高倉信幸さんは、大学(北大医療技術短期大学部)1年生の時に同級生に「ポランティアに興味はないか」と誘われ、「ハンデのある人のために生きていきたい」とサークルに入りました。これが北大に巣くうカルト団体の統一協会(原理研究会)でした。
東京の合宿所のようなところで研修を受け、騙されたと分かり帰りたいというと拒絶され、逆に1週間研修期間を延長されてグループでの「珍味売り」を強制されました。これは「軟禁、監禁だ」と強く抗議すると幹部に川原に連れ出され殴る蹴るの暴力を振るわれ、足には後遺症が残りました。
その後学生生活に戻ってから統一協会との関係を断とうとすると、統一協会のメンバーが繰り返し繰り返し学部の教室に来たり、下宿先にやってきて「ドンドン」とノックし続けるなどされたためノイローゼになり大学を中退し、うつ病と強迫性障害と診断されました。
高倉さんは、重度身体障害を持つ弟のために医療人を目指して入学したのですが、結局その道を断念するしかありませんでした。東京では幹部らが暴力を振るって脚に後遺症が残り、北大では退会しようとするとノイローゼになるまで執拗に付きまとうなど、ヤクザのような組織であることが分かります(これは退会した学生がいるとその後の拡大に不都合なので、退学するまで追いつめるのかも知れません)。
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徹底追及 統一協会 若者よだまされるな 学生時代勧誘され今もトラウマ
北海道苫小牧市 高倉信幸さん(63)
しんぶん赤旗 2022年11月26日
「40年前のことが今もトラウマになっています。人生を狂わせた統一協会にだまされてはならない。私の青春を返してほしい」-。
北海道苫小牧市の高倉信幸さん(63)は声を震わせて告発し、現在の学生たちに注意を呼ぴかけています。 (北海道・田中絵梨子)
夕張市生まれで、5歳離れた重度身体障害を持つ弟のためにと、医療人をめざし、浪人して1982年、北海道大学医療技術短期大学部(現医学部保健学科)に合格しました。両親のうれしそうな顔と、初めて目にした父親の泣く姿は忘れられないと言います。
北大に巣くう
キャンパスに慎れた1年生の夏、同級生に「ポランティアに興味はないか」と誘われ、「ハンデのある人のために生きていきたい」とサークルに入りました。これが北大に巣くうカルト団体でした。
他大学の学生との交流や食事会を体験。その年の暮れ、「人生の転換期になるよ」と東京の研修会に北海道の代表として参加。東京大学や慶応大学、早稲田大学の学生が集うと自尊心がくすぐられました。
しかし、街並みもわからず連れていかれた一軒家。現金を預けさせられ、渡されたのは原理研の書籍。玄関に開祖・文鮮明の写真が飾ってありました。
研修は、久保木修己統一協会初代会長(国際勝共連合会長)や幹部10人が出入りし、文鮮明の生い立ちを紹介した講演、統一協会のセレモニーを旅したピデオには、岸信介元首相のメッセージが印象に残っています。
「ポランティアを勉強しにきているのに」と連和感を持ち、帰りたいと申し出ると、協会幹部は「だめだ。サタン(悪魔)にさらわれる」と拒絶。1週間だった研修期間が延長され、「F(えふ)」という名の〝珍味売り″をさせられました。高熱が出ても休ませてくれず、車1台に数人が寝泊まりし、「売り切るま戻ってくるな」と命令されました。
高倉さんは「試験も近いし、留年したら困る。親が心配するので電話をしたい。私には信教の自由があるし、これは軟禁、監禁だ」と強く抗議すると幹部5,6人に取り囲まれ、親にうそをつけと脅されました。
幹部に川原に連れ出され、殴る蹴るの暴力を振るわれ、足に後遺症が残りました。逃げようにも金がなく、脅迫や暴行に堪えるしかありませんでした。
学生生活に戻り、統一協会メンバーに「入会しないと関係を断とうとして高倉さん。しかし何度も何度も学部の教室に来たり、下宿先にやってきて、「ドンドン」と延々とノックする統一協会。ノイローゼで中退し、うつ病と強迫性障害と診断されました。
強い意思持ち
今も夜中にうなされて跳び起きることもしぱしぱです。現在は、新聞配達や障害者の家庭教師をして、生活保護を利用しています。
弟は病気で、父親は昨年亡くなりました。母は認知症を患い、離れて暮らしています。
統一協会は現在も、「原理研究会」(CARP)や、「UNITE」の名でポランティアや政治運動に学生を誘い込んでいます。
高倉さんは「学生のみなさんは、自分の人生は自分が決めると強い意思を持ち、二度と私のような被害に遭わないようくれぐれも気をつけてください」と語っています。