2019年5月8日水曜日

いじめ問題 まずは「学校に行かない自由」の確認(植草一秀氏)

 NPO法人「チャイルドライン支援センター」によと、10連休の影響について、「4月に環境が変わったばかりでまだ慣れていない環境の中で、10日間も休んでしまうと友達とうまくやっていけるか、学校に慣れることができるかといった不安を募らせやすく」、5日ごろから「連休明けに学校に行きたくない」とか「授業についていけるか不安だ」といった相談が増えているそうです。同センターは「おなかが痛いとか夜眠れないなどの異変があれば、無理をさせず休ませてほしい」と呼びかけている(NHK・7日)ということです
 
 何より「通学」することを無条件に優先させるのは誤った固定観念で、それがより深刻な「いじめ」で苦しんだ多くの生徒たちを結果的に自死に追い込んできました。
 
 政治経済学者の植草一秀氏は、4月14日に「いじめ問題対応 まずは『学校に行かない自由』の確認」とするブログを、次いで4月19日に「『登校拒否』表現は『学校に行かない自由』に反する」とするブログを発表しました。
 子どもが自死に追い込まれるという最悪のケースが多発しているが、多くの場合、いじめのある学校という現場に子どもを送り続けた結果として悲劇が生まれていると指摘し、それは日本国憲法「子女に普通教育を受けさせる義務」を、誤解して植え付けられた観念だとしました。
 
 憲法が定めているのは「子女に普通教育を受けさせる義務」であって「子女に学校教育を受けさせる義務」ではありません。そのことを明確にするためにも、今年、2016年に施行された「教育機会確保法」を見直すに当たり、「生徒には学校に行かない自由がある」ことを適正に踏まえた第13改正が必要であると述べています
 そして「登校拒否」という表現は「学校に行かない自由」に反するとも述べています。
 理路整然とした鋭い指摘です。
 教師の中には「いじめ」を無視したり、甚だしきは「いじめ」に加担した人たちがいます。そんな中で生徒が自らの生命を落とすのはあまりにも悲惨です。
 生徒の自死を防ぐためにも、世の親たちは植草氏のこの主張に耳を傾けるべきです。
 二つのブログを紹介します。
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いじめ問題対応まずは「学校に行かない自由」の確認
植草一秀の「知られざる真実」2019年4月14日
4月の新年度を迎えて学校でのいじめ問題への対応が改めて検討されている。
いじめ問題を考える際に重要な点が二つある。
 
第一は保護者の対応だ。
教育基本法は第十条で「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と定めている。
保護者の責任が大きい。いじめなどの問題が存在する場合、第一に優先するべきことは子どもの命と健康の確保である。
保護者による子どもに対する虐待問題が深刻化するなかで、保護者が子どもを保護しない、保護できない場合が存在することを踏まえた対応が必要不可欠だ。
第二は、子どもには「学校に行かない自由がある」という事実をすべての子ども、保護者に徹底して周知することだ。
日本国憲法に、「子女に普通教育を受けさせる義務」が明記されているために多くの誤解を生んでいるが、日本の法体系上、子どもには「学校に行かない自由」がある
この事実を徹底して知らせ、子どもがいじめのある学校から退避することの重要性を知らせる必要がある。
子どもが自死に追い込まれるという最悪のケースが多発しているが、多くの場合、いじめのある学校という現場に子どもを送り続けた結果として悲劇が生まれている
 
しかしながら、現行の法体系には重大な問題がある。
2016年に施行された「教育機会確保法」は第十三条に次の条文を置いた。
(学校以外の場における学習活動等を行う不登校児童生徒に対する支援)
第十三条  国及び地方公共団体は、不登校児童生徒が学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性に鑑み、個々の不登校児童生徒の休養の必要性を踏まえ、当該不登校児童生徒の状況に応じた学習活動が行われることとなるよう、当該不登校児童生徒及びその保護者(学校教育法第十六条に規定する保護者をいう。)に対する必要な情報の提供、助言その他の支援を行うために必要な措置を講ずるものとする。
「学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性」「個々の不登校児童生徒の休養の必要性」が明記され、いじめ等の問題が存在するときに、学校に行かない選択肢があること、ならびに、学校以外の場における多様な学習活動の存在が確認された
 
しかし、当該条文が「不登校生徒児童」の表現を用いていることは、「学校を休む」、「学校に行かないこと」を「非正規」の行動として位置付けていることを意味する。
教育機会確保法は本年、見直されることになっている。
「法律の施行後三年以内にこの法律の施行の状況について検討を加え、その結果に基づき、教育機会の確保等の在り方の見直しを含め、必要な措置を講ずる」ことが附則に明記されている。
憲法が定めるのは「子女に普通教育を受けさせる義務」であって「子女に学校教育を受けさせる義務」ではない。この点を適正に踏まえた法改正が必要である。
 
学校教育法は第十七条で、保護者に子女を学校に就学させる義務を定めている。しかし、普通教育を受けさせる場は学校以外にも存在する。
世界の趨勢は、普通教育を受けさせる場として学校以外に家庭を位置づける方向に大きく変化している。
米国でも全50州で家庭での普通教育を選択できることが正式に定められた。
多くの国が普通教育を受ける場として学校以外に家庭を選択できる制度を採用している。
 
現在の法体系では学校教育法が保護者に「学校に就学させる義務」を定めているため、学校で普通教育を受けることが「正規」で、家庭で普通教育を実践することを「非正規」のものと位置付けている。
教育機会確保法は「学校を休む」ことの「必要性」を明記したが、あくまでもその対応は「不登校生徒児童」を対象とするものになっている。
つまり、こどもに「正規」、「非正規」の差別をつける結果をもたらしているのだ。
改めて注意を喚起しておくが、現行法令においても、法律が定めているのは「保護者に対する子女を学校に就学させる義務」であって「児童生徒が学校に行く義務ではない
子どもには「学校に行かない自由」がある
この事実を周知徹底して、まずは子どもの命と健康を確保することが優先されなければならない。
以下は有料ブログのため非公開
 
 
「登校拒否」表現は「学校に行かない自由」に反する
植草一秀の「知られざる真実」 2019年4月19日
    (前 略)
日本では2016年に教育機会確保法が制定され、「休養の必要性」、「学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性」が法律に明記され、学校に行かないという選択肢が「合法化」された。
しかし、その対象は「不登校児童生徒」とされており、差別色の強い表記になっている。
学校でのいじめ問題が深刻であり、いじめによる児童生徒の自死という惨事があとを絶たない。
学校の教師がいじめに加担する、あるいは,いじめを放置するという事態も数多く報告されている
 
教育機会確保法は2019年に見直されることになっており、この機会に普通教育を行う場を学校以外に広げることを法律に明記するべきである。
これに連動して「学校教育法」を「普通教育法」に名称変更することを検討するべきだ。
「教育機会確保法」を、「学校」以外の場でも普通教育を行える場を確保する「多様な教育機会確保法」に、発展的に改正するべきである。
日本も批准している国連の「児童の権利に関する条約」では、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、児童の最善の利益が主として考慮される」ことが明記されており、いじめ等の問題が存在する場合に、児童生徒に「学校に行かない」という選択肢を保持させることが極めて重要である児童生徒に「学校に行く」義務はない
 
憲法が定めているのは、保護者に対する「子女に普通教育を受けさせる義務」であって、「児童生徒は学校に行く義務を負っていない」ことを正しく認識する必要がある。
立憲民主党の枝野幸男代表は4月17日のラジオ日本番組で、衆参両院で予算委員会集中審議の早期開催に否定的な与党の対応に関し、「堂々と審議拒否している。登校拒否みたいな話だ」と批判した。
その後、表現が不適切だと指摘を受け,枝野氏はツイッター上で、「ネガティブに受け取られる表現だった。おわびし、訂正する」「『不登校』の背景には、本人や保護者の責に帰すことのできない様々な事情がある」などと弁明した。
 
新学期が始まり、ツイッター上には「学校に行きたくない」といった書き込みが目立ち始めている。
国会でも学校におけるいじめが重要問題として取り上げられている。
いじめ問題への対応として、児童生徒が「学校に行かない」という選択肢を確保することが,まずは重要だ。
4月14日付ブログ記事、メルマガ記事には、このことを記述した。
しかし、枝野氏の発言は「学校に行かない」という選択肢を強く批判するものになっている。
「学校に行け」と責め立てて、学校に行くことが強要されて自死などの惨事が多発している。枝野幸男氏は野党第一党の代表として、教育問題について原点から再考察するべきだ。
同時に「不登校」にしろ、「登校拒否」にしろ、ネガティブなニュアンスを含む用語の使用をやめるべきだ。こうした用語法の背景に、「学校に行くこと」を「正規」と位置付ける「固定観念」がある
 
安倍内閣としては国家に役立つ従順で、疑問を持たない国民を養成する軍隊式の教育を行う場としての「学校」での教育を強要したいのだと思われるが、子どもの個性を尊重し、能力を引き出す教育を実践する場として、家庭等の学校以外の場を学校と並列に扱うことが重要になっている。
「学校教育」と並列的に「学校外教育」、「家庭教育」を位置付けるべきである。
そうなれば、学校以外の場で普通教育を受ける児童生徒は、「学校外教育児童生徒」、「家庭教育児童生徒」ということになり、「不登校児童生徒」の表現を用いる必要がなくなる。
言葉の問題はとても大切である。