翼のお粗末な「三原じゅん子擁護論」も活発化しているらしい。その種の擁護論を二、三読んでみたが、あまりに次元が低すぎて論評する気にならない。
私は、八紘一宇という言葉や概念を、さらには大東亜戦争そのものを、一部の古典左翼のように、頭から否定・嘲笑しようとは思わない。しかし、今、八紘一宇や大東亜戦争を、語り論じるには、それなりの覚悟と見識が必要だろうと思う。なんの熟慮もなしに、つまり無知無学のまま、不用意に発言すれば、国際社会から風呂だたきに会うことは当然だろう。
「三原じゅん子」やネット右翼の連中、あるいは安倍政権の閣僚たち、にその覚悟と見識があるとは思えない。
(以下は有料ブログのため非公開)