2018年5月1日火曜日

感動の板門店橋上の説得ドラマ - 信じることの大切さを教えた文在寅 (世に倦む日々)

 安倍首相は27日の南北首脳会談について、記者団に「南北首脳会談はわれわれが決めていたラインにのっとって行われたことが確認できた」と述べました。何故そんなことが平気で言えるのか、何とも理解しがたいコメントです。
 それに対してトランプ大統領はツイッターで、韓国の文在寅大統領について「a long and very good talk(長くてとても優れた弁舌)」と賞賛のコメントを送りました。率直な賞賛で、誰もが納得できるものです。
 
 この画期的で感動的な成果は、平昌冬季五輪開会式に北朝鮮金永南最高会議委員長と金正恩氏の 金与正を派遣した際に、文在寅夫妻3日の滞在中つきっきり対応し、金与正氏を主役にしつつ南北宥和に向けての雰囲気を盛り上げたことに端を発しています。「世に倦む日々」氏はそのときのことを、
平昌五輪を舞台にした南北融和のドラマが演じられた。金与正ドラマの主人公とし、この10年、特に延坪島砲撃事件後は厳しい緊張と対立が続いていたのを、一瞬のうちに国家トップ間で雪解けを生じさせ、盧武鉉時代の頃の関係までに引き戻してしまった(文在寅氏は南北宥和派であった盧武鉉氏の秘書を務めています)」と述べ、しかもそれは、
核ミサイル問題で米朝の対立が極限まで緊迫し、国連の中でも北朝鮮が孤立無援状態になった時期のことで、文在寅の胆力と技量に感心させられた。よく一瞬の機会を捉え、電光石火の早業で南北融和の政治をもたらしたものだ。南北統一を願い、関係改善を果たそうと心に秘めつつ、雌伏してきた盧武鉉直系の執念が爆発している(要旨)
と高く、熱く評価しています
    ⇒ (2月13日)  北の核を非難する資格はない日本 
 この文大統領の勇気を持った決断が、結局トランプ氏が賞賛する成果につながったのでした。
 
「世に倦む日々」氏が「感動の板門店橋上の説得ドラマ - 信じることの大切さを教えた文在寅」とするブログを発表しました。
 
 あの青い橋の途中に設けられた休憩席で二人きりになってから、文大統領が30分以上にわたって金正恩氏を説得している(かのように見える)シーンを解説する内容になっています。多分、米朝会談に対するアドバイスがあったのではないかと見られていますが、「世に倦む日々」氏は、文在寅氏はあそこで、「本物の金正恩の人物像を示そうとしたのであり、北朝鮮という闇の国の独裁者も一人の若い男で、大人の説得には真摯に耳を傾けるのだということを、だから対話には意味があるのだということを世界に証明しようとし」のだとしています。
 そして「(文在寅氏の)表情は見えなかったが、どれほど言葉を尽くして懸命に相手を説得しているかが伝わり、見ながら昂奮が高まって仕方がなかった。これこそが政治家の姿だ」と述べています。
 
 同氏は2月13日以降も南北宥和に関するブログを発表していますが、今回のブログはその完結編に当たります。
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感動の板門店橋上の説得ドラマ - 信じることの大切さを教えた文在寅 
世に倦む日々 2018年4月28日
正直、焦点になっている「北朝鮮の非核化」の分析など、もうどうでもいい気分になった。会談で決まった中身がどうとかは些細な問題であって、27日の板門店会談の意義として歴史に残るものではないからだ。86年のレイキャビク会談も、結果がどう発表されたかはよく憶えていない。憶えているのはあのときの感動で、それは思い出すたびに熱く甦ってくるし、報道で回顧されるときも二人の膝詰め交渉のドラマが語られる。ゴルバチョフの熱意と誠実さが語られる。レイキャビク会談も、そのときは、欧州中距離核の配備全廃を合意できず失敗に終わった会談だった。だが、映像を見た世界中の人々に感動を呼び起こし、必ず米ソが合意し、次の大きな平和の合意に至るだろうという将来を予感させた。ゴルバチョフはそれを実現する能力と資質を持った政治家だと確信した。昨日(27日)の板門店会談は、レイキャビク以来32年ぶりに出現した巨大な外交ドラマだった。まさに、平和の交渉の理念型を文在寅は世界の人々の前で証示し、伝説として残した。あの青い徒歩橋は観光名所になるだろう。 
 
午後4時半に松の植樹のセレモニーがあり、その後、二人が徒歩で小径を散策する場面に移行した。テレビ中継の案内を聞くかぎり、それは普通の首脳会談でよくあるパターンの絵作りで、報道用のパフォーマンスが始まったかのように見えた。だが、坂の上から階段を降り始めたあたりから、少し様子が違うなという気配になり、注視している記者もその異変に気づき、NHKやTBSの放送でも言葉になった。中身のない宣伝用の絵を撮らせているのではなく、重大な会話がされているということ、文在寅の方が金正恩に多く語って説得に努めているらしい状況が察せられた。そのことは、T字の青い橋を左折して、奥に用意されたテーブルに二人が腰掛けて話し始めてから、さらに明確に分かるようになった。テーブルに着席して30分以上も話し込むということは、誰も想定していなかった展開だ。話がどんどん具体的になり、何か提案が示され、その提案に応じるようにと、文在寅が諄々と説いていることは誰の目に明らかだった。金正恩の顔つきが次第に変わり、表情が真剣になって行った。中継のカメラは文在寅の背中だけを映し、金正恩を正面から捉える角度に固定されていた。
 
まさにドラマの進行そのもの。ときどき、カメラが引いて遠景から撮る構図になり、そのときは小鳥の鳴き声がマイクに入り、画面が静かな森の木立の空間になった。それもこれも、文在寅が周到に考えた作為の演出だったと想像する。文在寅がこの外交で提示したかったのは、本物の金正恩の人物像であり、北朝鮮という闇の国の独裁者も一人の若い男で、大人の説得には真摯に耳を傾けるのだということを、だから対話には意味があるのだということを世界に証明したのである。そのプレゼンテーションに成功した。後ろ姿だけの文在寅だったが、背筋がピンとして上体は静止したまま動かず、ときどき手を動かして政治の説得をしていた。表情は見えなかったが、どれほど言葉を尽くして懸命に相手を説得しているかが伝わり、見ながら昂奮が高まって仕方がなかった。これこそが政治家の姿だ。たぶん、映像を見たメルケルも私と同じ感想を抱いただろう。共同宣言の文言以上に意味が重いのは、あの橋の上で長時間行われた、胸襟を開いての膝詰め談判が世界に与えた印象だ。こんなことができるのは文在寅だけだ。まさしく、太陽政策の思想が首脳交渉の現場で外化された現象形態と言える。
 
文在寅は、身をもって太陽政策を実践した。南の国民は北にどう接するべきなのか、国際社会の一人一人は北朝鮮に対してどう向き合い、どう働きかけ、どう変えないといけないのか、そのことを全身を使って教えたのである。虚心坦懐に、果敢に、誠実に、粘り強く対話を試みれば北朝鮮はどう変わるか、そのことを、30分間の金正恩の表情と態度の変化で教えて見せたのだ。テレビで生中継して、嘘偽りなく真実を教えたのだ。素晴らしい。素晴らしいとしか言いようがない。まさに政治の芸術。夜の晩餐会のとき、金正恩はシャンペンで酔っていた。疲労がありありと浮かんでいた。若いのに、疲労したのは文在寅ではなく金正恩の方だった。だが、それはよく分かる。金正恩は疲れただろう。おそらく、あれほどの真摯な説得を受けたのは初めての経験なのだ客観的で精密な論理を駆使した知的説得を受け、それに向き合い、引き込まれ、相手の話を聞いて自分の頭で考え、北朝鮮の今後を考え、それを言葉で返し、大脳がくたくたになったのだろう。このような説得や献策は、北朝鮮では誰からも受けることはないのだ。粛清を恐れて阿諛し忖度する部下たちの話を、ただ傲慢に笑い捨てて聞き流すことしかやっておらず、それで済んでいるから、普段、大脳の思考回路を使ってない。
 
生涯初めて思考を重ねる疲労を体験した金正恩は、おそらく、文在寅のことを信頼し尊敬するように変わるだろう。反共のレーガンと側近たちも、ゴルバチョフの人格に感銘を受け、ソ連首脳部を信用する方向に変わって行った。金正恩も、文在寅の助言に従った方が、自分たちにとって利益になると考えるように変わるだろう。自分にとって必要で有益な人間だと判断し、素直に提案を受け入れるようになるだろう。前日26日、この首脳会談の準備委員長であり大統領秘書室長の任鍾晳(イムジョンソク)は、会談の成果の見通しについてこう述べている。「(北朝鮮の)明確な非核化の意思を明文化することができれば、これが朝鮮半島での完全な非核化を意味することを正確に確認できれば、会談は大変な成功を収めると思う」と。この発言は、27日の共同宣言の文言である「完全な非核化により、核のない朝鮮半島の実現という共通の目標を確認した」が、前日26日の段階ですでに成果として固まっていて、事前に合意されていたことを意味する。その上で、「それをどのような表現で明文化できるかが難しい部分」と言っていて、もっと濃くて重い表現にするべく、韓国側が働きかけを続けており、当日の直接交渉に賭けていた事情が窺える。
 
文在寅は、その詰めの交渉を橋の上の会談で行っていて、金正恩に対して渾身の説得を試みていたのだろう。金正恩は首を縦に振らなかった。世界が納得し満足する核放棄のコミットは、あくまでクライマックスである米朝会談で切り札として提出するからであり、それは米国による体制保証との交換カードであって、この非核化外交の主導権を韓国に簡単に渡さないためだ。あの40分間の二人だけの密談は、その「非核化」をめぐる攻防こそが本題だったと推測できる。結果的に、共同宣言の文言は、北朝鮮の非核化への期待で盛り上がっていた一般の感覚からすると、やや物足りなさを感じる淡泊な表現になった。無論、非核化の大胆な決意表明を求める文在寅の説得は、朝鮮戦争の終結や平和協定の構想とも密接にリンクしていて、具体的なアイディアや工程も文在寅から示されたと思われる。また、そのときに米国と中国がどう反応するかとか、彼らをどう動かすかという展望と予測も語られたはずだ。外交情報は韓国(文在寅)の方が多く持っている。密室の北朝鮮に入る情報は限られている。金正恩が初めて聞くようなインテリジェンスが提供されたに違いなく、だからこそ、金正恩がどんどん真顔になって説得に聴き入る姿勢になったのだ。
 
文在寅の決意と信念の凄みを痛感させられ、文在寅の胆力の大きさに刮目させられた一日だった。さすがに盧武鉉の弟子であり、金大中の孫弟子だと唸らされる。政治とは何か、外交とは何か、政治家とはどういうものか、その理念型が実践的に教育された一日だった。そして、朝鮮戦争で犠牲となった350万人の命の重さを噛みしめる機会ともなった。平和のため、人を信じることの大切さを、文在寅は世界に教えたと私は思う。人は人を信じ、人に裏切られて傷つき、不利益を蒙り、人への不信と猜疑を基礎にして生きるようになる。けれども、人を信じることもまた大切で、人を信じないと人生を前に踏み出せず、自分を生かす人間関係や自分がめざす環境を得られないのも事実だ。何度も裏切られて傷つきながら、人は自分を生かすべく人を信じる。人を信じて人を動かそうとする。勇気を出す。社会を変えようとする。350万人が犠牲になり、1000万人の家族が離散した歴史が、指導者である文在寅の心の中にある。それを上回る民族の悲劇に再び襲われる危機があり、絶対に戦争を避けなければならないという責任感がある。文在寅の政治に心から感動させられた。こんなに政治家の一挙一動に感激するのは、30年前のゴルバチョフの登場以来だ。
 
あのとき、自分の化身が出現したように感じ、自分がペレストロイカの政治をやっているように感じたものだった。