2018年8月4日土曜日

米国はどれだけの国を侵略し、または政権を転覆してきたのか

 ここに紹介する記事は、「8月1日)米国は 米国から自立する国を許さない Paul Craig Roberts」、「8月2日)アメリカ合州国は 唯一残っている宗主国(Paul Craig Roberts)」の総集編に当たるもので、『第二次世界大戦以降、米国が外国政権を打倒したか、打倒しようとした事例』のリストです。
 米国が、国際法違反の「他国への侵略」や「他国政府の転覆」に如何に専念して来たのか、その悪行を示す一覧表です。
 
 因みに米国は、建国後に延べ222年にわたり戦争をしてきた(2015年現在)国です。正に謀略国家、戦争国家と呼ぶしかありません。
 
 このリストは2013年2月に発表されたもので、その後2014年2月にウクライナで引き起こされたクーデターは含まれていません。
 このクーデターは、米国務省国務次官補(欧州・ユーラシア担当)ビクトリア・ヌーランドが現地で打ち合わせをした直後に起こされ、広場にいた群衆は労働組合ビル内に逃げ込むなどしましたが、暴徒は建物にも放火して虐殺を続けるなど、凶悪なメンバーを揃えたグループを投入して引き起こした「血塗られた」クーデターでした。
 
 米国は資源大国でロシアに隣接するウクライナを属国化するため、5000億円もの工作資金を投入したと言われています。そしてロシアをウクライナ南端のクリミヤ半島黒海沿岸の軍港から追い出すことがクーデターの目的の一つでした。
 しかしこの軍港の使用については はるか以前からクリミア自治共和国との間で取り決められ、2万人のロシア軍が常駐していたので、米国の目的は達成されなかったどころか、クリミヤ自治共和国はクーデター後、国民投票を行い圧倒的高率でロシアへの併合を決めました。
 
 当てが外れた米国は、ロシアがクーデター後にクリミアに侵攻し占領したとして経済制裁を課し、西側の諸国はそれに従いました。
 クライナ問題で非難されるべきは米国なのに、西側にはそれを指摘する国は一つもなく、逆に不条理極まる「対ロシア制裁」に同調しているというのが現在の状況です。身勝手で邪悪な超大国が存在すると世界がどこまで狂うのかの良い例です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
“アメリカ・ゲート”? 他国政権打倒:アメリカによる“政権転覆”リスト
マスコミに載らない海外記事 2018年8月3日
William Blum  Global Research、2018年7月31日
William Blum 2013年2月1日
 
Grobal Reserach編集者注記
 この国々の痛烈なリストは、最初、2013年、ウィリアム・ブルムにより公開され、2014年、Global Researchに掲載された。
 中南米や中東での最近の進展を考えると、アメリカが支援する軍事クーデターや“ソフト・クーデター”別名政権転覆の歴史は、思い出す価値がある。
 いわゆる“ロシア捜査”の下で、モスクワがアメリカ内政に干渉したと、アメリカが非難しているのは辛辣な皮肉だ。
 本記事は、軍事クーデターや戦争やテロ組織支援や政権転覆を支援する秘密作戦によって主権政権を打倒するプロセスを概観する。言うまでもなく“アメリカ・ゲート”など論外だが、それでもこのリストは示唆に富んでいる。
 最近の進展では、トランプ政権は、ベネズエラとキューバにおけるアメリカが支援する政権転覆を支持している。
Michel Chossudovsky、2018年7月31日
*      *      *
第二次世界大戦以降、アメリカ合州国が外国政権を打倒したか、打倒しようとした事例
 
(* は、政権打倒に成功したことを示す)
 
    中国 1949年から、1960年代初期
    アルバニア 1949年-53
    東ドイツ 1950年
    イラン 1953年 *
    グアテマラ 1954年 *
    コスタリカ 1950年代中期
    シリア 1956年-7
    エジプト 1957年
    インドネシア 1957年-8
    イギリス Guiana 1953年-64 *
    イラク 1963年 *
    北ベトナム 1945年-73
    カンボジア 1955年-70 *
    ラオス 1958年 *、1959年 *、1960年 *
    エクアドル 1960年-63 *
    コンゴ 1960年 *
    フランス 1965年
    ブラジル 1962年-64年 *
    ドミニカ共和国 1963年 *
    キューバ 1959年から、現在まで
    ボリビア 1964年 *
    インドネシア 1965年 *
    ガーナ 1966年 *
    チリ 1964年-73 *
    ギリシャ 1967年 *
    コスタリカ 1970年-71
    ボリビア 1971年 *
    オーストラリア 1973年-75 *
    アンゴラ 1975年、1980年
    ザイール 1975年
    ポルトガル 1974年-76 *
    ジャマイカ 1976年-80 *
    セーシェル 1979年-81
    チャド 1981年-82 *
    グレナダ 1983年 *
    南イエメン 1982年-84
    スリナム 1982年-84
    フィジー 1987年 *
    リビア 1980年
    ニカラグア 1981年-90 *
    パナマ 1989年 *
    ブルガリア 1990年 *
    アルバニア 1991年 *
    イラク 1991年
    アフガニスタン 1980年 *
    ソマリア 1993年
    ユーゴスラビア 1999年-2000年 *
    エクアドル 2000年 *
    アフガニスタン 2001年 *
    ベネズエラ 2002年 *
    イラク 2003年 *
    ハイチ 2004年 *
    ソマリア 2007年から現在まで
    リビア 2011年*
    シリア 2012年
 
 質問: ワシントンでは、一体なぜクーデターが決して起きないのですか?
 回答: そこにはアメリカ大使館がないからです。
 
 Global Research編集者注記:
  2013年2月に公表されたこのリストには、2014年2月、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチが、まんまと打倒されたウクライナを追加する必要がある
 
記事原文のurl: