米国のビキニ水爆実験で、1954年3月1日に漁船第5福竜丸がビキニ海域で被曝し、乗組員久保山愛吉さんが重度の放射能障害でその半年後に亡くなりました。
この事件は広く報道され大変な関心を集めましたが、その他にも約990隻が同海域で操業していて、合計約13,000人の漁船員が被曝した事実は殆ど知らされませんでした。それは国民に対して隠蔽するようにアメリカから強く要請されたためでした。
近年になってNNNテレビの報道やそれを映画化した「放射線を浴びたX年後」※などで一部の人には知られるようになりました。
※ 9月15日 ビキニ水爆の「X年後」が上映 町田で16日
厚生労働省は19日、ビキニ問題に取り組む高知県の市民団体の開示請求に対して、周辺海域で操業していた漁船の乗組員や魚の放射能検査などに関する当時の文書を開示しました。同省がまとまった形で開示するのは初めてのことです。
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被ばく船員の検査記録存在
第五福竜丸以外も、556隻-ビキニ水爆実験で・厚労省
時事通信 2014年9月19日
1954年に米国が太平洋ビキニ環礁などで行った水爆実験で、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」だけでなく、周辺海域で操業していた漁船延べ556隻について、乗組員の被ばく量を検査した記録が存在していたことが19日、分かった。市民団体の情報公開請求に対し、厚生労働省が開示した。
厚労省はこれまで、第五福竜丸以外の被ばくについて、「実態を把握しておらず、記録も保有していない」としていた。今回の開示について、「改めて探したら見つかった」と説明している。
記録によると、旧厚生省は第五福竜丸の被ばく直後から、周辺海域で操業していた漁船の検査を開始。54年3~6月に指定された5港へ入港した延べ556隻の船体と乗組員、捕獲した魚の放射線量を調べた。
乗組員の被ばく量は最大で毎分988カウントで、2週間同じ量を浴び続けても約1.68ミリシーベルト。第五福竜丸の乗組員(1.6~7.1シーベルト)より大幅に低く、国際放射線防護委員会が緊急時の被ばく限度と定めた100ミリシーベルトも下回った。
実態調査を進める市民団体「太平洋核被災支援センター」(高知県)の山下正寿事務局長は、「記録があったことははっきりしたが、被ばく量は元船員や遺族の話から考えると低すぎる。持ち帰って専門家と検討したい」と話した。
ビキニ水爆実験で国は、第五福竜丸の乗組員以外に放射線障害は認められないとして、継続的な健康調査をしていない。
厚労省がビキニ事件の文書開示 60年前の水爆実験、倉庫で発見
東京新聞 2014年9月19日
1954年に米国が太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で実施した水爆実験をめぐり、厚生労働省は19日、周辺海域で操業していた漁船の乗組員や魚の放射能検査などに関する当時の文書を開示した。ビキニ問題に取り組む高知県の市民団体が情報公開法に基づき開示を請求していた。
厚労省によると、これまでも検査結果などに関する文書で内容が明らかになっているものはあるが、同省がまとまった形で開示するのは初めて。職員が公文書の保管倉庫を探し、段ボールに入っているのを見つけた。
マグロ漁船、第五福竜丸の乗組員が被ばくしたビキニ事件では、被ばく状況などの全容は明らかになっていない。