神戸新聞はいじめ問題で注目すべき社説を掲げました。
かつては生徒の自殺といじめ関連については、教育委員会が
①いじめは確かにあった
②しかしそれが自殺の原因であるかどうかは分からない
と認定するワンパターンでした。そうした結論は、当該の学校、教育委員会、さらには文科省のいずれも傷つけないという特性を持っていました。
しかしそんな結論が、原因はいじめ以外にあり得ないと考える遺族を満足させる筈はありません。
その後、第三者調査委員会による調査が普及するようになってある程度改善されましたが、まだまだ遺族が反発して調査をやり直すケースが全国で相次いでいます。兵庫県内だけでも近年、神戸市、宝塚市、多可町の3市町で、第三者委の調査方法や報告書の内容に遺族が納得せず、再調査となったということです。
加害者側にも人権があるのは当然ですが、「中立、公平」を盾に情報開示を渋ったり、加害者と被害者を対等に見立てて論じるのでは当を失していて、遺族が納得する筈がありません。
また第三者委員が「人間の死を語ること自体が冒瀆」と発言するのも、真相究明を放棄するものでそれでは何のために委員に就任したのか分かりません。
神戸新聞は、そんな中で神戸市中学3年女子の自殺で再調査委がまとめた報告書で、
「調査は遺族の悲嘆のケアの側面を持つ」と明記し、委員長が「調査は徹底するが、姿勢は遺族寄りでいい」「『第三者性』と『寄り添い』は相反しない」
としたことは注目に値すると述べています。
実にその通りで、そうした人間性を有しないことには遺族は決して満足しません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
社説 いじめ調査/悲嘆に寄り添えているか
神戸新聞 2019/05/10
子どもの自殺といじめとの関連を調べる「第三者委員会」のあり方が問われる事態となっている。遺族の反発で調査をやり直すケースが全国各地で相次いでいるためだ。
兵庫県内では神戸市、宝塚市、多可町の3市町で、第三者委の調査方法や報告書の内容に遺族が納得せず、再調査となった。教育委員会からは「遺族と信頼関係を築けなかった」と悔やむ声が聞こえる。
中立、公平な視点で事実を解明するのが第三者委の役目だ。ただその前提には、亡くなった子どもを悼む気持ちと、絶望の淵にいる遺族への最大限の配慮があって当然だろう。
遺族をさらに傷つけ、苦しめている現状を重く受け止めねばならない。いじめ予防の観点からも、第三者委はどうあるべきかを議論する必要がある。
2013年施行のいじめ防止対策推進法は重大なケースについて教委や学校に調査を義務付ける。弁護士や学識者による第三者委を設ける場合が多い。
法的な責任追及ではなく、指導や再発防止につなげるのが目的である。文部科学省はガイドラインで、遺族の知りたい気持ちを理解し、寄り添いながら調査するよう指示している。
ところが「中立、公平」を盾に情報開示を渋るなど、第三者委の姿勢が遺族との間にあつれきを生じさせる事例が目立つ。
宝塚市で中学2年の女子生徒が自殺した問題では、第三者委の一人が「人間の死を語ること自体が冒瀆(ぼうとく)」と発言し、遺族の不信を招いた。真相究明の放棄とも受け取られ、論外だ。
神戸市の中学3年女子の自殺で再調査委がまとめた報告書は注目に値する。「調査は遺族のグリーフ(悲嘆)ケアの側面を持つ」と明記した。委員長は「調査は徹底するが、姿勢は遺族寄りでいい」と言い切る。「第三者性」と「寄り添い」は相反しない-との見解である。
ガイドラインには調査の具体的な方法などは示されず、事務局となる教委の役割もはっきりしない。判断を任された第三者委は試行錯誤を重ねている。
いじめ防止法は超党派の国会議員が改正を目指す。被害を受けた子どもやその保護者の視点を大切に議論を深めてほしい。