2018年5月30日水曜日

高い道徳性と倫理観を持たない人間は無敵

 28日午前の参院予算委で、安倍首相が、加計学園問題について「一点の曇りもない」と答弁すると、共産党の小池晃書記局長は「これが今話題のご飯論法ですよ。全くのすり替えだ」と断じました。
「ご飯論法」とは、「朝ご飯を食べましたか」と質問された場合、パンを食べていても、あたかも「ご飯(白米)」について問われたかのように論点をずらし、「食べていない」と強弁する論法です。労働問題に詳しい法政大の上西充子教授がツイッター上で紹介すると、「秀逸な表現」などと一気に拡散しました。  29日・東京新聞:「野党追及 論点すり替える首相答弁は…『ご飯論法』」)
 
 また同じ日、安倍首相は、妻昭恵氏付きの政府職員が森友側からの要請で財務省に問い合わせたことは認めたものの、森友学園との土地取引に関し「例えば金品を授受して『政策を変えろ』というようなことでは全くない(要旨)」と述べました。
 これは、これまでは「私や妻、事務所がかかわっていれば、首相も国会議員も辞める」と主張していたのを、関与の度合いを贈収賄に当たるような行為と「狭く解釈」する答弁に転じたということです。(  29日・東京新聞:「首相『贈収賄当たらない』 『辞任答弁』狭義に解釈」)
 
 要するに、妻の関与が濃厚になってきたので「辞任する」とした当初の言明を修正する必要が生じたということで、まことに「変幻自在な対応」を見せたのでした。
「くろねこの短語」氏は、「いま問われているのは、政治家としての倫理感』『道徳感であって、陸山会事件の時にメディアがさんざん小沢一郎氏をいじめぬいた道義的責任ってやつこそが問題なのだ」と指摘しています。
 しかしそうしたものが一切欠如した人間の確信犯的な振る舞いには、もはや対応のしようがありません。安倍首相が強引に導入した「道徳教育」が最も必要な人間は実は彼自身でした。
 
 日本人にはもともと安倍首相が目指しているものとは別の高い道徳性と倫理観があり、それは江戸時代などに日本を訪れた心ある外国人が等しく認めたものでした。営々として築かれてきたそうした日本人の美徳が、安倍氏の登場でいま根底から崩されようとしています。まさに彼こそが日本に危機を齎す元凶に他なりません。
 
くろねこの短語」を紹介します。
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 安倍晋三は日大危機管理学部の名誉会長だった。
くろねこの短語 2018年5月29日
 いやはや、国会は「ご飯論法」がフルスロットルで、ペテン総理の断末魔が永田町に響きわたっております。なんてったって、注目すべきは、「私や妻が関係していたとなれば、首相も国会議員も辞める」って言ってたくせに、いつのまにか「贈収賄はまったくない、という文脈で一切関わっていないと申し上げた」って妄想が始まったことだ。
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 これって、「関与」が濃厚になってきたから「贈収賄」を持ち出してきたってことで、ようするに絶体絶命ってことを自ら認めちゃったようなもんなんだね。橋龍命の江田君が「実際の裁判だったらもう詰んでいる。証拠固めは終わって、自白を待つだけだ」って語気鋭く迫っていたのは正しい。
 
 そもそも、贈収賄だったら有無を言わさず逮捕なんだから、言わずもがなのことなんだね。いま問われているのは、政治家としての「倫理感」「道徳感」であって、陸山会事件の時にさんざんオザワンをいじめぬいた「道義的責任」ってやつこそが問題なのだ
 たかが期ズレで極悪人かのごとく報道した新聞・TVは、ペテン総理の嘘や誤魔化しにはとことん寛容で、あまつさえ野党の立証責任だの決め手に欠けるだのてことに話を歪曲化するんだから始末に終えない。これじゃあ、国会は裁判所みたいなもので、司法の領域まで担っていることになっちまう。それは違うだろー!
 
 政治家ってのは疑惑を持たれただけでアウトなんだね。国民の負託に応えるってことは、それほど重い責任があるってことだ。それは官僚だって同じこと。虚偽答弁を43回も繰り返したシュレッダー佐川君が逮捕もされずにノホホンとしていられる社会ってのは、やっぱり歪んでいる
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 ペテン総理が権力の座にある限り、その歪みはひどくなりこそすれ、正されることはけっしてないだろう。
 
 ところで、危機管理学部は日大と加計学園系列の大学にしかないって26日のエントリーに書いたんだが、なんと日大の危機管理学部の名誉会長はペテン総理なんだとさ。顧問には自民党の議員の名前もチラホラあって、なんだみんな同類だったとさ・・・てなわけで、お後がよろしいようで。
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