信濃毎日新聞が「緊急事態条項 不安に乗じるかの不見識」とする社説を出しました。
自民党の12年版改憲草案に盛り込まれた「緊急事態」の認定要件は緩く、政府がそう判断し宣言すれば何時でも「緊急事態」となって、「政令により人権を制限することができる」超法規的な権力が政府に付与されるというものでした。
当然この改憲案は批判の的となったため、政府が18年にまとめた「改憲4項目」の条文案では「緊急事態」は「大災害時」(のみ)に限定しました。しかしその必要性はなく現行法で十分に対処できることが明らかにされる一方で、熊本地震などでクローズアップされたのはむしろ政府の対応能力の欠如の方でした。
新型コロナウィルスの流行対策として、政府は、最終的に感染症法に基づく「指定感染症」等に指定する政令施行を2月7日から1日に前倒しすることに決めました。この間、29日には自民党の中谷元・元防衛相が、30日には伊吹文明・元衆院議長が、また1日には下村博文党選対委員長などが、それぞれ会合や講演で「緊急事態条項」の導入を進める好機だと発言しました(その後、松村るい参院議員や小泉進次郎環境相も追随)。
「緊急事態条項」があれば法律施行までの周知・猶予期間が短縮され迅速に対処できるからというのが言い分ですが、参院法制局は、法律の制定日と施行日が一緒であっても適法である(最高裁判例)という判断を示しているので、それも論拠にはなりません。
何よりも、早急に新型肺炎対策本部を設置するようにと野党が督促したにもかかわらず、静観していたのは他ならぬ安倍政権(※1)であり、米国がチャーター便を武漢市に回して米国民を帰国させたのを見て、慌てて日本もそれに倣ったものの、急場しのぎのため受け入れ対策が不十分であったというのが実態でした。
従って迅速な対応のために緊急事態条項が必要という主張は的外れであり、政府には、的確な判断のもとに迅速に対応する能力が欠けていたことこそが問題なのでした。(※2)
それなのに、新型肺炎流行の不安が広がっているのに乗じて、的外れな「緊急事態条項」の導入を説くのは「すり替え」であり、不見識です。
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緊急事態条項 不安に乗じるかの不見識
信濃毎日新聞 2020年2月9日
新型肺炎への不安の高まりに乗じるかのような発言は不見識と言うほかない。憲法に緊急事態条項がないことが対策の妨げになっているわけではない。
政府の対応に絡んで、条項の新設を求める声が自民党内から出ている。口火を切ったのは伊吹文明元衆院議長だ。「公益を守るために個人の権限をどう制限するか。緊急事態の一つの例。憲法改正の実験台と考えた方がいい」。先月末、派閥の会合で述べた。
ほかにも党幹部らの発言が相次ぐ。下村博文選対委員長は「議論のきっかけにすべきではないか」と講演で語った。国会で改憲論議が滞っている状況を動かす意図があるなら、筋違いも甚だしい。
自民党だけではない。日本維新の会の馬場伸幸幹事長は「いいお手本になる」と国会で述べた。安倍晋三首相は「憲法に緊急事態をどう位置づけられるかは大いに議論すべきもの」と応じている。
武力攻撃や大災害に際して、権限を政府に集中させる根拠となるのが緊急事態条項だ。政府は法律と同じ効力を持つ政令を制定して国民の権利を制限できる。
自民党は2012年に発表した改憲草案に盛り込んだ。緊急事態と認定する要件は緩く、政府権限の肥大化や過度な人権制限につながると批判され、18年にまとめた「改憲4項目」の条文案では、大災害時に限定している。
とはいえ、意見が一本化されたわけではなく、武力攻撃や内乱も対象にすべきだという声は党内に根強い。今回の動きにも、災害に限らない形で条項を設けたい考えが見え隠れする。
緊急事態条項は、例外的な状況を理由に憲法を無効化できるところに危うさの核心がある。歯止めが利かない強大な権限を政府に与え、全体主義に道を開いてきたことを歴史は教えている。
厳重な注意を要する“劇薬”をどさくさ紛れに持ち出すようなやり方が、まともな改憲論議に結びつくはずもない。「火事場泥棒」といった批判は野党だけでなく与党の公明党からも出ている。
感染症の対策は、柱となる感染症法のほか、検疫法があり、新型インフルエンザや新たな感染症に備える特別措置法も定められている。現行法で可能な対策を尽くし、不備があれば法を見直すのが筋だ。改憲の糸口にしようとする無用な議論は、目の前で進めるべきことの妨げにしかならない。