2018年8月22日水曜日

安倍三選に大義名分はない 村上誠一郎議員が斬る

 安倍首相が3選を目指す自民党総裁選の日程が「9月7日告示―同20日投開票」に決定しました。どの新聞にも「安倍圧勝」の文字が躍っていますが、そんな中で安倍首相は出来るだけ出馬表明を先送りし、石破氏との論戦を回避するというまことに姑息な戦術を取っています。
 その一方で、安倍首相は「現職がいるのに総裁選に出るというのは、現職に辞めろと迫るのと同じだ」とスゴみ(意味不明)、周囲からは総裁選で敵対すれば「推薦人を含めて干し上げる」、「二度とチャレンジできないように石破を叩き潰す」という声が盛んに流されています。実に異常なことであり、「俺様に楯突くとは許せない」という発想です。これでは「明治への回帰」は愚か、もっと昔の「お山の大将」時代?! にまで遡ったとしか考えられません。
 
 この1年余り、国会では常に安倍政権の害悪が追及されてきました。しかし安倍首相はどんなに道義的・政治的責任問われても、まったくその自覚はなく、何らの反省もしませんでした。
 6年近く続いた安倍政権は、間違いなく政界、官界を腐敗させた根源となり果てていますが、決してそれだけに留まらずに社会の各方面にまで腐敗を生み、実に異常な世相になっています。
 そんな政権が、自民党の党則を変更してまで三選を目指そうとしているのに、なぜ党内に殆ど批判する声が出ないのでしょうか。まことに不思議なことです。
 
 いまや自民党の中の数少ないご意見番となった村上誠一郎衆院議員が、「安倍三選に大義名分はない」と断じました。村上氏の語る一言ひとことは正に指摘の通りで、説得力があります。
 また政治家は滅多にメディアを批判しないものですが、メディアが権力へのチェック能力を失ったことについては「軽減税率の中に新聞を盛り込んだことは、社会の木鐸の放棄につながった」と述べ、「民主主義が疲弊すれば必ずファシズムが台頭する」とも警告しています。
 
 HARBOR BUSINESS Onlineの記事を紹介します。
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「安倍三選に大義名分はない」自民党の重鎮、村上誠一郎議員が斬る
HARBOR BUSINESS Online 2018年8月21日
 「安倍3選」が最大の争点となる自民党総裁選が近づいている。
 安倍政権の5年間で、国民の多くが反対する法案の強行採決が繰り返され、虚偽や誤魔化しが横行し、公文書が改ざん・隠蔽され、議会制民主主義は完膚なきまでに蹂躙された。
 しかし、今の自民党内には、これらのことについてまるで無批判。自民党内の大勢は「安倍3選」追認に流れている。このままでは日本の議会制民主主義は崩壊し、日本そのものの衰退に繋がるのは間違いない
 保守系月刊誌『月刊日本』9月号では、そんな自民党の現状を前に、自民党OBや現職、かつての野党議員の重鎮が「これでいいのか、自民党!」と叱咤の声を挙げている。
 今回はその中から、自民党の重鎮として知られる村上誠一郎議員の声を紹介したい。
 
◆安倍さんは日本中に非常に悪い見本を示している
 
──安倍首相の党総裁三選の流れが出来つつあります。
村上誠一郎議員(以下、村上):私は、安倍三選に大義名分はないと思います。本来国家の指導者は国民全体に模範を示さなければならない立場にあります。ところが、安倍さんは日本中に非常に悪い見本を示していると思います。
 
森友、加計学園問題、南スーダンとイラクの自衛隊の日報隠し、働き方改革法案の杜撰なデータ問題。いずれも、安倍さんが起点となって、安倍さんの側近や親しい友人が引き起こした不祥事です。安倍さんは、道義的・政治的責任が問われているのです。ところが、安倍さんにはその自覚もないし、反省もありません
これらの不祥事によって、財務省、文科省、防衛省、厚労省の信用は失墜しました。これだけ多くの問題が顕在化したにもかかわらず、行政の長である安倍さんは一切責任をとっていません。不祥事を起こしても、ごまかし、役人にだけ責任をとらせてやり過ごす。それが罷り通っているのです。
 
政が乱れれば、世の中全体が乱れます。政界や官界だけではなく、社会のどこを見ても乱れ切っています。経済界を見れば、日産やスバル等の無資格検査、東レのデータ改ざん、東芝の粉飾決算など、日本を代表する企業の不祥事が次々と明るみに出てきています。
スポーツ界を見れば、日大アメフト部のタックル事件、日本ボクシング協会の問題など、スポーツマン精神に悖る事件が次々と噴出しています。大阪の高校ハンドボール予選大会では、相手チームのエースを「ひじ鉄」でつぶして、国体行きを決めたことが不問に付されています。いまや、日本の道義は完全に地に堕ちてしまったのです。日本全体がモラルハザードに陥っています。国民に範を示すべき指導者が、悪い見本しか示していないからではないでしょうか。
 
安倍さんは、行政の長としての責任を問われているだけではありません。安倍政権の政策を見ても、アベノミクスは賞味期限が切れ、外交も行き詰っています。もはや安倍政権に存続理由はどこにもありません。にもかかわらず、安倍さんは三選を目指しています。どこに大義があるのでしょうか。
 
──自民党国会議員の多数は、安倍総理を支持しています。
村上:安倍三選は異常事態です。これにストップをかけないで、政治家として責任を果たしていると言えるでしょうか。
本来、国会議員は総理、県会議員は知事、市会議員は市長をチェックすることが重要な仕事です。ところが今や、上から下まで、議員たちは総理、知事、市長の寵愛を受けるために忖度しているように見えます。
国会議員の使命は、安倍さんに忠誠を誓うのではなく、国家と国民に忠誠を誓うことです。ところが、自民党議員の多くが安倍さんに忠誠を誓うことが自分の役割だと思っているように見えます。
 
◆政治家は志、信念、矜持を持て
 
──なぜこのような状況になっているのですか。
村上小選挙区制の導入によって、公認・比例の順位も、政治資金も執行部に握られてしまったからです。また、小泉政権時代の郵政選挙の際、郵政民営化に反対する議員は公認を得られず、しかも刺客候補を立てられました。それ以来、選挙に弱い議員たちは、執行部に逆らえば当選できないというトラウマを抱えることになったのです。
また、見識のない自民党議員が増えている原因の一つは、候補者選定システムにあります。書類選考によってキャリアやルックスを見るだけで、人物の見識を見ていないのです。だから、杉村太蔵氏、宮崎謙介氏、中川俊直氏、杉田水脈氏といった人物が議員になってしまうのです。欧米では、議員候補者をまず党の職員として雇い、政策立案や選挙区での仕事をさせて、議員としての資質を見極めています。
いまや、国会議員たちは党幹部に媚を売り、それによって当選し、ポストを得ることが政治だと思い始めているのです。政治家は選挙とポストのために、勇気と正義と倫理観を失ってはいけない。政治家たるもの、志、信念、矜持を持つべきです。官僚たちは、公務員法改正による内閣人事局によって人事権を官邸に握られた結果、官邸にものが言えなくなってしまいました。
しかし、堕落したのは政治家や役人だけではありません。国民全体が道義を失った背景には、戦後教育の失敗だと思います。「公の精神」を取り戻すために、教育を再建する必要もあると思います。
 
──マスコミも権力に対するチェック機能を果たしていません。
村上:マスコミは、日馬富士や和歌山のドンファン等、さほど重要でないことを繰り返し報道して、重要なことを伝えていません。マスコミが萎縮したのは、安倍政権による焚書坑儒の結果です。かつて、自民党政権はマスコミに批判されても、マスコミを力で押さえつけるようなことはしませんでした。ところが、安倍さんは特定秘密保護法成立を強行し、高市早苗総務相は、政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性について言及しました。
何より、新聞社トップの働きかけによって、軽減税率の中に、食品とともに新聞を盛り込んだことは、社会の木鐸の放棄につながったのではないでしょうか。44年間も続いてきた政治番組『時事放談』も9月末で終了してしまいます。権力を批判できる番組がなくなりつつあるのです。
私は、世論調査にも疑問を抱かざるを得ません。一般の世論調査と大手メディアの世論調査には、あまりにも大きな乖離があります。一般の国民の中では安倍三選を支持する人はあまり多くありませんが、大手メディアの世論調査では多数が安倍三選を支持しているように報道しています。
 
──安倍独裁が進みつつあるのでしょうか。
村上民主主義が疲弊すれば、必ずファシズムが台頭してきます。かつて1930年代に、ドイツでは全権委任法が成立して、民主的なワイマール憲法が葬り去られました。
安倍政権によって強行された特定秘密保護法成立、国家公務員法改正、集団的自衛権の解釈改憲、共謀罪法成立などを一つのパッケージとして見れば、すでに、実質的に全権委任法は形成されているように感じます。
戦前の大政翼賛会の時代ですら、東條内閣に反対する議員はかなりいました。ところが、安倍さんに反対する与党議員は数えるほどしかいません。平成の時代にこのような事態になるとは夢にも思いませんでした。
いまこそ、自民党議員もマスメディアも、それぞれの矜持を取り戻して「安倍三選に大義名分はない」と主張すべきです。
 
 『月刊日本9月号』では、他にも「安倍3選」を阻止すべく総裁選出馬を決めた石破茂議員や、亀井静香氏や村上正邦氏、山崎拓氏といった自民党の重鎮OBらが自民党の現状に怒りの声を挙げている。
<文/月刊日本編集部>
 
げっかんにっぽん●「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。