武田邦彦氏の連載「STAPの悲劇を作った人たち(5)」が掲示されたので紹介します。
今回は再びNHKを取り上げて、主犯であるとしています。
前回(1)では主に放送法違反の面をとり上げていましたが、今回はNHKがSTAPの悲劇を生み出すのに果たした役割を5つに集約して、その1番目として、「佐村河内氏に続くマッチポンプ」報道であるという面を批判しています。
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STAPの悲劇を作った人たち(5) 主犯 NHK-1 佐村河内氏に続くマッチポンプ
武田邦彦 2014年9 月6 日
NHKがSTAPの悲劇に主要な役割を果たしたことは明確である。それは主として次の5つに集約される。
1) STAP論文の記者会見を大げさに報道して有名にしておいて、後で叩くという「マッチポンプ報道」をしたこと。
2) STAP論文にネットで疑義が出されると、「意見が異なる両者」の意見を比較して報道するのではなく、放送法4条に違反して「疑義を言う人だけの言い分を報道する」という放送法違反の報道をしたこと。
3) STAP論文の主要な著者は4人なのに、小保方さんだけに焦点を当てて批判を展開したこと。完全にNHKの判断で「良い人、悪い人」を分け、著者の中でも恣意的に区別を行ったこと。
4) 理研の調査委員会が結論をだし、論文が取り下げられたのに、特定の個人(笹井さん、小保方さん)の的を絞った批判の報道を続けたこと。
5) 取材に当たって小保方さんに2週間の怪我をさせ、女子トイレに閉じ込めたこと。個人の私信であるメールを公開したこと。
佐村河内氏の報道問題でNHKは謝罪したばかりだが、それと全く同じ「マッチポンプ型報道」を行った。1月末の記者会見では「リケジョ」を前面に出し、科学的業績より、若い女性であることに焦点を当てて報道した。
NHKが報道するにあたっては、記者や関係者が責任を持って報道するものが適正であるかをチェックする。特に社会的影響の大きいNHKの場合、十分な人材でチェックを行う。佐村河内氏の時は「個人」だったが、すでにNHKと佐村河内氏との付き合いは10年を超えているのに、「耳が不自由である」という報道をした。NHKが知っていて「架空の英雄」をでっち上げたと判断されるだろう。
今回もNHKの報道の数日後には激しいネットの批判が続いた。だから、「理研が発表したから信じた」という釈明はできない。つまり報道というのは公式発表をそのまま伝えるのではなく、それが「事実である」とNHKが判断して報道するものである。社会にウソやサギが横行していることは周知の事実であり、ネットではなくNHKの報道が高い信頼性を持っていたのは「NHKのフィルター」の信頼性が高いことにほかならない。
私たちはNHKフィルターの信頼性で受信料を払っているのであり、誤報が続くなら、NHKでなくてもタダのネットでいくらでも情報を得ることができる。だからNHKの誤報というのは他の放送局やネットに比べて格段に厳しい事を知ってもらわなければならない。私たちはNHKの社員を「雇用するため」に受信料を払っているのではない。少なくとも重大な誤報があったら、受信料の支払いを求めて訪問する人を「お詫び」に回らせるぐらいの覚悟がいる。
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マッチポンプ型の誤報には、「不作為の誤報」と「作為的誤報」がある。作為的誤報は、最初から視聴者をダマすつもりか、あるいは大げさな報道の場合に起こる。その特徴は、「報道すべきこと以外のことに重点を置く」という特徴がある。
佐村河内氏の誤報の場合、もともと彼の作曲が良いのだから、「曲の評価」を中心にして報道していれば、あんなに大騒ぎになることはなかった。ところが、佐村河内氏が耳が不自由であるとか、広島(HIROSHIMA)と名づけた曲がなんとなく原爆との関係を思わせ、さらにそれを増幅させたのが、彼を東北の被災地まで連れて行って子供と対話する番組を作ったことだ。
耳が不自由なことで「現代のベートーベン」(ベートーベンは晩年、聴力を失っている)というコピーを宣伝し、広島、東北という悲劇の地との関係を強調することによって、曲の評価より人物像に報道の焦点を合わせた。このような手法は「下品」であり、「正統派」ではないことは明らかである。三流週刊誌が、本人の活動などより恋人、離婚などのゴシップを報道することからもNHKが取るべき手法ではない。
この手法はSTAP事件でも取られ、NHKは記者会見当日の夕方の国民的ニュースで「リケジョ」という女性蔑視の用語を多用したほか、研究室のピンクの壁、小保方さんの割烹着などに焦点を当てた。このことによって、論文自体の評価は後退した。
(NHKの報道)
仮に、NHKが論文と科学的業績に焦点を当てた場合、理研、京大、分子生物学会など関係する学者への放送の前のチェック取材を多くするので、その時点で「批判的論評」の取材があるはずだからである。
記者会見の後、数日であれほどの反撃があり、さらにすぐネットの批判に続いて、ほぼ日本全体の学者が「STAP悪し」と評価したところを見ると、記者会見の後、少しでも「国民に正しいことを報道しなければならない」という意識がNHKにあったら、批判的な学者に遭遇した可能性は高い。
もし、後の厳しい批判をした学者が「社会がSTAPを批判するまでは高く評価する」というのでは、学者ではないし、後にそのようなコウモリのような人に取材するべきでもない。つまり、
1) 記者会見の後、真偽や評価をチェックしたのか?
2) その時に批判的な学者はいなかったのか?
ということで、チェックをして批判的な学者がいないのに、その後、あれほど全員一致で批判する(少なくともNHKの報道では、小保方さん、笹井さん以外は100%批判的だったということだった)事態にはならないだろう。取材したNHKか、コメントした学者のどちらかがウソをついていることになる。
それとも、後に批判した大多数の学者はNHKのチェックの時には取材されなかったとすると、NHKはSTAP論文を肯定的に報道するときに取材した人と、批判的に報道するときに取材した人を変え、それでもあえてそれが主な意見のように誤報を続けたことになる。
つまり、マッチポンプ報道というのは、NHKが作為的に報道しないとできないものであり、佐村河内氏の時も、STAPの時も実にいかがわしい取材に基づいた記事を書いたことが分かる。