2016年6月5日日曜日

05- 『報ステ』古舘伊知郎 『クロ現』国谷裕子氏にギャラクシー賞

 日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰するため1963年に創設されたギャラクシー賞の、2015年度TV部門大賞が2日、古賀伊知郎氏がMCを務めた『報道ステーション』「特集 ノーベル賞経済学者が見た日本」(2016年3月17日放送)「特集 独ワイマール憲法の“教訓”」(2016年3月18日放送))に、また同個人賞がNHKのクローズアップ現代のMCを務めた国谷裕子氏にそれぞれ贈られました。
 
 LITERAが、古館氏が「報ステ」を去る直前に、ドイツから渾身のレポートを行った「特集 独ワイマール憲法の“教訓”」についての記事を再録しましたので紹介します。
 
 LITERAはこれに関する二つ目の記事を、「国谷氏も古舘氏も番組を去ってしまったことを考えると、今回の受賞は皮肉な話でもあり、権力側の“不都合”を伝えてきたキャスターの不在がいかに大きな穴となっているかを際立たせるものとなった。しかし、あらためてジャーナリズムのあるべき姿をギャラクシー賞が示したことの意味は大きい」と結んでいます
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『報ステ』古舘伊知郎“最後の一刺し”がギャラクシー賞を受賞! 
 安倍とヒトラーの類似性をドイツ取材で証明
LITERA 2016年6月3日
 この1年間で放送された優れた番組に贈られるギャラクシー賞の贈賞式が、昨日6月2日、都内で行われた。注目は、テレビ朝日『報道ステーション』の「特集 ノーベル賞経済学者が見た日本」(2016年3月17日放送)「特集 独ワイマール憲法の“教訓”」(2016年3月18日放送)がテレビ部門大賞を受賞したことだろう。
 ギャラクシー賞は毎年、特定非営利活動法人「放送批評懇談会」がNHK、民法放送各局から独立して審査・顕彰するが、ニュース番組が大賞を受賞するのは初めてのこと。そして、大賞を受賞した『報ステ』の特集「独ワイマール憲法の“教訓”」は、現在、安倍首相が改憲での創設に強い意欲を見せている「緊急事態条項」と、ヒトラーが独裁に利用した「国家緊急権」が酷似していることを鋭く指摘したもの。それも、古舘伊知郎キャスターが直接ドイツからレポートして、権力が暴走する歴史を丹念に検証するという力作であった。
 
 ご存知の通り、『報ステ』はこれまで、安倍政権からの有形無形の圧力にさらされてきた。古舘氏は今年の3月末をもって番組を降板。最後の出演で古舘氏は“圧力がかかって辞めるわけではない”としつつも、「ただ、このごろは、報道番組で、あけっぴろげに、昔よりもいろんな発言ができなくなりつつあるような空気は、私も感じています」と、放送メディアが安倍政権を忖度し、現場も自由な報道ができていない現状を率直に語った。
 その意味で、今回、古舘氏の“最後の一刺し”であった「特集 独ワイマール憲法の“教訓”」が、ギャラクシー賞の大賞に輝いた意味は大きい。さらに贈賞式では、同じく今年の3月でNHK『クローズアップ現代』を降板した国谷裕子氏に特別賞が授与され、古舘氏と二人三脚で『報ステ』を支えてきた元プロデューサー・松原文枝氏がスピーチをするなど、現在の放送メディアの苦境を現場の人間が臆さずに跳ね返そう、という強い意志を感じるものだった。
 放送メディアには、政権の圧力に屈さず、決して忖度することのない番組作りをしてもらいたいと切に願う。目前にある日本社会の危機を真摯に検証し、愚直に報道することこそが、視聴者がメディアに求めているものに他ならないからだ。
 
 以下に、今回ギャラクシー賞の大賞に輝いた『報ステ』の特集を、当時本サイトが紹介した記事を再録するので、ぜひこの機会にいま一度、じっくりとその内容をお読みいただきたい。 (編集部)
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 昨夜3月18日に放送された『報道ステーション』(テレビ朝日)が、いま大きな話題を集めている。というのも、昨夜の特集は安倍首相が改憲の入口として新設を目論んでいる「緊急事態条項」。しかも、ヒトラーが独裁のために悪用した「国家緊急権」と重ね合わせるという、安倍首相が激怒すること間違いなしの内容で、古舘伊知郎キャスター自らがドイツへ渡りレポートする力の入れようだったからだ。
 まず、古舘キャスターはドイツからのレポートの最初に、こう話した。
ヒトラーというのは、軍やクーデターで独裁を確立したわけじゃありません。合法的に(独裁を)実現しているんです。じつは、世界一民主的なワイマール憲法のひとつの条文が、独裁につながってしまった。そしてヒトラーは、ついには、ワイマール憲法自体を停止させました」
「ヒトラー独裁への経緯というのを振り返っていくと、まあ、日本がそんなふうになるとは到底思わない。ただ、いま日本は憲法改正の動きがある。立ち止まって考えなきゃいけないポイントがあるんです」
 
 独裁の道に走らせたワイマール憲法の条文、それこそが「国家緊急権」だ。「大統領は公共の安全と秩序回復のため必要な措置を取ることができる」という条文をヒトラーは悪用、集会やデモの開催を禁止し、出版物を取り締まり、共産主義者を逮捕し、野党の自由を奪い、あらゆる基本的人権を停止させた。ここまでは教科書にも書いてあることだが、本題はここから。この「国家緊急権」が「緊急事態条項」とそっくりではないか、と言及するのだ。
 国家緊急権と緊急事態条項がそっくりだというのは、本サイトでも昨年から繰り返し指摘してきた。安倍政権は大規模な自然災害時に迅速に対応するために緊急事態条項が必要なのだと強調するが、これは建前に過ぎない。事実、自民党による憲法改正草案の該当箇所には、こうある。
 
《(緊急事態の宣言) 
 第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。》
「災害時のために」と言うわりに、自然災害が出てくるのは最後の3番目である。しかも草案では、緊急事態宣言は国会の承認が必要だが事後でもいいことになっており、これは事実上、事後承認でやりたい放題できる、ということだ。
 くわえて草案には、ダメ押しで、《この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限尊重されなければならない。》とある。つまり、法の下の平等、身体の拘束と苦役からの自由、思想と良心の自由、表現の自由といった人類普遍の権利でさえ「最大限尊重」(厳守ではない)程度の扱いになるのである。
 
 夏の参院選で与党が3分の2以上の議席を獲得し、緊急事態条項の新設となれば、いよいよ本当に安倍首相はヒトラーのように独裁にひた走るのではないか──。実際、昨夜の『報ステ』では、ワイマール憲法の権威であるドイツ・イエナ大学のミハエル・ドライアー教授にこの緊急事態条項を見せたところ、ドライアー教授はこう述べていた。
この内容はワイマール憲法48条(国家緊急権)を思い起こさせます。内閣の一人の人間に利用される危険性があり、とても問題です。
  一見、読むと無害に見えますし、他国と同じような緊急事態の規則にも見えますが、特に(議会や憲法裁判所などの)チェックが不十分に思えます。(中略)なぜ一人の人間、首相に権限を集中しなければならないのか。首相が(立法や首長への指示など)直接介入することができ、さらに首相自身が一定の財政支出まで出来る。民主主義の基本は「法の支配」で「人の支配」ではありません。人の支配は性善説が前提となっているが、良い人ばかりではない」
 
 良い人ばかりが首相になるわけではない。現状の安倍政権の強権的な態度を考えると、じつに含みのある話である。さらに番組ではスタジオゲストとして、昨年の安保法制の国会審議の際、与党の推薦で参考人として国会に招致され「安保法制は違憲」という見解を示した長谷部恭男・早稲田大学法学学術院教授が登場。長谷部教授は、「内閣総理大臣がそう(緊急事態だと)思えば(緊急事態宣言を行える)という、主観的な要件になっている。(発動要件が客観的ではなく)非常に甘い」「場合によっては怪しいと思われれば令状なしで逮捕される、そんなことになるということも理屈としてはあり得る」と緊急事態条項の危険性を述べ、また、“緊急事態条項が必要ならば憲法に入れるのではなく法律を設けたらいい話なのではないか”という見解も示した。
 
 このように、多角的に緊急事態条項を掘り下げた『報ステ』。しかし、古舘キャスターは番組中、「ヒトラーのような人間が日本に出てくるとは到底想定できないんですが」と何度も念を押し、さらには一度たりとも「安倍」という二文字を発しなかった。
 だが、この特集のテーマは緊急事態条項と国家緊急権の類似性のみに留まらず、緊急事態条項の新設を目論む安倍首相の危険性をも暗に伝えるものだった。
 
 たとえば、ドイツからのリポートVTRでは、ヒトラーが経済政策と民族の団結を全面に打ち出したこと、ヒトラーが「強いドイツを取り戻す」という言葉で民衆から支持を得ていったこと、そしてヒトラーは巧妙に言葉を言い換え、独裁を「決断できる政治」に、戦争の準備を「平和と安全の確保」と表現していたことを、古舘キャスター自らが紹介した。お察しの通り、これはすべて安倍首相に置き換えられるものだ。
 というよりも、ヒトラーの手法を安倍首相が多分に意識し、真似ているといったほうがいいだろう。現に自民党は、自民党東京都支部連合の事務局広報部長(当時)がヒトラーの選挙戦略を学ぼうという『HITLER ヒトラー選挙戦略』(小粥義雄/永田書房)なるナチス礼賛本を出版。高市早苗総務相が「著者の指摘通り勝利への道は『強い意志』だ。国家と故郷への愛と夢を胸に、青年よ、挑戦しようよ!」という推薦文を寄せていた(ちなみに同書は批判が殺到し、わずか2カ月で絶版回収されている)。
 
 まさに、日本がいま置かれた危機的状況のなかで警鐘を鳴らす、渾身の特集。既報の通り、政権からの圧力によって降板に追い込まれた古舘キャスターだが、この放送はそんな古舘氏と番組スタッフたちによる、じつに真っ当な方法による“政権への反撃”だったのだろう。
 古舘キャスターは特集の最後を、こんな言葉で締めくくった。
「とにかく立ち止まってじっくり議論をする、考えてみるということが、この条項に関しては必要ではないか、その思いで特集を組みました」
 
 こうした重要な情報を視聴者に伝えるのが、本来の報道の役割であるはず。だが、ヒトラーよろしく日本の独裁政権はこれを“偏向報道”と呼び、不都合な事実を伝えるキャスターたちをことごとく握り潰すことに成功した。まさしくいま恐ろしい国になりつつあるが、最後に気概を見せた『報ステ』は、古舘キャスター最終日の31日の放送まで見逃せないものとなりそうだ。大いに期待したい。 (水井多賀子)
2016年3月19日LITERA記事の再録)
 
報ステ、国谷のギャラクシー賞受賞でネトウヨ=安倍応援団が「偏向報道大賞」と攻撃! その権力の犬ぶりに絶句
LITERA 2016年6月4日
 昨日もお伝えしたように、『報道ステーション』(テレビ朝日)のふたつの特集が、2日に発表された第53回ギャラクシー賞・テレビ部門大賞に輝いた。受賞した特集は、ジョセフ・スティグリッツ教授がインタビューに応じ、アベノミクスを批判した「ノーベル賞経済学者が見た日本」、安倍首相が憲法改正で新設を目論んでいる緊急事態条項とヒトラーが独裁のために悪用した国家緊急権の共通性を暴いた「独ワイマール憲法の“教訓”」だ。
 いずれも視聴者の知る権利を守る重要な内容で、この『報ステ』大賞受賞には「納得の受賞」「真摯な報道が認められることは良いこと」と評価する声が挙がったが、一方でネット右翼がまたしても猛反発。「“偏向報道”大賞だ」とバッシングを繰り広げている。
 
 そもそも、この「独ワイマール憲法の“教訓”」は、例の極右団体「放送法遵守を求める視聴者の会」が、以前より「洗脳報道」「国際的なスキャンダル」「安倍総理がヒトラーなのではない、古舘伊知郎氏こそがゲッペルスではないか?!」などと攻撃していた。このような団体が激怒するという点でその報道の正当性が浮き彫りになるかのようだが、今回、『報ステ』が受賞したことにくわえて、大賞に次ぐ優秀賞3本のひとつに『NNNドキュメント'15 南京事件 兵士たちの遺言』(日本テレビ)が選ばれたこと、さらに特別賞を『クローズアップ現代』元キャスターの国谷裕子氏が受賞したことから、ネトウヨが大挙して「左がかっている」「日本の国益を損ね貶める」「偏りは偏りを選ぶんだね」とギャラクシー賞を非難。「“ギャラクシー”ってことはサムスン=韓国が関わっている」などという事実無根の陰謀論までが飛び出す始末となっている。
 
 まさに「やれやれ」と言うほかないが、はたしてネトウヨは、今年の優秀賞に選ばれた人気バラエティ番組『家、ついて行ってイイですか?』(テレビ東京)や、第51回に大賞に輝いた『あまちゃん』(NHK)といった番組も「左がかっている」とでも言うのだろうか。さすがにそれは無理がありすぎる話だ。というより、ギャラクシー賞が一貫してこうしたバラエティやドラマも報道やドキュメンタリーと同じ土俵の上で評価してきたことを考えると、じつにフラットな賞であることがわかるはずだ。
 しかも、まるでギャラクシー賞が昨日今日できたような賞だと思っている輩も多いようだが、1963年に創設された歴史ある賞であり、その独立性の高さから、放送界ではもっとも権威ある賞として有名なものだ。
 
“お手盛り”ではなく、放送批評家やメディア研究者などが自主独立して放送を論じる。このように長きにわたって日本の放送批評をリードし、信頼を高めてきたギャラクシー賞が、ニュース番組として初めて『報ステ』を大賞に選んだことには、大きな理由があるはずだ。
 実際、2日の贈賞式では、テレビ部門委員長の丹羽美之・東京大学大学院准教授は、古舘氏や国谷氏のキャスター降板について「このまま自由にものが言えなかった時代に逆戻りしてしまうのではないか、という不安も大きくなりました」とテレビに対する視聴者の実感を語り、「私たちはものがはっきり言える、言いたいこと、言うべきことをきちんと言える、そういうテレビ番組を応援したいと思っていますし、そういう番組がつくられていくことがこの国のテレビジャーナリズム、民主主義の成熟度を図るバロメーターになるという思いで選考に当たりました」と述べた。
 
 つまり、今回の『報ステ』受賞は、報道への圧力が高まるテレビ界の危機的状況に対し、警鐘を鳴らすという意味合いも込められていたのだろう。逆に言えば、今回受賞した『報ステ』の特集を「偏向報道だ!」と叫ぶ者たちの声が強まれば、権力への忖度を促すことになっていく。だが、真っ当なジャーナリズムは本来、「言うべきことをきちんと言える」ものであり、そうした放送こそが評価に値するという姿勢をあらためて示した今回の選考は、左とか右といった思想性云々ではなく放送・報道のあるべきかたちを問うたのだ。
 
 現に、受賞した番組制作者たちは、テレビの現状を物語るスピーチを行っている。今回、「徹底した現場主義と映像媒体の長所を生かした王道の調査報道」と評価を受けた『南京事件』のディレクター・清水潔氏は、「忖度の“そ”の字もないような番組をつくってみたいと思いました」と語り、さらに、官邸からの圧力によって古賀茂明氏の降板とともに番組から更迭された『報ステ』の元プロデューサー・松原文枝氏は、制作者のひとりとして壇上にあがると、放送界は窮屈になりつつあると指摘。その上で「受賞はこういう番組づくりを続ける励みになる」と喜びを語った。
 
 権力に忖度しない番組づくりを評価することは、放送の自由が危ぶまれるいまこそ、重要な意味をもつ。それは国谷裕子氏の言葉からも感じられるものだ。国谷氏は『報ステ』の大賞受賞を受けて、「皆、臆せずに、伝え続けようという決意が伝わる授賞式だったなと思います」と言い、「問うべきことは問う、伝えるべきことは伝えるというこれまで自分がやってきたスタンスで良かったんだなとも思いました。それをやるのが報道なんだ、それだけの機運、情熱を感じました」と述べたという。
 
 国谷氏も古舘氏も番組を去ってしまったことを考えると、今回の受賞は皮肉な話でもあり、権力側の“不都合”を伝えてきたキャスターの不在がいかに大きな穴となっているかを際立たせるものとなった。しかし、あらためてジャーナリズムのあるべき姿をギャラクシー賞が示したことの意味は大きい。
 
 だが、そうした放送を歪めようと躍起のネトウヨたちが、権力に代わって賞を貶めようとバッシングを行う、それもまた日本の現状だ。だからこそ、萎縮してはいけない。番組をつくる側も、批評する側も、このような民主主義を破壊しようとする声に抗していくことが、今後、ますます重要になってくるだろう。 (都築光太郎)