2019年5月16日木曜日

沖縄の日本復帰47年 国民主権は機能しているか

 5月15日は沖縄が日本へ復帰して47年目になります。復帰と同時に沖縄県民は、日本国憲法とともに歩んできましたが、「憲法の三大原理である基本的人権の尊重、国民主権、平和主義は、沖縄では実感を伴わないまま今に至っている。~ 主権在民は果たして機能しているだろうか。甚だ疑問だ」と、琉球新報は社説で述べました
 
 先に同紙が実施した全国知事アンケートでは、43都道府県から回答を得ましたが、日米両政府が住民投票結果を「尊重すべきだ」と回答したのは静岡県の川勝平太知事岩手県の達増拓也知事(会見で)だけで、それ以外の14人が「どちらとも言えない」28人が無回答でした。
 
 琉球新報は「この意識の乖離や断絶に慄然する」と述べました知事は住民の意向を代表するものではありませんが、相対的多数に支持された人たちであるのは事実です。沖縄の人たちが「慄然とした」であろうことは疑う余地はありません。
政府が沖縄にどう向き合うか。日本の民主主義を問う試金石ともなろう」とも述べていますが、政府は知事たちよりもさらに冷酷な対応をしているのが現実です。
 
 毎日新聞が沖縄の本土復帰に関連する記事を2本出しましたので併せて紹介します。
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<社説> 日本復帰47年 国民主権機能しているか
琉球新報 2019年5月15日
 沖縄が日本へ復帰して47年を迎えた。米国の施政権下にあった沖縄が日本国憲法に基づき統治されるようになった日でもある。
 復帰と同時に県民は、この憲法とともに歩んできた。しかし憲法の三大原理である基本的人権の尊重、国民主権、平和主義は、沖縄では画餅のごとく、現実の実感を伴わないまま今に至っている
 国土の0・6%の県土面積に在日米軍専用施設面積の約70%が沖縄に存在する。広大な基地は依然残されたままだ。その上に名護市辺野古では新基地の建設が民意に反して強行されている。主権在民は果たして機能しているだろうか。甚だ疑問だ
 
 辺野古の新基地建設の賛否がまさに争点となった昨年9月の県知事選は言うに及ばず、4月の衆院3区の補選でも明確な民意が示された。
 とりわけ2月に行われた、新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票は投票資格者の52%、約60万人が投票し、72・15%に当たる43万人余が反対の意思を示した。
 本紙が3月に行った投票結果への県内首長、議会議長アンケートの結果では、首長の78%、議長の68%が結果を「尊重すべきだ」と回答している。
 本紙が実施した全国知事アンケートは、43都道府県から回答を得たが、日米両政府が投票結果を「尊重すべきだ」と直接回答したのは静岡県の川勝平太知事だけだった。「民意の尊重こそ主権在民の根本」との考えを示している。岩手県の達増拓也知事は2月末の記者会見で投票結果を「重く受け止めるべきだ」と答えた
 アンケートでは2県の知事以外は14人が「どちらとも言えない」と答え、28人が回答を控えた。この意識の乖離(かいり)や断絶に慄然(りつぜん)とする。
 
 地方自治の前提である住民主権をないがしろにすれば、自治の正当性が失われないか。他県の出来事と傍観をするならば、主権在民の仕組みが地方自治のレベルから損なわれる。ひいては主権に基づく国家統治の正当性に疑問符がつく。
 沖縄など一部地域を軽んじ犠牲を強いてきた国の仕組みを昭和、平成の時代は脱却できなかった。多様性を尊重する新たな民主国家をつくりあげる上で、政府が沖縄にどう向き合うか。日本の民主主義を問う試金石ともなろう。
 
 一方で復帰47年を経て克服できなかった県民的課題がある。観光産業の隆盛と失業率改善の陰で、貧困や虐待の問題が顕在化している。
 今年3月公表の県民意識調査で、県が重点的に取り組むべき施策として「子どもの貧困対策の推進」が最多の42%に上った。富の再分配をどううまく機能させるか。県民が熟慮を重ねるべき課題だ。
 広大な基地の配備で県民生活はゆがめられたままだ。調和のある振興策を講じ、真の意味での自治を実現するため新たな方策を構想したい。
 
 
沖縄の窮状伝えた2500通 「人権抑圧」復帰前に本土へ手紙
毎日新聞 2019年5月15日
 15日に本土復帰47年を迎えた沖縄。名護市の山城正二(やましろせいじ)さん(83)は1972年の復帰前、全国の見知らぬ人々に毎日1通の手紙を送り、日本国憲法が適用されない米国統治下の窮状を訴えた。復帰はかなったものの、過重な基地負担は変わらず、苦しみは今なお続く。山城さんは言う。「多くの基地を抱えている沖縄の人々の思いがいまだに本土に届いていない」
 
 「悲願の定期便」と書かれた台帳には、手紙を送った日付と宛先、返信の有無が記録されている。山城さんは65年9月から復帰まで、新聞や雑誌の「文通したい」という欄にあった名前や住所に宛てて1日1通の手紙を送った。給与や教育面の本土との格差を示す資料を添え、「沖縄は異民族支配の下で不平等に取り扱われてきた。問題を解決するのは結局、祖国復帰以外にない」と支援を求めた。
 当時は沖縄本島北部の中学校の社会科教諭。本土から交流に訪れた大学生が持っていた中学生の作文に「沖縄ではどんな車が走っているのかな。フォードとかシボレー?」とあるのを見て、「国民がもっと沖縄の実情を知らなければ、復帰を叫んでも国民的な世論にはならない」と感じて「定期便」を始めた
 
 戦後27年間にわたって米軍支配下に置かれた沖縄では人権が激しく抑圧された。米兵の事件事故に対して裁判権がなく、63年2月には米兵が信号無視の末、トラックで中学生をはねて死亡させたのに軍法会議で無罪になった。沖縄の人たちの我慢は限界に達し、70年12月には米軍の事故処理に怒った市民が米憲兵隊と衝突して米軍の車に次々と火をつけた「コザ騒動」が起こった。
 「一日も早く、人権が保障される憲法の下に帰りたい」との思いで山城さんが全国各地に送った手紙は約2500通。中には「お互いに頑張りましょう」と返信をくれる人や、沖縄の状況を記した資料を自分で作って周囲に配る人もいた。
 
 そして47年前の72年5月15日、願いはかなった。だが、その記念すべき日に沖縄本島最北端の辺戸(へど)岬を訪れた山城さんに感慨はなかった。本土との境界線はなくなったが「これから更に難しい闘争が来る」と思わざるを得なかった。
 その予感通り、小さな島に米軍基地のフェンスが広がる光景は変わらず、山城さんが暮らす名護市にある辺野古の海では米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設に向けて埋め立て工事が続いている。
 知事選などの選挙や今年2月の県民投票で移設反対の沖縄の民意が幾度も示されているにもかかわらず、政府は「辺野古移設が唯一の解決策」との姿勢を変えようとはしない。山城さんは復帰47年となった15日も辺戸岬を訪れ、観光客に沖縄の現状を説明して回るつもりだ。「もっともっと沖縄のことを知って、国民みんなで考えてほしい」【遠藤孝康】
 
47年経て 基地さらに集中
 1972年5月の本土復帰後、沖縄では米軍基地の返還が一定程度進んだ。しかし、日本全体での米軍専用施設面積のうち、沖縄県の割合は復帰時より大きくなっており、基地集中の度合いが高まっているのが実情だ。
 日本が主権を回復した52年当時、米軍基地面積の本土と沖縄の比率は9対1だった。だが、反基地運動の高まりを受け、岐阜や静岡、大阪などの本土から米国統治下の沖縄に次々と米海兵隊が移駐。本土の基地面積が減る一方、米軍の「銃剣とブルドーザー」によって民間地が強制接収された沖縄では面積が増えていき、60年代には同じ比率となった。
 県や防衛省によると、復帰時の県内の米軍専用施設面積は約2万7892ヘクタールで全国(約4万7477ヘクタール)の58・7%だった。今年1月現在では約1万8496ヘクタールと復帰時から約3割減ったが、全国(2万6319ヘクタール)の70・3%が集中する。
 他の都道府県の割合は青森9%▽神奈川5・6%▽東京5%▽山口3・3%で、沖縄の割合が突出して高い。沖縄県面積の8%、沖縄本島の14%を米軍専用施設が占めており、本土復帰から47年となった今も沖縄は「基地の島」であり続けている。【遠藤孝康】
 
 
沖縄本土復帰47年格差なお 非正規雇用率1位、県民所得最下位
毎日新聞2019年5月15日 11時43分
 沖縄は15日、米国統治から本土に復帰して47年を迎えた。米軍基地の大幅な整理・縮小は進まず、国土面積の0.6%の沖縄に全国の米軍専用施設の70.3%が集中する。観光客の増加で県内経済は好調だが、本土との格差は今も残る。 
 
 本土復帰した1972年以降、米軍専用施設約9400ヘクタールが返還されたが、今も当時との面積比で66%が残り、県民は米軍機の騒音などにさらされている。 
 日米両政府は96年に宜野湾市中心部の米軍普天間飛行場の返還に合意。政府は名護市辺野古への県内移設に向けて埋め立て工事を進めるが、2月の県民投票では反対が7割を超えた。埋め立て予定海域では軟弱地盤の改良工事が必要で、普天間飛行場の返還時期はいまだ見通せていない。 
 一方、沖縄を訪れた観光客は昨年度、999万9000人に達し、6年連続で過去最高を更新。ホテルや商業施設の建設が相次ぎ、2月の完全失業率は過去最低の21%となった。 
 しかし、米国統治下で土地の多くを基地に奪われて製造業が育たず、非正規雇用率は全国で最も高い431%(2017年)。1人当たりの県民所得(15年度)も216万6000円で全国最下位にとどまる。 
 玉城デニー知事は14日、復帰47年にあたり「全国との所得格差の解消や過重な基地負担の軽減などに全身全霊を注いでいく」とのコメントを発表した。【遠藤孝康】