「9条は幣原総理の発案」の可能性が高い(16/02/29)
☆コメント1
はじめまして 幣原が「戦争の放棄」という観念を憲法に導入しようとしていたことが事実であったとしても、それが如何なる観念であったかということにつき、史料上で明らかになっているのでしょうか? 例えば「侵略戦争のみの放棄」だったのか「自衛戦争を含めての放棄」だったのか、軍事力の保持はどの程度許容されるのか又は一切許容されないのか、等々。 そのあたりを緻密に押さえておかないと、マッカーサーノートがケーディスによって改訂されたこと、衆議院におけるいわゆる「芦田修正」、貴族院における文民条項(66条2項) の挿入などについて、幣原がどのように考えていたのかが未解明の大きな課題として残されるように思います。 (ちなみに幣原は無任所とはいえ、憲法制定議会当時の第一次吉田内閣でも国務大臣でした) あと、どのような理由をつけるにせよ、憲法担当であった松本大臣(吉田内閣では金森大臣)、吉田外務大臣などに全くお話をしていなかった(しかも1月24日から2月13日までの三週間も)というのは不自然過ぎますし、マッカーサーと幣原という二人で憲法の重要な部分を内密に決定していたというのは、逆に「押し付け憲法論」よりもある意味で問題があると考えます。 私は、1月24日の会談で、幣原が今後の日本の採るべき理念として戦争の禁止又は抑止、軍事力の廃止又は厳格な制限を述べたということがあったとしても憲法の具体的な条文内容まで意識した発言はしなかった、しかしハーグ陸戦協定の絡みもあり、マッカーサー・幣原はじめ周辺の人々は「憲法第九条」を日本側(といっても幣原しかいないわけですが)の発案とせざるを得なかった、というくらいが真相に近いのではないかと思っています。 ちなみに『外交五十年』は占領(GHQの検閲)下で出版されたものですし、マッカーサーの証言には自らがハーグ陸戦協定に違反していないことを説明する意図が含まれていた可能性があるでしょうし、その余は二次史料の域を出るものではなく、決定的な一次史料が発掘されるまでは九条幣原発案説は保留すべきものと考えます。・・・匿名(16/05/09)
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博識に裏打ちされた丁寧なコメントをありがとうございます。 幣原が誰にもはかることなく直にマッカーサに伝えたということは大きな「問題」であり、その後も日本の関係者に何も話さなかったということは「不自然」である、というご指摘はそのとおりだと思います。 少なくとも2月上旬の段階までは日本側が憲法の草案を作ることで進んでいたのにもかかわらず、そこに反映させようとしなかったわけですから、どういう意図でマッカーサーに話したのかということになります。1月24日の会談は、幣原が「個人的に戦争放棄の意図を持っている」ことを四方山話的に語ったというのが本当のところかもしれません。 そのときはマッカーサーの方がその提案?に驚いたと伝えられています。それがGHQの上部組織である極東委員会が機能する前に憲法草案をまとめる必要性から「マッカーサノート」が提示されて……という展開になりました。 学問的立場からの「九条幣原発案説は保留すべきもの」というご指摘は受け止めますが、私は1月24日の会談でそんな形で幣原から出されたというのは事実だろうと考えます。・・・湯沢 事務局(16/05/09)
☆コメント2
1月24日の段階で幣原が提案しているなら、その提案に沿うように2月の時点で日本側の草案に取り入れるのが普通です。それなのになぜ、入れなかったのでしょうか。マッカーサー案に戦争放棄を入れることで、結果的には「アメリカからの圧力」で戦争放棄条項が憲法に入ったのですから、押し付けとは言えなくとも、アメリカの影響があり、完全に日本が望んだことではない、とするのが普通なのではないでしょうか。・・・匿名(16/05/11)
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9日付のコメントで、幣原の戦争放棄の具体的条文が不明で、日本側の意思統一をしたものでもないので、正式な提案とは言えないというご指摘は尤もです。 GHQに督促された挙句2月8日に提出した日本の憲法案(松本委員会案)は、旧帝国憲法をほんの少し手直ししただけのものであったのでGHQに一蹴されました。 その間全く幣原の意見を憲法案に反映させなかったのは、旧帝大の憲法学の重鎮たちを集めて松本烝治(民法の権威)国務大臣が仕切っていた「憲法問題調査委員会」には、首相といえども口出しする余地がなかったためということもありますが、幣原の側近であった平野三郎が幣原から聞き出した例の「平野メモ」に書かれている、「この情勢の中で天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを考えたわけであるが、国体に触れることだから、仮にもこんなことを口にすることは出来なかった。そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心した(要旨)」というのが真相であると思います。・・・湯沢 事務局(16/05/11)
☆コメント3
返信ありがとうございます。 そういう状況ではなかった、という点は同意します。推測ですけど。 結局、アメリカの命令という形で9条が出来たことに変わりないのですから、押し付けかどうかはともかく、日本が望んだとは言えないと思います。 また、9条以外の条文もアメリカ側の影響が強いと思います。 そして9条を受け入れる代わりに沖縄がアメリカの支配下に置かれました。 改憲派も護憲派もその点を頭に入れるべきではないでしょうか。 天皇制を残し、9条を取り入れる代わりに沖縄を売った。 その事実の重みを直視すべきです。 9条があるからこそ、今現在でも沖縄を中心に米軍基地があるのですから。 経緯として、日本を非武装にする代わりに沖縄を米軍の駐屯地として扱うことになったのです。・・・匿名(16/05/11)
☆コメント4
憲法学では、日本国内にも民間憲法の研究者がいて内閣などの見解もあわせて参考にしたのは事実である。 GHQの見解が気に入らないというなら、皇族というのはアメリカの牧師の温情を受けて継続することが許された一種の宗教である。自民党自身が戦後米国にすりよることで帝国主義の日本から宗旨替えした連中の集まりである。 シンガポールが英国の植民地の支配が憎いのでその遺産をすべて捨てたのか? エジプトがスエズを捨てるのか?結局支配を受けた側がなにを選択するかが大切であり、日本国民であれば時の政党ごときが都合のいい解釈を年中捻じ曲げて、がたがたと国の根幹に立ち入ることをやめさせたいと考えるのは当然ではないか? 自民改憲試案など国家レベルの詐欺だ。 やつらが株に年金を投入し、国民の通貨のバラまきを行って、 GDPが2%を超えたのか?まったく超えていない。 責任のせの字もない連中に改憲など任せると主張するほうがおかしい。・・・D(16/05/11)
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コメントをありがとうございます。・・・湯沢 事務局(16/05/11)
☆コメント5
[事実である」かどうかは1次資料がないので、決められません。 あくまでも、可能性がある、ぐらいの表現にとどめておくべきです。・・・匿名(16/05/11)
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幣原の著書とマッカーサーの発言は一次史料に当たると思われます。一連の経過からして幣原の提案であったのは事実と思いますが、敢えて刺激的なタイトルを付ける必要もないのでこの際修正しました。 これまで数々のコメントをありがとうございました。・・・湯沢 事務局(16/05/12)
☆コメント6
1次資料ではありません。1次資料は同時代の資料の事です。数年後の証言をまとめたものは2次資料になります。 マッカーサーが提案したという証言もあるので、「事実である」は間違いです。 あくまでも、「幣原が提案したという説がある」にとどめるべきです。 あと、マッカーサー提案説もあるので、そちらも尊重してください。・・・匿名(16/05/12)
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当人の著述や証言でも数年後に行ったものは1次史料にはならないとは知りませんでした(初めてお聞きしました)。 いずれにしても幣原がその旨を記述し、そのことを直接聞いた証人が2人いること、そして何よりも提案を受けたマッカーサーが、米議会で2回、日本の国会からの問い合わせに対して1回、幣原の言う通りだと証言している以上、整合性に欠けるところはなく極めて信憑性が高いと考えます。 マッカーサー提案説もあるということですが、もしそうであるなら当時日本の占領に関しては全能の権力を持っていた彼が、どうしてそのことを隠し、わざわざ幣原を巻き込んだ上で幣原提案説を捏造する必要があったのでしょうか。 幣原提案説に強い疑念をお持ちのようですので、それはしかるべき場において論文を発表されては如何でしょうか。 ここは別に学術論文発表の場ではなく単なるブログなので、当方の信念と主体性で運用させていただきます。貴意に完全に沿えない点があるのはご理解願います。・・・湯沢 事務局(16/05/12)
☆コメント7
はい。第3者の客観的な記録や公式の文書として「幣原がマッカーサーに提案した」という証拠がないと1次資料とは言えません。その会談の時の録音でもあれば決定的なのですが、残念ながらありません。 また、1月24日に幣原がマッカーサーに提案したとして、幣原がそれに伴う行動を起こしていない点が非常に不可解です。閣議でなぜ提案しなかったのか。 また、幣原自身、軍備を肯定する文書も出している。 マッカーサーは朝鮮戦争の後、アメリカ議会で追及を受け、憲法9条は「日本側が言い出した」という事にして追及を逃れようとしたと思われます。
http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/3598.html あと、歴史学者の中で、「幣原提案説」を主張する人はほとんどいません。・・・匿名(16/05/13)
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幣原がマ氏(マッカーサー 以下同)に提案後も沈黙を守っていた理由は、11日の返事に書きましたように、「当時の情勢下で『天皇の人間化』や『戦争放棄』を口にすることは、国体に触れることだから出来なかった。そこでマ氏から命令として出して貰うようにした」ためであると理解しています。 幣原はその後も首相として内閣の総意による政治を行ったので、あるいは提案に反する事項も当然あったかと思います(彼は決して独裁者ではありませんでした)。
例示された前坂氏のブログを読みましたが、そこでも幣原の関係者による1月24日の出来ごとに関する記述は実に迫真的で、実際にあったからだとしか思えないというのが率直なところです(俄か作りの捏造とはとても思えません)。 特に、幣原が退出した後すぐに司令官室に入ったホイットニーが、「マッカーサーの表情によって、何か重大なことが起きたことがすぐわかった」として、元帥から「幣原が憲法に戦争と軍備を永久に放棄する条項を加えるのを提案した。自分はそれに賛意を表しないではいられなかつた」と伝えられたと述べている(ホイットニー著「マッカーサー」)のも実に迫真的で、マ氏とはワンクッションあった他の関係者たちの否定論などを凌駕していると感じました。 逆に松本委員会の改憲案がGHQに一蹴されて面目を失った松本烝治氏が、幣原から頭越しにマ氏に提案があったことを後になって知ったときに、それ(元々知らなかった筈のこと)を否定するということに意味があるとは思えません。 9条の原案は、当初マッカーサーに与えられた「日本占領政策基本」には入っておらず、マッカーサーの考えの中にも入っていなかった筈ですから、それが幣原提案を受けてマ氏が決断してマッカーサーノートに記述されることになったと考えるのが自然ではないでしょうか。 マ氏が朝鮮戦争中に大統領から解任されて窮地に立たされていたにしても、だからと言って直ちに彼が幣原提案説を捏造したと極めつけるのには如何なものかと思います。 9条が条文として提示されたのはマッカーサーノートなので、正式にはマ氏によって提案されたとされることには異存はありません。問題はマ氏自身がその後「幣原提案がもとになった」と証言したことに対する評価であって、いわゆる「こぼれ話」として賛否両論があるのは当然のことです。 それについて幣原提案説は、マ氏に与えた影響を含めて全ての点で合理的であると考える、というのが当方の立場です。それをいくら否定されても当方としての思いは変わりません。
本ブログではいただいたコメントをその都度公表していますので、読者の皆さんは貴方のご意見についてはもう十分に理解していると思います
このところ議論が堂々巡りになってきた感がありますので、この辺で終わりにしたいと考えます。もしもまだ主張し足りない点がおありでしたら、そういう前提で次回総括的なコメントをいだきたいと思います。・・・湯沢 事務局(16/05/13)
☆コメント8
はい。総括的なコメントをします。 幣原、マッカーサーのどちらが提案したにせよ、正式な閣議ではなく、GHQの要求という形で戦争放棄条項が取り入れられたのは事実なのですから、安倍政権や改憲派が「押し付けである」と主張するのは一定程度の説得力があること。まず、これを言いたいのです。 どうしても戦争放棄を入れたいなら幣原は閣議で熟議し、他の委員メンバーを説得するべきで、マッカーサーからの命令に近い形にしたのは大いに問題があります。その問題を無視して、「9条は日本人が望んだ」とするのは暴論です。 マッカーサー提案説を主張する学者も多数、存在します。 言論の自由を尊重するであろうブログの筆者であるならば、幣原説に賛成しつつも、「なお、マッカーサーが提案したという説もある」ぐらいの文章は入れるべきです。自分たちと異なる見解を取り上げずに排除する行為は安倍政権そっくりになってしまいます。 以上です。・・・匿名(16/05/13)
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貴方のご意見として受け止めさせていただきます。 数次にわたるコメントをありがとうございました。・・・湯沢 事務局(16/05/13)