融和ムードに包まれた南北会談が終わり、あと20日ほどで米朝首脳会談が行われます。蚊帳の外に置かれた日本が、本来非核化で寄与すべきこととは何でしょうか。
日刊ゲンダイがICAN国際運営委の川崎哲氏にインタビューしました。
安倍政権は一方的に北の脅威を強調しますが、北朝鮮が核やミサイルを開発した背景には、朝鮮戦争が継続中のなかで自分たちを守る必要性があったからで、戦争が終結し自分たちの安全が保障されれば、その必要もなくなります。
つい先日まで米朝が深刻に対立していたことについて、川崎氏は、94年締結の「米朝枠組み合意」が2000年代にウヤムヤになったのは、北も悪いけれど、米側も約束していたエネルギー供給が議会の強硬派の反発で予算を止められたり、2000年代半ばに、ようやく非核化に向けた6カ国合意が結ばれた直後にも、北に金融制裁を科したりした米国にも責任があると述べています。
そして、今こそ「核兵器禁止条約」(核保有国や日本は未加入)の出番であり、NPT条約では核の禁止・廃絶は達成されないとしています。
自分は米国の核の傘で守られながら(米国に核の先制攻撃もけしかけながら)、北には完全かつ検証可能で不可逆的な核廃棄を求める日本の姿勢は論外だとも述べています。取り分け核政策では、安倍政権は至るところで矛盾をさらけ出しながら、それを愧じることがありません。
栄達への道に進むことを拒否し、弱者のために生きることを選択した川崎氏の話は説得力があります。
日刊ゲンダイの記事を紹介します。
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注目の人 直撃インタビュー
ICAN運営委・川崎哲氏 「今こそ核兵器禁止条約の出番」
日刊ゲンダイ 2018年5月21日
北朝鮮の完全な非核化は実現できるのか。融和ムードに包まれた南北会談が終わり、来月12日には歴史的な米朝首脳会談が控える。関係諸国の思惑が渦巻く中、蚊帳の外に置かれた日本が本来、非核化で寄与すべきこととは――。
昨年、核兵器禁止条約の国連採択に貢献し、ノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の国際運営委員を務める川崎哲氏が、熱っぽく語る。
■北の非核化には抑止力の論理を捨てるしかない
――まず南北首脳が署名した板門店宣言をどう評価していますか。
「朝鮮戦争の終結」という文脈の中で「非核化」が位置づけられたことが重要です。日本では北朝鮮という変な国が核を持ち、物騒な動きをするのは意味が分からないという捉え方が一般的ですが、韓国の受け止め方はかなり異なる。
私は韓国のNGO団体とも頻繁に交流を重ねてきましたが、彼らは朝鮮半島で北朝鮮と共に生きる当事者。変な国が突然、登場したわけではなく、北の核・ミサイル問題は朝鮮戦争が終わっていないことが要因との認識です。戦争終結は南北共通のテーマであり、戦争が終われば核で脅し合う必要性も消え、北が非核化を目指す動機にもなります。
――しかし、日本では「非核化の具体性に欠ける」「北にだまされるな」との論調が大勢です。
それは「核が突然、出てきた」というアタマで見ているからです。北の核は突然、出てきたわけではない。北の視点で見れば、生存が脅かされ、いつ国を潰されるか分からないと怯えている。根底には戦争が終わっていないことへの恐怖があり、その根を絶たなければ、北の核・ミサイル問題は解決できません。核だけ排除しても根っこが残っていれば、また出てくるのです。
■朝鮮戦争という「根」を絶て
――南北両国が事実上の朝鮮戦争の当事国である米中首脳に会談を呼びかけた直後、トランプ米大統領が在韓米軍縮小を検討と報じられました。
北が求めるのは自国だけでなく、「朝鮮半島の完全な非核化」です。韓国には現在、核兵器はありませんが、在韓米軍に核が配備される可能性は、いまだゼロではない。今後、北が在韓米軍のあり方に縮小注文を付けるのは容易に想像できます。在韓米軍報道は北の要望に対処する用意はあるとのメッセージ。南北が戦争終結に本気で取り組めば、トランプ大統領も追認せざるを得ないと思います。
――それでも北が核を放棄すると言っても「信用できない」が、世界の大勢ではないですか。
過去の経緯を考えれば、簡単に信用できないのは当然です。しかし、ホンの数カ月前は朝鮮半島で戦争が始まり、核が使用される脅威がリアルに迫っていた。日本が巻き込まれる恐れもあったのです。恐ろしい緊張状態に戻りたくなければ、北は「信用できない」と言い続けても状況は変わらない。信用に足る非核化とは何かについて、知恵を出すべきです。その際、極めて重要なのが「検証」だと思います。
――具体的にどのような検証が必要ですか。
歴史を振り返ると、1989年に東西冷戦が終結。米ソが核で睨み合う論理が失われ、互いに核削減を一気に進めた結果、両国の核兵器は半分以下に減りました。あれから30年。ついに南北朝鮮に残る「冷戦」を終わらせる上でも、米ソ関係を参考にすべきです。
ソ連崩壊後に核を引き継いだロシアとアメリカは、相互検証措置を設け、互いに査察し、本当に核を削減しているのかを検証し合いました。共に条件を出し、実行すれば信頼度を高め、守らなければ信頼度は下がる。核を減らすには段階的に「信頼のテスト」を実施するしかない。北は豊渓里の核実験場を閉鎖・公開の方針です。これは信頼のテストの良い糸口になる。
――信頼は互いにつくり上げていくものだと。
94年締結の「米朝枠組み合意」が2000年代にウヤムヤになったのも、米朝相互に問題があります。もちろん北も悪いけれど、米側も約束していたエネルギー供給が議会の強硬派の反発で予算を止められたり、非核化に向けた6カ国合意が結ばれた直後に米国は北に金融制裁を科したりしました。双方の約束の不履行によって関係がこじれたのです。
圧力路線の行き着く先は際限なき軍拡競争
――朝鮮半島の非核化を達成するには、地道に信頼を築き上げる長い道のりが必要なのですね。
そして今こそ核兵器禁止条約の出番です。昨年7月の国連採択に関わった者として、朝鮮半島の非核化のために禁止条約は生かせるものだと自負しています。最上の形は禁止条約の南北同時署名です。
条約は核保有国の非核化プロセスを包括的に定めています。北が加盟すれば▼核保有状況の申告 ▼国際的査察の受け入れ ▼廃棄の検証 ▼非核化状態の保証などの義務が生じる。そのプロセスは加盟する多国間の監視下に置かれ、信頼度も高い。トランプ大統領と金正恩委員長だけで非核化を進められたら、裏で何を話し合っているのか不安ですからね。
――韓国側はどうなりますか。
北が恐れる領土内の核兵器設置や開発はもちろん、米国の核兵器使用や核を使った威嚇への援助行為も条約で禁じられます。条約の内容は核兵器不拡散条約(NPT)よりも厳しい。例えばドイツやオランダなどは米軍の核兵器を領土内に置いていますが、NPT違反にならない。つまりNPTだと、韓国が米軍の核を置くことは防げませんが、禁止条約なら北から見た脅威が完全に解消できます。私は禁止条約の活用がベストな解決策だと思いますが、残念ながら、米国も中国も韓国も国連で禁止条約を支持していません。
――被爆国の日本政府も非常に冷淡です。
核保有国やその同盟国が必ず言うのは「厳しい安全保障環境の中で、我が国は核兵器の禁止条約には賛成できない」というセリフです。日本政府もそう。どこかで聞いた言い回しだと思ったら、北が核保有を正当化する論理と同じです。核保有国や日本はどのツラ下げて、北に「完全に非核化しろ」と言えるのか。抑止力のために、核保有はやむを得ないという発想から決別しない限り、北に付け入る隙を与えるだけです。
■広島・長崎・福島の知見を生かせ
――安倍政権は「核の傘」による抑止力を正当化し、強化しているフシがあります。
「100%共にある」と米国に頼り切りですが、トランプ大統領が自国第一でICBMさえ飛んでこなければいい、と最終的に北の核を容認したら、どうする気なのか。日本は短距離の核ミサイルでも困る。米国とは環境が異なるのに、安倍政権は圧力一辺倒。「ウチが強く出たから、北もなびいた」という態度です。
制裁は今のように交渉を始めるためなのに、安倍政権の政治手法は威張り散らして、相手をさげすみ、当座の支持を集めているだけ。どうやって交渉の道筋を切り開くつもりなのかはサッパリ見えません。北には完全かつ検証可能で不可逆的な核廃棄を求めながら、自分たちは核の傘で守って欲しいなんて理屈では議論になりません。交渉は平行線をたどり、結局、核の均衡が維持される。行き着く先は、北との際限ない核軍拡競争です。
――北の非核化プロセスに本来、日本はどのように寄与すべきですか。
北朝鮮が核実験場などの査察を受け入れることを前提に、非核化の検証部分で貢献すべきです。公平な国連の下での検証制度の一翼を担い、お金も人も技術も提供する。国際社会で日本だけが活用できるのは、広島、長崎の被爆者援助や福島の除染作業などでの知見です。
あれだけ核実験を重ねれば、北朝鮮にも被曝者はいるはず。日本でも未解決の問題は多々ありますが、少なくとも被曝者の援護や核廃棄物の処理などで何が困難かは理解しています。被爆国としての経験を生かし、朝鮮半島の平和と安定に貢献すれば、日本は世界に歓迎され、尊敬されると思います。
被爆国の日本だからこそ「核は絶対にダメだ」と断言できるはず。広島、長崎の年老いた被爆者の方々が必死になって「核はダメだ」と、国際舞台で廃絶を訴えているのに、日本政府が核を容認している状況は非常に残念です。 (聞き手=本紙・今泉恵孝)
▽かわさき・あきら 1968年東京都生まれ。東大法学部卒業後、ピースデポ事務局長などを経て2003年からNGOピースボート共同代表。ICANでは10~12年副代表、12~14年共同代表、14年7月以降、国際運営委員で現在に至る。