2019年5月6日月曜日

06- 代替わりで顕在化した天皇制と憲法上の諸問題(小林節氏)

 この度の天皇の代替わりでは、晴れやかな儀式の蔭で、天皇制(皇室典範)と憲法との関りとの問題がクローズアップされました。
 憲法学者の小林節氏が、「代替わりで顕在化した天皇制と憲法上の諸問題」として、3つの観点からその問題を論じました。曰く
 
① 天皇が長子に譲位することは、もともと政治的権能を有しない天皇の地位を家庭内の自然な序列に従って譲るだけのことなので「政治的」な問題ではあり得ない。
② 天皇制には、三種の神器、大嘗祭など、伝統的な神道上の儀式が存在するが、それは、政教分離「原則」を定めた憲法自体が、その「明文例外」として歴史的存在としての天皇制の継続を認めている以上、例外として堂々と挙行して良い宗教行為である。
③ 即位後「朝見の儀」(臣下が天子に拝謁)は、日本国憲法の定める国民主権に抵触するので、新しい伝統として即位後「国民代表会見の儀」などに改めれば良かった
 
というもので、とても開明で合理的です。
 それに対して日本会議等の主張は、2000に渡る天皇制の歴史の中で、明治政府が創設したわずか50年余明治憲法体制を強調するものに過ぎないとしています。
 要するに彼らの主張は正に国民を欺くものであるということで、これも争う余地のない指摘です。
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ここがおかしい 小林節が斬る!
代替わりで顕在化した天皇制と憲法上の諸問題
小林節  日刊ゲンダイ 2019/05/05
 今回の天皇の代替わりは、天皇制にまつわるさまざまな憲法問題を顕在化させた。
 主な論点は次のものである。
 
①天皇が政治的権能を行使することの禁止(4条)
②政教分離原則(20条:国による宗教活動の禁止、89条:宗教に対する公金支出の禁止)
③国民主権(1条)
 
 まず、天皇が自らの意思で皇太子に「譲位」することは「政治的権能を行使」することだ(?)という論難が出現した。それを回避するために、政府は、天皇がまず「退位」して、次に皇太子が「即位」することにした(?)とのことである。しかし、どちらにせよ、天皇の「意思」で天皇位が皇太子に移った事実に変わりはない。もとより政治的権能を有しない天皇の地位を家庭内の自然な序列に従って天皇から長子に譲ることのどこが「政治的」なのか? もともと何の問題もない……と認識すれば済む話である
 天皇の地位にある個人もまず「人間」である以上、高齢になっていつまでその地位にとどまるかを自ら選択する自由は、それこそ人権としてあるはずだ。
 
 また、天皇制には、三種の神器、大嘗祭など、それなしでは天皇制が成り立たない伝統的な宗教(神道)儀式が存在する。それは、政教分離「原則」を定めた憲法自体が、その「明文例外」として歴史的存在としての天皇制の継続を認めている以上、許された例外として堂々と挙行して良い宗教行為である。米国議会付牧師が行う儀式が最高裁判例により憲法が許容する政教分離原則の例外だと認められていることと同様である。
 
 さらに、即位後「朝見」の儀が、日本語として「臣下が天子に拝謁する」ことを意味するのは、さすがに、日本国憲法の三大基本原理のひとつ、国民主権に抵触してしまうだろう。だから、それは、新しい伝統として、即位後「国民代表会見」の儀とでも改めて実施すれば良かったのである。
 
 天皇制について「伝統」の尊重を主張する人々は、なぜか、2000年以上の天皇制の歴史の中のわずか50年余にすぎない明治憲法体制を強調して「伝統」だと主張する。しかし、歴史的に伝統は変わってきたし、今後も変わっていくべきものである
 
 小林節  慶応大名誉教授
1949年生まれ。都立新宿高を経て慶大法学部卒。法学博士、弁護士。米ハーバード大法科大学院のロ客員研究員などを経て慶大教授。現在は名誉教授。「朝まで生テレビ!」などに出演。憲法、英米法の論客として知られる。14年の安保関連法制の国会審議の際、衆院憲法調査査会で「集団的自衛権の行使は違憲」と発言し、その後の国民的な反対運動の象徴的存在となる。「白熱講義! 日本国憲法改正」など著書多数。新著は竹田恒泰氏との共著「憲法の真髄」(ベスト新著)