2016年3月24日木曜日

「待機小学生」はいないのに、なぜ保育所では・・・

 日テレの「そこまで言って委員会」津川雅彦が「(日本死ね!のブログを)書いた人間が××(死ね)ばいい」と暴言を吐いて他の出演者も爆笑しました。
 それに対して自らも共稼ぎで保育園への送り迎えで苦労した経験を持つ五十嵐仁氏が、イデオロギーではなくて人間性の問題だと怒りのブログを発表しました。
 
 五十嵐仁氏は、
「小学生の待機児童がいないのだから国は保育園を小学校と同じように位置づければ解決できる筈だ。少子化=子供を産み育てることの難しい社会はいずれ消滅せざるを得ない。
金がないからというのは言い訳にはならない。必要な予算は手当すれば良いだけのこと必要でもないオスプレイを17機も購入するために約30億ドル(3600億円)を支出するのだからできるはずだ」
と述べています。
 
 安倍政権は単にスローガンを並べ立てるのではなく、今こそ国家百年の大計に立ち戻るべきなのです。
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小学校にはいないのに、なぜ保育園に「待機児童」が存在するのか
五十嵐仁の転成仁語 2016年3月22日
 「保育園落ちた日本死ね!!!」という書き込みが大きな反響を呼びました。その言葉はまさに心からの叫びだったために痛烈で、そうであるがゆえに多くの人の共感を得たのでしょう。
 私も共稼ぎで子どもを保育園にあずけ、その送り迎えで苦労しました。子育ての苦労と保育行政の遅れに対する強い憤りは良く分かります。
 
 俳優の津川雅彦さんが「そこまで言って委員会」で、この問題について「(日本死ね!のブログを)書いた人間が××(死ね)ばいい」と暴言を吐き、出演者は爆笑したそうです。これはネットで問題になり、「キチガイじみた発言をする津川雅彦・それを爆笑する狂った出演者・そしてそれを垂れ流す読売テレビ」などと、フェイスブックでも批判を招いています。
 保育園に入れず、仕事を続けられない苦労が、これらの人には分からないのでしょうか。これはイデオロギーの問題ではなく人間性の問題です。
 困った人に寄り添うだけの感性を持たない人々がここにいます。そのような人が社会の公的な問題に対して発言する資格があるのでしょうか。
 
 保育園に入れない潜在的な待機児童が4万9000人もいると報じられています。共稼ぎの場合、保育園にあずけられなければ、仕事を休むか辞めなければなりません。
 その対象は母親であるというのが、暗黙の裡に前提されています。しかし、子育ては母親だけの問題ではなく父親も当事者です。
 したがって、子どもが保育園に入れなくて困るのは母親だけではありません。子育てをめぐる困難はママさんだけでなく、パパさんの問題でもあるということを忘れたくないものです。
 
 保育園には待機児童がいますが、小学生に待機児童はいません。満6歳になったすべての子供は、1人の例外もなく全員が小学校に入れます。
 小学校には待機児童がいないのです。それなのに、どうして保育園にはいるのでしょうか。
 小学校は義務教育ですが、保育園は「義務保育」ではないからです。しかし、小学校と同等の位置づけで希望者全員が入れるようにするという姿勢で取り組めば、待機しなければならない子供をなくすことができるはずです。
 
 保育園が足りないという言い訳は通用しません。小学校は足りなければ充足するまで作るではありませんか。
 保育士さんが足りないという言い訳も通用しません。先生が足りないから学校に来るのを待ってくれと小学生に言いますか。
 保育園が足りなければ作ればよいではありませんか。保育士さんが足りなければ、増やすための方策をとればよいではありませんか。
 
 これらの措置を、これまでの歴代政権と自治体はサボタージュしてきました。だから、保育園は足りず、保育士も充足していないのです。
 「予算の壁」は言い訳にはなりません。必要な予算は手当すれば良いだけのことです。
 必要でもないオスプレイを17機も購入するために約30億ドル(3600億円)を支出しても、必要な保育園の建設や保育士の処遇改善のための3000億円は支出しないという予算のあり方が問題なのです。この政治の意思こそが最大の「壁」にほかなりません。
 
 私が大学院で学んでいたころ、私自身もそうでしたが、先輩や仲間の大学院生は保育園に子供を預けられずに苦労しました。皆さん、院生として研究しており、定職についていなかったからです。
 窮した先輩の中には赤ちゃんを背負って区役所の窓口に行き、「何とかしてくれ」と言って座り込んだ方もいました。それから約40年たちますが、事態はほとんど改善されていなかったのです。
 何ということでしょうか。政治と行政は何をやっていたのでしょうか。
 
 子供を育てにくい社会では、子どもが生まれ育つはずがありません。少子化は、この日本社会が大きな歪みを持ち、子どもを産み育てることも子供が健やかに育っていくことも難しい社会であることを示しています。
 そして、それに怒って異議を申し立てれば、袋叩きにして笑いものにするのです。こんな世の中に一体誰がしてしまったのでしょうか。
 子供の数が減り続けているのは、このような世の中にしてしまった為政者に対する暗黙のレジスタンスであり、社会的なストライキなのです。この問題を、これまでの為政者で政権党たる自民党が解決できないということは、その代弁者である津川雅彦さんの言葉がはっきりと証明しています。
 
 子供を産み育てることの難しい社会は、いずれ消滅せざるを得ません。「日本を守る」とは、本来、持続可能な社会にするということではありませんか。
 「保育園落ちた日本死ね!!!」という言葉は、保育園にも入れないような社会は持続可能性を失い、いずれ「死」を迎えざるを得ないと告発していたのです。この言葉を袋叩きにして笑いものにしている限り、このような「死」を免れることはできないでしょう。