東京新聞が、日本に留学した中国人たちの軌跡を通じ日中関係の40年を振り返る<敵として 友として 中国人留学生40年>の最終回です。
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<敵として 友として 中国人留学生40年>(下)互いの良さ 学び合う
東京新聞 2018年8月11日 朝刊
今月五日午後、東京都豊島区の公園に中国人と日本人が集まってきた。日曜日恒例の日中交流サロン「星期日漢語角」(日曜日中国語コーナー)で、中国人が日本人と出会い、自由に会話を楽しむ。二〇〇七年以来、すでに五百五十回を超え、今回も五十人近くが参加した。
二十一世紀に入ると、中国から日本への留学ブームは第三期を迎える。一七年には十万人を突破した。
サロンに来ていた江西省出身の張鵬(ちょうほう)さん(22)は、昨年十月に来日し、大学入学を目指して日本語学校に通う。「中国は発展は速いが、遅れている分野もある。環境問題や農業を学び、いずれは研究者になりたい」と志を話してくれた。
親からは一カ月十五万円ほどの仕送りがあり、ほかの中国人留学生と比べても「平均的な額」という。
張さんは昨今の留学生の典型だ。中国で中間所得層が拡大し、親の財力で海外留学するケースが増加する。バイトしない留学生も珍しくない。背景には、中国が二〇一〇年に国内総生産(GDP)で日本を追い抜き、経済大国に躍り出た現実がある。
先進国日本で専門知識を学ぶという意識も薄れつつある。
〇〇年から六年間、名古屋大に留学してマイクロ・ナノ工学を学び、現在は電池素材製造「科隆新エネルギー」(河南省)の社長を務める程迪(ていてき)さん(38)は「今の仕事は大学での研究とは直接関係ない」と意外なことを口にする。
帰国後、父親の会社を手伝っていた。日本の取引先があまりに高い品質を求めてくることに社内からも反発が上がる中、社員に日本式の生産管理を説き、改善を重ね、世界に輸出できる製品を造り上げた。会社は来年、上場を目指す。
「日本で学んだのは、専門分野より日本人の真面目さや心構え。帰国したら『性格が変わった』と言われた」と笑う程さんは、「中国人の情熱と日本人の真面目さを合わせれば、きっと成功する」と確信する。
この四十年、日中関係に浮き沈みがあったように、日本国内の留学生の立場も揺れた。一九八〇年代後半には不法就労者と同一視されたり、〇三年に福岡で中国人留学生らによる一家四人殺害事件もあり、マイナスイメージが増幅された時期もある。それでも留学経験者の蓄積は厚みを増し、日中を直接つないできた。
豊島区の交流サロンの仕掛け人で、自身も九一年に来日し、駒沢大や新潟大に留学した段躍中(だんやくちゅう)さん(60)=日本僑報社編集長=は「日中は、中国が日本を手本に学ぶという垂直的な関係から、より水平的な関係になりつつある」と時代の変化を実感している。
その上で「日中が互いにいいところを学び合い、絆を強めていく上で、留学生の役割は今後ますます高まっていく」と期待を込めた。
(外報部・秦淳哉、中国総局・安藤淳、上海支局・浅井正智)