2018年8月18日土曜日

戦没者追悼式とNHKのノモンハン特集番組

 16日のブログ「世に倦む日々」が、戦没者追悼式とノモンハン特集番組(NHK)を取り上げました。
 
 追悼式に関しては、天皇陛下のお言葉は「平和憲法の精神に即したもの」でしたが、安倍首相の式辞は、それと対極をなす「戦争肯定の靖国的な御霊に向き合う思想、「『御霊の単語が4回も登場した」が本来、御霊などという神道の言葉は政教分離を定めた憲法の規定からして政府の式辞で使用するべきではな」いと述べています。
 
 平成天皇ほど、象徴天皇のあり方について深く考えられた方はおらず、ご自身の平和への思いは日本国憲法の理念と完全に一致しています。それに反して安倍首相は、平和憲法の精神を次々と破る政治を行い、憲法違反の法律を制定して来ました。
 結局は国民がそうした首相を生み出したことについて、天皇陛下は強い違和感を持たれたはずだとして、ブログの結びのところでも
平成天皇は日本国憲法の象徴天皇制の理念を具体化したけれど、その努力は実を結ばず、日本人は無責任の牢獄の限界を打ち破って主体的に生きることがなかった」と述べています来年の退位を控えられた平成天皇が抱いておられるであろう悲しみが伝わってきます。
 
 ノモンハン「事件」は、79年前(日米開戦の3年前)満州国の国境線近くのモンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたもので、ソ連軍が戦車などの近代兵器を大量に投入したのに対して、日本軍は極めて貧弱な装備で闘って2万人に及ぶ死傷者を出しました。
 これは辻政信を中心とする参謀たちが、ソ連が大量の戦車隊を含む大部隊を現地に送ったというソ連駐在武官からの情報を無視し、ソ連は満州国近辺には力を入れない筈だという楽観的な想定の下に進めたことによる悲劇でした。
 問題は誰がその責任を取ったのかですが、それは関東軍の参謀たちではなく軍のトップでもなく、全てを下の者に押し付けて自決させて済ませたのでした。そして参謀たちの大半は戦後まで生き残りましたが、戦後、歴史を検証するためにマイクを向けられたとき、彼らは全く何らの責任も感じていないことが確認されています。
 
「世に倦む日々」氏が「ヘラヘラ口調」と形容したその音声を聞くと、陸軍大学で成績優秀であった筈の彼らが如何に「不明」の人たちであったのかに留まらずに、「卑劣」な人間でもあったことを思わせます。
 実際に参謀たちにそれを尋ねた作家・司馬遼太郎は、「日本人であることが嫌になった」と述べてノモンハン事件の作品化を断念しています。
 
 しかしトップ乃至は権力者のそうした習性は、いまも安倍首相をはじめとする人たちの中にそのまま生きています。
 白井聡氏はそれを「支配の否認」と呼びます。実際には権力をもって下位のものを支配し、強制したにもかかわらず、「自分は何も命令・指示・関与はしなかった。彼(ら)は自分の意思でやったのだ」と、自らの「支配を否認」することを言います。さすがに文筆の人だけあって印象的な言葉を生み出すものです
 白井氏の特別寄稿「終戦73年…いまだ『支配の否認』から解放されない日本人」も併せて紹介します。
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平成最後の終戦の日 - 戦没者追悼式とNHKのノモンハン特集番組 
世に倦む日々 2018年8月16日
平成最後となる終戦の日の全国戦没者追悼式、そこで天皇陛下がどういう言葉を残すか注目した。結局、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という一節が加わっただけで、期待したほどの大きな加筆や提起はなく、従来とほぼ同じ内容のものが淡々と述べられて終わった。もっと何か言い残したいことがあったのではないか、国民に訴えたいものがあったのではと胸中を推し量るが、2年前の退位表明の革命行動以降、則を超えないよう自制と禁欲に努めているようであり、今回もそのように自重を心得たのだろうと想像する。今回、天皇陛下の表情は憮然としているように見えた。昨年、一昨年は、来し方を振り返り感慨に耽っている様子が看て取られたが、今回はずっと固い表情を崩さず、事務に徹しているという感じだった。天皇陛下が憮然としていたのは、おそらく、目の前にいるのが安倍晋三だったからだろう。またおまえか、まだおまえがやっているのか、大事な式典なのに、最後の最後までおまえなのかと、そう言いたげに見えた。そのことが残念でたまらないという心境が表情に表れていた。 
 
天皇陛下の言葉と安倍晋三の式辞とは、並べられている語句は似ているが、そこに含意されている思想は全く違う。一言で言えば、天皇陛下の言葉は平和憲法の精神に即したもので、戦争に対して反省的に向き合っている。安倍晋三の式辞は、戦争肯定の靖国的な「御霊」に向き合う思想で、何度も「御霊」という語句を入れている。安倍晋三の式辞の中には、侵略戦争に対する反省はなく、戦争によって無理やり犠牲となった弱者への内在など欠片もないのだ。戦争を行った大日本帝国と現在の日本国は連続しており、国家を舵取りする支配層の意識は同じままで、要するに、民草たちに対して、よく死んでくれたな、国家繁栄の肥やしになってくれてありがとう、靖国の御霊になれてよかったなと、そう言っている。短い文章の中に「御霊」の単語が4回も登場する。安倍晋三がこのフレーズを強調するのは、8月15日は靖国神社に参拝する日で、靖国神社のイデオロギーに帰依する日だと言わんがためだろう。本来、「御霊」などという神道の言葉は政教分離を定めた憲法の規定からして政府の式辞で使用するべきではなく、避けるのが当然なのに。
 
安倍晋三が「御霊、御霊」と何度も言挙げし、国家神道のイデオロギーを露骨に押し出すものだから、平和憲法を尊ぶ天皇陛下は気分を悪くしていたのだ。不快が表情に出るのを抑えられなかったのだ。こんな男を何度も選挙で選んで首相をやらせている国民や世論に対しても、失望を抑えられないのだろう。自分はあれほど憲法を守り、平和主義に徹する天皇として誠実に努めを果たしてきたのに、国民はどうしてそれを裏切るような方向に進んで行くのだろう、どうして同じ理想を共有して一緒に歩いて行けなかったのだろうと、そういう無念の思いが内面に詰まったような印象だった。このままではまた戦争になる、同じ失敗と悲劇を繰り返してしまうと、無言のうちに国民に戒めを諭しているように見えた。三選を果たし、終身独裁を盤石にし、天皇の代替わりの後、安倍晋三はこの全国戦没者追悼式をどうするだろうか。平成天皇という邪魔者が消え、平和のカリスマが国家の指導的地位から降りるということで、手を打ってくるのは見えている。この式典をより靖国的な色彩に染め上げ、いずれは靖国神社の祭式と統合させるべく法律を出してくるに違いない。
 
終戦の日の昨夜、NHKがノモンハン事件の特集を放送していた。苛立ちを覚えたのは、島貫武治ら参謀が残した証言テープで聞こえてくるヘラヘラ口調である。真面目に証言していない。はぐらかし、ごまかしている。与太話にしている。へらへらした傲慢な口調と態度で話をすることで、話していることが嘘だということを伝え、真実を話す気は無いという意思を伝えている。証言で紹介された参謀の全員の語調が同じだった。へらへらとインタビュアをバカにした口調で当時の「説明」をやり、責任を逃げていた。インタビューの音声ではあのような与太話にして逃げ、真実を求める関係者遺族の手紙に対しては、「知らない」「分からない」とハガキの返事で逃げている。以前、司馬遼太郎がノモンハンの小説化を断念した件についてNHKで話し、また文章にも書き残していたが、ノモンハンを書くに当たって、生き残りの参謀たちに面会し、取材してノートを録った経緯を語っていた。その一人が今回の番組にも登場した当時の参謀本部作戦課長の稲田正純で、一日中延々喋りまくったけれど、実のあることは何一つも話しませんでしたと司馬遼太郎は言っていた。
 
それがどういうことか、よく掴めなかったが、今回のNHKの放送の音声を聞いてよく分かる。参謀たちは、司馬遼太郎に対してもあの調子だったのだ。参謀たちのヘラヘラ口調を聞いてすぐに思い出したのは、昭和天皇が1975年に記者会見の席で戦争責任について質問されたときの映像である。「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よく分かりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」と笑って答えた。コードとプロトコルが同じなのだ。精神と思想が同じと置き換えればいいか。簡単に言えば、へらへらと不真面目に無責任を貫徹している。稲田正純は昭和天皇のことを「天さん」と呼んでいた。番組の反応についてツイッターを検索してみると、右翼が、天皇をバカにしてけしからんなどと怒りの声を上げている。そうではないのだ。昭和天皇は統帥権集団のグルトップ指導者なのであり、辻政信や稲田正純の責任が不問に付されているのは、昭和天皇がトップにいて人事を総攬していたからである。お仲間のボスで馴れ合った人間関係だから、「天さん」と呼べるのであり、その言い回しを通じて、稲田正純は陸軍と昭和天皇とノモンハンの真相を自嘲的に示唆しているのだ。
 
番組では、フイ高地を死守する働きをしながら、辻政信らに責任を押しつけられ、自決を強要させられた現地軍守備隊司令官の井置栄一の悲劇を紹介していた。見ながら思ったのは、今年春の森友問題で自殺させられた近畿財務局職員のことである。決裁文書改竄の責任をとらされ、自殺に追い詰められた。そして、職員自殺後に国会に出て来た張本人の佐川宣寿や太田充は、あのように証言台で知らぬ存ぜぬを繰り返し、へらへらと虚弁の舌を回して責任を認めず、追及をかわして逃げ切った。太田充は「論功行賞」で主計局長の座を射止めて出世を遂げ、佐川宣寿は5000万円の退職金を受け取って平然としている。何もかもノモンハンと同じ。何も変わらない。参謀たちが太田充や佐川宣寿ら安倍官僚であり、板垣征四郎が麻生太郎であり、昭和天皇が安倍晋三だ。井置栄一が実務を担った近畿財務局職員だ。同じことをやっていて、同じことがまかりとおっている。責任のある者に責任が届かない。無責任が貫徹される。やはり、丸山真男が言ったとおり、日本人は天皇制を廃して新しい生き方をしないといけないのかもしれないと、そう思う。切断と飛躍。
 
平成天皇は日本国憲法の象徴天皇制の理念を具体化したけれど、その努力は実を結ばず、日本人は無責任の牢獄の限界を打ち破って主体的に生きることがなかった。丸山真男が1945年に発した言に、素直に帰るしかないのだと思わざるを得ない。
 
 
 特別寄稿
終戦73年…いまだ「支配の否認」から解放されない日本人
日刊ゲンダイ 2018年8月15日
 73年前の8月15日。あの日は何だったのであろうか。それは、大多数の日本人にとって「解放の日」として現れた。「聖戦完遂」だの「一億火の玉」だのといったスローガンに共鳴するふりをしながら、みんなもう早くやめたくてたまらなかったのである。あの日、日本人は、絶望的な戦争から、でたらめな軍国主義から、そして「国体」から解放されたのだ。
「国体」とは、天皇が父、臣民が子であると措定した家族的な国家観をもとにした統治のシステムだ。家族の間には支配は存在しないとの建前の下、支配の事実を否認する支配だった。
 
 しかしながら、われわれは本当に「国体」から解放されたのか。拙著「国体論―菊と星条旗」で論じたことだが、依然、われわれは「支配の否認」という心理構造を内面化したままだ。
 平成最後の1年間は、現代日本社会における「支配の否認」構造を露呈させたという意味で、記憶される年になるだろう。日大アメフト部の暴力タックル事件、ボクシング連盟会長のスキャンダルは、この国の各界の小ボスの行動様式が、神風特攻隊の司令官と完全に同じであることを証明した。彼らは口を揃えて言う。「自分は強制していない」「(若者が)自発的にやったことだ」と。
 
 不条理な支配に対して逆らえない空気の中で、原則的な「権利」「公正」は死に絶える。その典型が、東京医科大学における入試合格点操作事件である。この問題は、性差別問題であると同時に、労働問題である。開業医と勤務医の格差、過剰負担といった多重的な不公正の累積が、女子受験者に対する一律の減点というきわめて差別的な手段によって「解決」されていたわけだ。つまりは、不条理で不公正な構造が存在し、そのことを関係者の誰もが知っていながら、誰もそれを改善しようとせず、そのしわ寄せを不利な立場の者に押しつける。「ほら、みんな大変なんだ。誰かが泣かなきゃならない。わかるだろ?」と。
 
 こうした状況を支えているものは、奴隷根性だ。不条理に対して沈黙を守り、無権利状態を受忍し、さらにはこれらの不正義に抗議・抵抗する人々を冷笑し、彼らを抑圧することには進んで加勢する。こうした人間は普通、「卑しい」と形容される
 あの戦争当時、日本人はこの恥ずべき状態に落とし込まれた。ある者は進んでそうなり、ある者は無自覚なままそうなり、ある者は強要されてそうなった。8月15日は、かかる状態からの「解放」を意味した。しかし今、われわれは自分たちが解放などされていないという事実に直面している。依然としてわれわれは悪しき「国体」の奴隷にすぎない。われわれは日本社会の破綻という敗戦をもう一度、迎え直しているのである。
(白井聡/政治学者)