2019年5月4日土曜日

「皆さんとともに日本国憲法を守り」と言わなかった新天皇(世に倦む日々)

 新天皇が即位の式で、平成天皇のときには皆さんとともに日本国憲法を守り」と仰ったのを、「憲法にのっとり」という表現に変えられたことについて、「世に倦む日々」氏は前者は護憲の立場表明であるのに対して、後者には護憲の信念はないとして、それは右翼改憲派の安倍政権何としても阻止しようとしたからだと述べました。当然、本人と官邸(宮内庁)との間で調整とやり取りがあり、安倍氏が押し切り、新天皇は抵抗されなかったものと推察される、と
 
 また平成天皇が国民からの信頼と尊敬を獲得したのは、被災地を足繁く訪問され被災者寄り添われ、沖縄にも幾度も訪問されたこともさることながら、最も大きな契機となったのは、即位の最初のときに「日本国憲法を守る」と大胆に宣言され、自ら護憲の立場を示されたことにあり、それだからこそ右傾化の嵐が日本に吹き荒れ中、われわれ両陛下を護憲リベラルの守護神として尊崇するようになったとも述べました。
 
 ブログ「世に倦む日々」を紹介します。
 
 なお、LITERAも次の記事を載せているので興味のある方はアクセスして下さい。
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「皆さんとともに日本国憲法を守り」と言わなかった新天皇 
世に倦む日々 2019年5月3日
1日に行われた即位後朝見の儀の「お言葉」で、新天皇は「日本国憲法を守る」と言わなかった。式辞の原稿の中に、30年前に平成天皇(現上皇)が明言したところの「皆さんとともに日本国憲法を守り」という一節を入れなかった。私は、その宣誓が読み上げられることを期待し、平成天皇の言葉が踏襲されることを願っていたので、大いに裏切られた気分で失望させられた。何事も最初が肝心で、この一度限りの場で、天皇としての出発点で、それを表明するとしないとでは大きな違いがあるし、後々に響いてくる。新天皇の式辞では、その部分が「憲法にのっとり」という表現に変えられていた。平成天皇が「皆さんとともに日本国憲法を守り」と明言したところを、新天皇は「憲法にのっとり」という消極的な言辞にしてしまった。二つは意味が違う。明らかに姿勢の後退を意味している。前者は護憲の立場表明であり、後者には護憲の信念は全くない。後者は無味乾燥な、政府が官僚ペーパーで日常置くような平板なフレーズに過ぎず、何の意志も込められてないのと同じだ。ただ天皇の仕事を政府の言うとおりにルーティンワークでやりますと言っているのと等しい。官僚天皇宣言。 
 
平成天皇が30年前に述べた、「皆さんとともに日本国憲法を守り」の一言は本当に衝撃が大きかった。一瞬で平成天皇に対する見方が変わった。好感を持った。「皆さんとともに日本国憲法を守り」の言葉は、単に自分だけが憲法を守るという意味ではなく、朝見の儀に参列している眼前の統治機構の要職者たちも、映像を見ている主権者国民も、皆で日本国憲法を守りましょうという意味に他ならない。それはすなわち、国会・内閣・裁判所の面々も、草の根の一人一人も、皆が憲法を守るべき存在であり、自分も統治機構の一つを担う者として、憲法を守ることを誓いますという態度の言語化でもあった。日本国は法治国家であり、憲法が最高規範であり、誰もが憲法の聖典下に治まり、この基本法の原理原則に従うことが求められているのだという前提が表明され、つまり立憲主義の姿勢が宣言されている。さらに、護憲と改憲がクリティカルな争いを続けているこの国の状況下では、この平成天皇の言葉は、重大な立場決定の意味があり、統治機構(臣)と国民大衆(民)に、護憲(=戦後民主主義の考え方)こそ本来的だと訴えるものだった。
 
したがって、新天皇が、即位後朝見の儀の辞で平成天皇を踏襲し、「皆さんとともに日本国憲法を守り」の言葉を発することは、右翼改憲派の安倍政権としては何としても阻止しなければならない厄事だっただろうし、結果を見れば首尾よく抑え込んだと言える。結局、新天皇が最初に発する言葉は護憲のメッセージにならず、平成天皇と同じ護憲の道を歩むという宣言は立てられなかった。私だけでなく多くの者が、新天皇は護憲の両親から薫陶を受けて育ち、戦後民主主義の精神を直截に受け継いでいるであろうと信じていたから、「皆さんとともに日本国憲法を守り」のフレーズも一語一句崩すことなく、全く継承されるだろうと期待していた。朝見の儀の式辞については、閣議決定で中身を決めている。安倍晋三の側からはここで歯止めを掛け、「事故」のないよう「防止措置」を講じているわけだが、「お言葉」は新天皇本人のものであり、後々残るもので、本人が責任を被るものだから、当然、本人と官邸(宮内庁)との間で調整とやり取りがあり、新元号の時と同じく齟齬と悶着があったことだろう。だが、安倍晋三が押し切った。新天皇は抵抗しなかったものと推察される
 
本人が強く押し通せば、平成天皇と同じ言葉を入れることは可能だった。平成天皇がやったことだから、後継ぎが同じ表現を並べても誰も文句は言わなかっただろう。むしろ、平成天皇の護憲の宣誓を変えたことこそが、今回の式辞のサプライズであり、反動であり、検討が加えられるべき政治的問題だと言える。だが、そのことについて、国内のマスコミは見ないフリをして黙っていて、腫れ物に触るように言及を控えている。問題視を避けている。明らかに、憲法と天皇の関係をめぐって重大なチェンジが行われ、それが現政権の作為と統制によるものだと推測されるにもかかわらず、マスコミがこの事件に関心を向けようとしない。その一方、韓国マスコミは私と同じで、今回の「お言葉」で、新天皇が平和憲法への態度を従来と一貫させるかどうかに注目し、そこに断絶と変化があったことを正しく報道して、韓国民の落胆を代弁した。中央日報は、「現行の日本憲法への守護の意志は明らかにしなかった」と書いている。こうした報道こそが正常な神経であり、何も異変がなかったかのように装って欺瞞的に素通りし、新天皇を空疎な美辞麗句で持ち上げている日本マスコミの方が面妖だ。
 
平成天皇が国民からの信頼と尊敬を獲得し、巨大な徳カリスマを実現させ得たのは、平成天皇が被災地を足繁く訪問して被災者の前で膝をついて寄り添ったからとか、沖縄を幾度も訪問したからとか、それが決定的な要素ではない。マスコミはその図ばかりを切り取って宣伝するが、最も大きな契機となったのは、即位の最初のときに「日本国憲法を守る」と大胆に宣言し、自ら護憲の立場を示した実績にある。そこから、右と左で分かれていた国民の象徴天皇制への賛否は対立が消えて行った。戦後民主主義の精神が両陛下に強く生きている事実は、その後、即位15年後の2004年の園遊会の際、右翼の米長邦雄に対して、日の丸・君が代が強制であってはいけないと窘めた一件からも確認された。われわれの平成天皇への評価は確固となった。右傾化の嵐が日本に吹き荒れて空気を覆う中、われわれは両陛下を護憲リベラルの守護神として尊崇するようになり、右翼は逆に「アカヒト」と呼んで侮蔑するようになった。その内面に戦後民主主義の思想があるからこそ、リーダーとして弱者に目を配り、弱者を助けようとするのである。『君たちはどう生きるか』の精神が躍動して発現するのだ。
 
吉野源三郎が天皇になって実践しているような姿がそこにあるのだ。だからこそ、被災地の避難所での挙動がパフォーマンスになることがない。マスコミのカメラを意識した点数稼ぎの嘘くさい役割演技にならない。被災地への慰問と慈愛も、沖縄への訪問と内在も、慰霊の旅も、見せかけの人気取りの務めではなく、また、単に象徴の地位を安定化させるべく「国民の総意」を得ようとしてやっているのではない。自己目的ではない。その前に、行動を媒介する精神が先行してある。吉野源三郎的な戦後民主主義の哲学がある。二人の平和憲法コミットの態度はそこから由来するもので、昭和20年の夏を小学生(国民学校生)で迎えた世代に共通したものと言える。時の「皆さんとともに日本国憲法を守り」の言葉があったから、その後の全ての行動をわれわれは信用し、疑わず、安心して肯定視することができた。その、敢えて政府との緊張関係に立ちながら、国民と国家を守ろうとする指導者の姿に共感し支持してきた。時の(右翼)政権に阿おもねらず、日本国憲法の普遍的価値に忠実な態度を貫く天皇を応援してきた。そうした関係と均衡があってこそ、国民の象徴天皇制への支持率86%という現実は達成されているのである。
 
それを欠けば、国民の天皇制への支持などすぐに萎み衰えてゆく。期待外れに終わった即位後朝見の儀の「お言葉」の欠陥は、意外に大きな代償となって新天皇にリターンするかもしれない。