元号制定時の安倍首相の専横は目に余るものがあり、ネットには「元号の私物化」という批判が溢れました。
元号という長く歴史に残る(いずれは天皇のおくり名にもなる)名称の決定過程は、いうまでもなくきちんと決められていました。しかし決定過程の最後の段階で首相が介入し、候補名がすべて気に入らないとして、3月に入ってから一部の元号考案者に再提出を依頼しました。
そして首相の意に適う「令和」が現れると、今度は関係の会合でその案への強い誘導が行われました。
それだけでなく、慣例を破って首相が新元号の発表をしようとしたのですが、さすがに周囲から止められたため、発表とは別に会見を行うことになりました。そこでも新元号と1億総活躍社会を強引に結び付けようとしたのですが、首相の元号ではないからと周囲からたしなめられて止めました。
元号制定を自分の手柄にして政権浮揚に結びつけようとしたわけで、その浅薄さには呆れます。
その間に何故か首相は2度も徳仁皇太子殿下に内奏の名目で単独で面会しました。これも異例なことで、自分を売り込もうとしたのだろうと言われています。
本来は天皇の代替わりは4月に行うのが筋なのですが、少しでも参院選に良い影響をもたらそうとして政府が5月に延ばしました。
新天皇に対する一般参賀も、宮内庁は平成の代替わりに倣い10月に行う計画でしたが、同じ理由で10連休中に前倒しされました。
すべてが政権の浮揚・わが身の安泰のために 異例づくめを押し通したもので、これ以上の皇室の政治利用はありません。
京都新聞が「皇室の政治利用 見過ごせぬ官邸の姿勢」とする社説を掲げました。
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社説 皇室の政治利用 見過ごせぬ官邸の姿勢
京都新聞 2019年5月6日
天皇の代替わりに伴う10連休は、きょう6日で終わる。新しい陛下とともに令和時代が順調にスタートしたようだが、見過ごせない問題も浮かび上がった。
皇室の政治利用である。
4日の皇居・一般参賀は実に14万人が訪れた。だが、水面下では開催時期を巡る首相官邸と宮内庁の駆け引きがあったとされる。
宮内庁は当初、平成の代替わりに倣い、10月22日の「即位礼正殿の儀」の後に行う計画だった。官邸サイドが方針転換し、押し切られる形で10連休中の前倒しが決まったという。
夏の参院選を控え、代替わりの成功を政権浮揚に結びつけようという官邸の思惑が透ける。
「皇室の政治利用と言われてもおかしくない」―宮内庁サイドからそんな声が上がるのも、もっともだと言わざるを得ない。
憲法は天皇を「日本国の象徴」と位置づける。天皇の行為は、政治的に影響力を持たない儀礼的な「国事行為のみ」と定める。
皇室と政治が結びついた戦前の反省があるためだ。
しかし、これまでも政治利用はたびたび問題になってきた。
2009年には民主党の鳩山由紀夫政権が日中関係を重視するとして、来日した習近平国家副主席(当時)と天皇との会見を特例的に実現させるよう迫った。
野党だった自民党は「政治利用だ」と批判したはずだ。
それにもかかわらず、今回の代替わりと改元でも、官邸サイドの意向が何かと反映されたという印象は拭えなかった。
大きな違和感があったのは新元号の公表で、安倍晋三首相が記者会見をしたことだ。「平成」の公表時には首相談話は官房長官による読み上げだけだった。
国民に直接メッセージを伝えたたいとの安倍氏の意向が重視された形だが、「人気取りだ」「時の政権が元号に自分たちの思いを込めたかのよう」と疑問の声が相次いだのは当然といえよう。
このところ内政も外交も手詰まり感があったにも関わらず、内閣支持率は大きく上昇した。
そもそも公表時期も「18年夏」が本命視されていたのに、保守派への配慮からずれ込んだ。
平成時代を通じて、上皇さまは象徴天皇の在り方を真摯(しんし)に模索されてきた。政治利用は、そんな努力をないがしろにしかねないことに官邸は気づくべきだ。