安倍政権は「国家権力を縛る憲法を変えたい」という勢力であり、解釈改憲をしたり特定秘密保護法を作ったりして、実質的に憲法を骨抜きにしてきています。
そうした中でここ1年あまり、地方自治体が「政治的中立性」を口実にして、憲法や政治をテーマにした団体のイベントへの参加や活動への後援を拒否するという事例が増えています※。
※ 8月30日 「国分寺まつり」で9条の会の出店を拒否、神戸市は後援を拒否
8月21日 各地で護憲運動への後援を拒否
しかし、地方公共団体がいうような「政治的に100%中立な立場」などはあり得ないことです。
何よりもそうした『妨害』や『協力拒否』が現政権を利するものであることは、彼ら自身が十二分に自覚していることです。
「明日の自由を守る若手弁護士の会」(略称:「あすわか」)は、「主権者がその国・その社会を動かす主人公として生きるために、あらゆる考えを知って、考えて、議論して、発信できるような生活を手助けしますよ、いろんなイベントが開けるようにできる限りお手伝いしますよ、というのが、あるべき中立性」であると述べています。
「明日の自由を守る若手弁護士の会」の主張を紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「政治的中立性を保つ=政治に関わらない」ってこと?
明日の自由を守る若手弁護士の会2014年9月1日
ここ最近、地方自治体が憲法や政治をテーマにした団体のイベント後援やイベント参加を拒否するという事例が増えています。
例えば、東京都国分寺市では、9条の会の、市のおまつりへの参加が今年から拒否されたとのこと。同会はこれまで、2008年からおまつりにブースを出し、憲法9条に関するパネル展やシール投票をしていたそうです。
また、東京都調布市も、「調布九条の会『憲法ひろば』」が来年1月に企画している会の創立10周年記念イベントについて、集団的自衛権に反対している会の活動やイベント内容を理由に、後援に難色を示しているようです(8月15日 東京新聞)。
いずれも、市側の理由は「政治的中立性」。
特定の政治的色彩を帯びたものへの協力は避けたい、距離を置きたい、という考えのようです。
政治的に100%中立な立場など、ありえないのでは(特に地方公共団体は日本国憲法を土台にした社会において憲法尊重擁護義務を負いながら行政をまわしているわけですし)とチラっと思いつつ、あるべき「政治的中立性」について考えてみると、ずいぶんおかしなことをしているなぁ、と思わずにはいられません。
国民が国家に突きつけ、国家権力を縛る憲法を、変えたいという勢力が国会で大きくなり、また、現政権は「解釈(読み方)を変える」という手法だったり、特定秘密保護法を作ったりして、実質的に憲法を骨抜きにしてきています。
主権者として、「え、これってどういうこと?」「もっとよく知りたいんだけど」って思うのは当然ですし、これからの日本の未来をどう作っていくか、どう舵取りするか、議論が活性化することは自然なことです。
そんな時に、地方公共団体が「政治的なものはNG(ダメ)」といって、公共の場から政治的に見える、特定の政治的色彩を帯びているように見えるものを一切排除することが望ましいことなのでしょうか?
政治的な議論など存在しないかのような場に整備することが、自治体としてなすべきことなのでしょうか?
むしろ、住民がどんな政治的意見にも等しくアクセスできるように、協力を惜しまないことこそ、地方自治体に求められるのではないでしょうか(もちろん人種差別のように人権を蹂躙する暴力的な思想は別として)。主権者がその国・その社会を動かす主人公として生きるために、あらゆる考えを知って、考えて、議論して、発信できるような生活を手助けしますよ、いろんなイベントが開けるようにできる限りお手伝いしますよ、というのが、あるべき中立性なのではないでしょうか。
まるで、市民が政治から遠ざかるのが望ましいかのような、政治を考えない市民こそ「あるべき市民」かのような動きに、「主権者アンテナを研ぎ澄ます」活動をしている私たち「あすわか」は、眉をひそめてしまうのです。