2020年2月26日水曜日

間に合わせで使い捨ての「基本方針」~ (世に倦む日々)

 日本における新型コロナウィルス感染者は合計で861人、うち重傷者は50人、クルーズ船の死者は4人に達しました(25日20時)。クルーズ船下船者のうち28人に発熱などの症状が確認されています。中国では一度治癒して再感染した事例が72人(23日)に上っています。各国に帰国した乗客らからも感染者がかなり確認されています。

 米国内の感染者はまだ17人(DP号乗船者14人を除く)ですが、トランプは対策費として2700億円の出費を決め、中国では新たな感染者が500人と下火になってきましたが、今も国内の各地で臨時の病院の建設を進めており、北京郊外では1000床以上の大病院を建設中です(NHK、26日)。

 日本では25日、政府は専門委員会の提案に基づいて新型コロナウイルス感染拡大対策の基本方針を決定しましたが、それは先週出した「新型コロナウイルス感染症の相談・受診の目安」を少し体裁を変えただけのものでした。市中感染の状況に至らせた政府の責任には全く触れず、この期に及んでも自分たちは何もしないで、拡大防止の責任を国民と地方自治体に押し付けようとするものでした(首相は25日も17時すぎからは都内のキャピトルホテル東急の宴会場に駆けつけました)。
 感染の有無を検査する体制の拡充がすべてのベースであるにもかかわらず、いまだにPCR検査件数は1日数十件に過ぎません。実態が掴めずに治療も出来なければ感染の防止など出来ません。専門家会議は何故それを抜本的に拡充しようとしないのでしょうか。異常な現状を認めたままで、どんな御託を並べてられてもただ空しいだけです。政府の意向を忖度して現状を是認するのであるなら専門委員会などとは呼べません。

 25日のTV朝日は、「発熱し9歳の子どもが、病院をたらい回しされた挙句肺炎と診断され薬を服用したものの熱が下がらず、何度PCR検査を頼んでも要件を満たさないからと断られ続けて発病後9日間が経過している」ケースを報じました「世に倦む日々」氏は「何が何でも検査は行わない。下々は棄民する」と決めているのだとしています。そうとしか考えられません。
 ここ1-2週間が感染拡大を抑える瀬戸際だと尤もらしく説明されても、こんな風に検査もせずに感染者が放置されているのであれば、感染の拡大など防ぎようがありません。
 25日、ウイルス検査保険診療にすることについて野党から訊かれた加藤厚労は、「量が出てこないと保険診療に移行できないが、報酬単価を決める作業を逐次続けて、いつでもスタートできる状況を作っておきたい」と述べました(衆院予委分科会)。自分たちで検査数を抑えておきながら「量が出ないから」とはよく言うものです。
 中国での大感染が明らかになり、日本での感染が予想出来てから1か月余り、何もしないで来た結果が現状です。

 東京五輪を「断固」実施するために感染者の増加を見掛け上抑えようというのであれば逆効果です。発表を抑えることと感染拡大を防止することとは関係がないし、事態の隠蔽は海外の不信感を招くからです。そもそも国民に正確な情報を伝えることは政府に課せられている義務です。情報が不明朗であるために日本との行き来を忌避する国がこの先も増えていけば五輪どころではありません。
 政府は、発熱等の風邪に似た症状があれば外出を控えるようにと述べる一方で、本人や経営者への休業補償には言及しません。口は出してもカネは出さないという訳です。

「世に倦む日々」の記事:「間に合わせで使い捨ての『基本方針』 – 尾身茂の裏切りと棄民の徹底」を紹介します。
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間に合わせで使い捨ての「基本方針」 – 尾身茂の裏切りと棄民の徹底 
世に倦む日々 2020-02-25
昨夜(24日)、NHKの7時のニュースに尾身茂が登場し、政府による新型コロナウィルス対策の基本方針が説明された。報ステなど他の報道番組でも横一列でダウンロードされた。その内容は、ここ1-2週間が感染症拡大を抑える瀬戸際だとして、次のことを国民に守るように要請している。(1)かぜや発熱などの軽い症状の場合は外出せず自宅で療養すること、(2)37度5分以上の発熱が4日以上続く場合は『帰国者・接触者相談センター』に電話して相談すること、(3)高齢者や持病のある人は2日程度症状が続く場合には検査を許可するので相談せよ。要するに、先週出した「目安」の対策と同じで、中身は何も変わっていない。新しい内容は何も入っていない。少し違うのは、軽症者への対応を厳しくして、軽症者の自宅療養を徹底し、医療機関のリソースは重症者のみにあてがうことを強調したことだ。何が何でも検査は行わない。下々は棄民する。 

尾身茂は良識派を思わせる風貌と経歴で、言葉も誠実な印象の専門家らしさを当初は漂わせていたので、期待してよい医官かと思っていたが、すっかり裏切られてしまった。御用学者のトップに就任し、政府の「目安縛り」を国民に説教している。政府の無策を正当化する旗頭になってしまった。残念であり、腹立たしくもある。弁解するつもりはないが、私が尾身茂を評価して持ち上げたのは、野党がこの人物を取り込んで、政府側に対抗する有識者会議を立ち上げてもらいたかったからであり、戦後の憲法問題研究会のような団体を設立する政治をドライブし、すなわち、宮沢俊義や我妻栄の役割を担って欲しかったからである。政治学を学んだ者は、憲法調査会と憲法問題研究会の歴史は周知の事柄であり、憲法問題研究会を動かした事務局の若き参謀が丸山真男だったことを知っている。丸山真男は、政府側に対して説得力で勝つキーマンは保守のこの二人だと狙いを定めた。

そして、二人の権威をオルグして見事に取り込んだ。結局、憲法調査会と憲法問題研究会との思想闘争は後者が制し、60年安保を通じて憲法9条が守られる展開になる。日本のコンセンサスは平和憲法の理念へのコミットとなり、それが世間に定着し、自民党政権も9条に指を触れられなくなった。岸信介らの右翼路線は反動の異端となり、改憲の策動はやんだ。丸山真男の勝利であり、戦後民主主義の歴史における知識人の戦勝記念碑の一つである。それを倣って、2月12日に拙稿『野党は感染症対策の追及と提案を』を書き、地べたから野党に策を授けたつもりだった。ところが豈図らんや、記事を上げた2日後、政府の方が先に専門家会議を立ち上げ、16日に会議を開いて例の「目安」を決定してしまう。その副座長に尾身茂が収まっていた。岡部信彦が構成員で入っている。その一週間前の2月9日の日曜討論では、尾身茂と岡部信彦は意見を異にしていて、尾身茂は全員検査が必要だという持論だった。

官邸と厚労省が一枚上手で先を越されてしまった。野党側に軍師がおらず、有効な献策をする者がいない。この頃、野党は「桜を見る会」のホテルの領収書問題に没頭し、安倍晋三の首を獲ったような気分に酔っていた。同じ頃、9歳の子どもが発熱し、熱が下がらないまま病院をたらい回しされ、肺炎と診断されて薬を処方されても熱が下がらず、ウィルス検査を断られ続けて9日間が過ぎている。驚くほど野党は無関心だった。感染症そっちのけで「桜を見る会」と「検察人事」に熱中した。政府の「目安」にせよ、「基本方針」にせよ、これでは感染拡大は止まらないことは自明の理であり、感染者が増え続け、重症者も比例して増え続ければ、病床が不足することは目に見えている。どれだけ感染者を病院へのアクセスから排除しても、感染者が増えれば、必ずウィルスは院内に侵入する。このことは何度も書いたので繰り返さない。岡田晴恵や玉川徹がマスコミでも言い、世論の中でも少しずつこの認識が広がってきた。

政府は今後1-2週間が瀬戸際だと言い、「多くの人と近い距離で対面する場所を可能なかぎり避けること」を勧告し、集会や飲食を伴う宴会を避けるように言っているが、一方、大相撲春場所はそのまま開催を認め、センバツやJリーグやプロ野球は全く歯止めをかけない。音楽やスポーツの興行には中止を要請しない。満員電車もそのままで、交通に規制をかけようとしない。東京TDLも上野動物園も通常どおり営業されている。都市を封鎖し、故宮も万里の長城も客の入場を止め、学校を無期限で休校してネットでの在宅教育に変えた中国とは大きな違いだ。地域住民の手作りの食のイベントを中止しながら、皇居での天皇誕生日の宴会飲み食いは盛大に敢行し、上級国民が勢揃いしてフルコースの午餐を堪能していた。すべて他人任せ・自治体任せにしていて、自己責任にしている。こんなことをやっていて感染のスピードが止まるわけがない。政府はとことん無責任で、国難に対処する責任当局たり得ていない

今回の「基本方針」のやり方から推察できるのは、政府は今後1-2週間で明確に蔓延期の局面になることを知っているということだ。その予測とシナリオをすでに持っていて、そのときはまた新しい「対策」と称して、さらに無理で冷酷な棄民政策を国民に押しつけてくるのだろう。重症患者が急増して全国の病床がオーバーフローし、人工呼吸器が不足する事態も想定して、さらに感染者を医療の提供から遠ざける措置をとる計画なのに違いない。それを徹底しながら、感染者数の公式報告値を抑え込むのだろう。福島原発事故のとき、年間の許容被曝線量を1ミリシーベルトから急に20ミリシーベルトに変えて平然としたように、同じことをやって感染禍の日常を馴らさせる思惑だ。無論、そのときはこの「基本方針」でのピークカットが失敗したときだから、尾身茂の説教が結果的に失敗したことを意味する。その時点で、尾身茂は御役御免で表舞台から消える手筈だろう。ワンポイントの中継ぎ登板の対価は文化勲章だろうか。

不条理ばかりが積み重なり、ただ無駄に時間が流れ、政府の無理と虐待が押し通り、被害を受けた弱者国民が泣き寝入りさせられた9年前の原発事故を思い出す。同じことが繰り返されている。マスコミは告発せず、批判せず、逆に政府の隠蔽工作と慰撫工作の手先を務めている。夜のテレビに出てくるのは御用学者ばかりだ。丸山真男が「無責任の体系」として論理化し概念化した対象は戦前の日本だった。今、丸山真男が目の前の現実を見たら何と言うだろう。対象化した当時の現実など、今と比べたらよっぽどまともな責任性の要素が認められ、これが日本かと愕然として放心するのではないか。日本は湖北省化の道を突き進んでいる