「防衛装備品移転三原則」と聞いて直ぐに「武器輸出三原則」のことと分かる人は、余ほど時事ニュースに強い人か安倍政権の狡猾さをよく知っている人です。
かつて軍部と政府は「戦争」を「事変」と呼んで対中国戦争突入をカムフラージュしましたが、安倍政権もその「騙しのテクニック」を縦横に駆使しています。
「存立事態」、「新事態」、「武力攻撃事態」などと聞きなれない言葉が次々に登場しますが、安倍内閣が「事態」というのは「戦争のはじまり」ということです。「新事態」とは日本が攻撃を受けないときでも戦争が始められる事態のことです。ほかに「武力攻撃予想事態」や「重要影響事態」というのもあります。これだけの品揃えがあればいつでも戦争が出来るというわけです。
旧帝国陸軍といえどもここまでは考えていませんでした。ということは安倍内閣はいま国民を欺きながら史上空前の好戦国家を作り出そうとしているわけです。
旧帝国陸軍といえどもここまでは考えていませんでした。ということは安倍内閣はいま国民を欺きながら史上空前の好戦国家を作り出そうとしているわけです。
五十嵐仁氏が10日、「昔は『事変』で今は『事態』というのが国民を騙すためのテクニック」とするブログを発表しましたので紹介します。
同じ日村野瀬玲奈氏も、「政治における日本語は死んだ。日本人は日本語に殺されることになる。(2)」を発表しました。彼女は言葉もさることながら、政府が論理的に間違っているセンテンスあるいは言い回しを平気でしていることを批判しています。(1)も紹介すると長くなるのでURLの紹介に留めました。
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昔は「事変」で今は「事態」というのが国民を騙すためのテクニック
五十嵐仁 転成仁語 2015年3月10日
「満州事変」という出来事を覚えていますか。1931年9月18日に中国東北部(旧満州)での柳条湖事件を契機に始まった侵略戦争です。
それは関東軍の列車爆破という謀略事件による戦争の始まりでした。しかし、当時は「満州戦争」とは言われずに「満州事変」として発表されたのです。
「戦争」なのに「事変」と言われました。言葉の言いかえによって、戦争に巻き込まれることを心配する国民の不安や警戒心を薄めようとしたからです。
同じような言葉の言いかえによる騙しのテクニックは、その後も様々な形で用いられました。戦争に敗北して「退却」することを「転進」と表現し、部隊の「全滅」は「玉砕」という美しい言葉によって誤魔化されたのです。
今また、同じような騙しのテクニックが用いられるようになってきています。「武器」は「防衛装備品」、「輸出」は「移転」と言い換えられ、「武器輸出三原則」による原則禁輸は「防衛装備品移転三原則」によって原則自由とされました。
そして今、「事態」という言葉の氾濫によって、「戦争」であることが誤魔化されようとしています。国民を騙して煙に巻くための新たなテクニックの登場です。
武力攻撃事態や武力攻撃予測事態、緊急対処事態、周辺事態などという言葉はこれまでもありました。現在進行中の集団的自衛権行使容認のための安保法制整備に関する与党協議の中で、これに加えて存立事態や重要影響事態などという言葉が登場し、存立事態という名称はわかりにくいからということで白紙に戻して「新事態」という言葉に変えるなど、「事態」「事態」の大売出しです。
これで国民に理解されるのでしょうか。国民の理解を得ることよりも、このような言いかえの氾濫によって国民を騙そうとしているのではないでしょうか。
政府は昨年7月の閣議決定で、憲法9条の解釈を変更しました。日本が直接攻撃を受けていなくても、「密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由などの権利が根底から覆される明白な危険がある場合」などの新3要件を満たせば、「自衛の措置」としての集団的自衛権の行使が可能だという方針を打ち出したからです。
政府は与党協議会でこの3要件を満たす「新事態」を新たに規定し、自衛隊法と武力攻撃事態法に盛り込む方針を伝えています。武力攻撃事態とは別に「新事態」を設ける理由について「新事態と武力攻撃事態は重なることがあるが、(日本への武力攻撃があるかないかの)評価の軸が異なる」と説明されています。
ここに言う「武力攻撃事態」は日本が「武力攻撃」を受けた場合で、それに反撃すれば戦争になります。「新事態」は日本が攻撃されていなくても、新「3要件」を満たせば反撃できますから、やはり戦争に加わることになります。
どちらの「事態」も戦争の始まりを意味しています。前者は武力攻撃を受けた場合、後者は武力攻撃を受けていない場合で「密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由などの権利が根底から覆される明白な危険がある場合」などの新3要件を満たした場合です。
つまり、ここに言う「事態」とは戦争の始まりです。しかも、後者の場合には、日本が攻撃されていなくても、一定の条件が満足されたと判断されれば戦争に加わることができるようになります。
その条件を判断するのは政府です。国会での承認が条件とされていますが、緊急の場合には事後承認となるでしょうし、現在のような「一強多弱」国会では事前承認であっても何の歯止めにもならないでしょう。
言葉の言いかえによって国民を欺くというやり方で、戦前の軍部は国民を騙して戦争へと引きずり込んでいきました。今また、言葉の言いかえによって国民を欺くというやり方で、安倍政権は与党の公明党や国民を騙して戦争に引きずり込もうとしています。
「日本を取り戻す」と言っていた安倍首相は、かつての軍部が駆使した「騙しのテクニック」をすでに「取り戻した」ようです。今日の政治指導者は、この点でかつての軍事指導者と同様の誤りを犯そうとしています。
騙されてはなりません。もしそうなれば、またもや「騙されたことの責任」を私たちも問われることになるでしょうから……。
拙著『対決 安倍政権―暴走阻止のために』(学習の友社、定価1300円+税)、3月1日刊行。
政治における日本語は死んだ。日本人は日本語に殺されることになる。(2)
村野瀬玲奈の秘書課広報室 2015年3月10日
『政治における日本語は死んだ。日本人は日本語に殺されることになる。』という記事の続き。自民党政権政権、日本政府が発する言葉はもはや意味をなしておらず、その無論理性、非論理性は日本人を殺す刃となるだろう、という現実についての例を追加しましょう。
その一。「他国『軍』に対する援助を『非軍事』分野に限って認める」というODA方針の転換について。
「他国『軍』に対する援助を『非軍事』分野に限って認める」という言葉のおかしさに気づかない人が今の日本の政権政党の政治家の大部分、ひょっとしたら日本人の大部分なのでしょうか。このような言葉はまさに日本語を殺し、日本語そのものを無意味なものにします。こういう日本語解体、日本語の無意味化は兵器そのもの、武器そのものとちがって目に見えませんが、兵器や武器そのものと同じように危険です。このような非論理的な言葉を平気で使う権力者たちが言葉をもてあそびながら軍事行動を拡大していけば、法規範も何もなく、破滅するまでだらだらと軍事行動を拡大していくことが予想されます。
その二。「武力攻撃受けていなくても防衛出動」という言葉もめちゃくちゃです。ただただ戦争をしたいという欲望しかありません。
「武力攻撃受けていなくても防衛出動」という言葉がもはや「防衛」を逸脱していることを理解できないのなら、日本語の崩壊は重篤な状態になっています。
その三。「存立危機事態」という言葉も登場しました。そんな言葉、上にも示したように論理性のない自民党政府が勝手に判断することですから、定義として全く意味をなしません。
このように次々と繰り出される無意味な「概念」やでたらめな論理や矛盾だらけの言葉は、議論を無意味なものにし、政治を無意味なものにします。そして、日本語は自公政権という独裁的政権の方便になりさがります。というか、日本語はすでにそのように成り下がりました。そのようなでたらめな言葉で操られる政治はでたらめなものでしかありえません。そのでたらめな政治は日本国と日本人をさらなる危険、死の危険に導きます。
日本におけるその死の危険とは、たとえて言えば、スピードメーターとブレーキをはずした車を、「俺は酔っていない。スピード違反もしないし、停車すべきところは停車する」と呂律の回らない言葉で主張する酔っ払いが運転していて、それに無理やり同乗させられている、そんな状態のことです。
そういえば、「積極的平和主義」という安倍語もありましたね。あれも矛盾だらけの言葉でした。
『政治における日本語は死んだ。日本人は日本語に殺されることになる』とますます強く思います。日本人は死んだ日本語を生き返らせることができるでしょうか。祈るような思いでこんなメモを作り続けています。
(ツィッター記事の挿入がかなりありますが全てカットしました)
政治における日本語は死んだ。日本人は日本語に殺されることになる(1)