2016年3月2日水曜日

3・1ビキニデー 焼津で1500人行進 集会に海外代表150人が参加

 1954年3月1日未明、アメリカは太平洋ビキニ環礁において水爆実験を行い、マーシャル諸島の人びとや1000隻に上る日本漁船などが被災しました。
 焼津のマグロ漁船「第五福龍丸」は、危険区域外で操業中であったにもかかわらず、放射能を含んだ灰を浴び乗組員23人全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)はその年の9月に亡くなりました。
 この3・1ビキニ事件は、日本国民に大きな衝撃をあたえ、3千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌55年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。
 
 3・1ビキニデー集会は、この久保山さんの「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という遺志をひき継いで続けられてきた原水爆禁止運動行事です。
 今年は150人の海外代表を交えて、諸行事が2月28日から始まりました
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核兵器のない世界へ議論 3・1ビキニデー 国際交流会議開く
しんぶん赤旗 2016年2月29日
 「2016年3・1ビキニデー」諸行事が28日、静岡市で始まりました。初日の原水爆禁止日本協議会(日本原水協)全国集会の国際交流会議は、米国、英国、マーシャル諸島共和国の海外代表を含む150人が参加。各国の状況や運動を交流し、核兵器のない世界へ向けた行動をめぐり議論しました。
 
 開会あいさつした、日本原水協の沢田昭二代表理事は、昨年のNPT(核不拡散条約)再検討会議での到達点など核兵器廃絶を求める世界の流れをのべ、「日本政府はこの流れにブレーキをかけるような発言をしている」と指摘。「この政府を変えることが今年の大きな課題だ。ビキニデーを出発点にしていこう」と呼びかけました。
 海外代表3氏と、日本の代表が報告しました。アメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソン氏は、紛争に満ちた危険な世界情勢を分析し、核兵器「近代化」などの動きを批判。イギリス核軍縮運動(CND)のジェニー・クレッグ氏は、英国で行われた核兵器反対の大規模なデモや政治情勢について報告しました。
 マーシャル諸島共和国のアバッカ・アンジャイン・マディソン氏は、12歳でビキニ核実験の「死の灰」を浴び、がんに苦しんでいる女性の苦しみを伝え、「被害を風化させてはなりません」と訴えました。
 
 日本原水協の土田弥生事務局次長は、被爆者の「生きている間に核兵器の廃絶を」の願いを実現するため、被爆の原点に立ち戻るとともに、広範な運動や人びとと協力し、核兵器廃絶へ新たな運動を始める決意をのべました。
 
 
被爆者、国際署名呼びかけへ 3・1ビキニデー 日本原水協全国集会
しんぶん赤旗 2016年3月1日
 「核兵器のない世界へ 新たな行動を」「『核の傘』ノー! 戦争しない日本を」を合言葉に「2016年3・1ビキニデー日本原水協全国集会・全体集会」が29日、静岡市内で開かれました。「核兵器のない世界へ 被爆者とともに」のコーナーで日本被団協の木戸季市事務局次長がマイクを握り、被爆者が準備中の新しい国際署名を紹介すると、壇上の海外代表もふくめ参加した800人から大きな拍手がおきました。
 
 木戸氏は「私たち被爆者は核兵器をなくしてほしいのです。再び被爆者をつくらないでほしいのです。そのために、今年、核兵器をなくす国際署名を世界の人々に訴えます」とのべました。
 長崎の被爆者で、長崎原爆被災者協議会の横山照子さんは「新しく始める国際署名で、核保有国を孤立させ包囲し迫りましょう」と訴えました。
 全労連の長尾ゆり副議長が「ビキニデー集会を核兵器廃絶の実現へ新たな行動に踏み出す跳躍台にしましょう。安倍政権の暴走を許さず戦争法廃止、原発ゼロなど共同のたたかいの結集点にしよう」と主催者あいさつしました。
 基調報告した日本原水協の安井正和事務局長は、被爆者による新しい署名を全面的に支持し、協力するとしました。戦争法廃止の2000万署名を草の根から広げる先頭に立とうと訴えました。
 行動を広げる英国と米国の海外代表がスピーチ。沖縄と福島からの特別発言がありました。来賓として日本共産党の緒方靖夫副委員長があいさつしました。
 
 
ビキニ水爆62年  核兵器廃絶訴え 焼津で1500人行進
毎日新聞 2016年3月1日
 1954年に太平洋ビキニ環礁の米国水爆実験で焼津港所属の「第五福竜丸」が被ばくしてから62年になる1日、「死の灰」を浴びて亡くなった久保山愛吉さん(当時40歳)を追悼する平和行進が焼津市内で行われ、参加した約1500人(主催者発表)が核兵器廃絶や平和を訴えた。 
 
 行進は午前9時半にJR焼津駅前を出発。参加者は久保山さんが残した言葉「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」が書かれた横断幕や「平和希求」などと記されたのぼりを持ち、久保山さんが好きだったバラの花を手に、久保山さんの墓がある市内の弘徳院までの約2キロを練り歩いた。 
 
 焼津市によると、第五福竜丸の乗組員は1月26日、小塚博さん(当時84歳)が亡くなるなど、23人中17人が既に亡くなっている。 
 同市内では「3・1ビキニデー集会」も同日開かれ、第五福竜丸以外では初めて船員保険の適用の申請をした、高知県の元漁船員の遺族も参加した。 
 壇上に立った高知市の下本節子さん(65)は2002年に父大黒藤兵衛さん(当時78歳)を亡くした。胆管がんだった。 
 藤兵衛さんは水爆実験に遭遇した遠洋マグロ漁船「第七大丸」の無線士。船体から高濃度の放射線を検出していたが、調査はされていない。生前は多くは語らなかったが、「きっとたくさん話したかった不条理があったと思う」と涙ぐみながら話した。 
 
 (静岡)県原水爆被害者の会会長で、自身も広島で被爆した川本司郎さん(79)=静岡市清水区=は「今年に入り、北朝鮮が水爆実験したと発表するなど核兵器使用が現実味を帯びている。世界唯一の被爆国として、今こそ核兵器の全面禁止を求めたい」と呼びかけた。【松岡大地】