米国バイデン大統領主催の「民主主義サミット」が9~10日の2日間、オンライン形式で2日間行われ、中露を除く欧州主要国、台湾など計110か国・地域が招待され、日本の岸田首相も参加しました。
それに先立つ7日には、バイデン米大統領とプーチン露大統領のオンライン首脳会談が行われました。プーチン大統領は1人でしたが、バイデン大統領のそばには4人の側近がいたということです。
話し合われたテーマの一つはウクライナ情勢で、米国はウクライナをNATOへ加盟させようとしていますが、それはウクライナと国境を接しているロシアにとって喉元にナイフを突きつけることなのでプーチンには許容できないことでした。
櫻井ジャーナルが「ロシアには自国を守る権利がある」とする記事を出しました。
オバマ大統領は14年に、「ロシアがウクライナのクリミア地方を併合した」からとして、世界にロシアに対する経済制裁を呼びかけ、今日まで経済制裁が継続されています。
しかしクリミア併合の理由となった流血のウクライナ・クーデターは、そもそも米国が5000億円を投じて準備してきたもので、ロシアが「ソチオリンピック」(14年2月7日~23日)に力を傾注している間隙を縫って、当時のビクトリア・ヌランド国務次官補が現地に飛んで最終の詰めを行って実施したのでした。
クーデターの目的は親ロシアの大統領を排除するここと、ロシアに取って唯一の不凍港であるクリミア軍港をロシアから奪うことでしたが、ウクライナと長期間の借用契約を結んでいたロシアは2万人(1万4千人とも)の守備軍を常駐させてたために果たせなかったのでした。
しかもロシアのクリミア併合は、クーデター勢力から迫害を受けたクリミヤ住民が望んだからで、住民投票の結果97%の賛成を得て実施に至ったのでした。しかしオバマ大統領は「ロシアがクリミヤに侵攻して占領した」と述べてロシアを制裁したのでした。
⇒(14.3.14)ウクライナ・クリミア問題 ロシアは何も悪くない
バイデン氏は当時オバマ大統領の下で副大統領を務め、クーデターを実行したビクトリア・ヌランド国務次官補の上司でもありました。
女性でありながら「血塗られた」と形容されるビクトリア・ヌランドは、現在もバイデン大統領の下で国務次官補を務めています。
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プーチン:ロシアには自国を守る権利がある
櫻井ジャーナル 2021.12.10
アメリカとロシアのオンライン首脳会談が12月7日に実施された。ウラジミル・プーチン露大統領はカメラの前にひとりで座っているが、ジョー・バイデン米大統領のそばには4名の側近がいる。これも話題になった。
話し合ったテーマのひとつはウクライナ情勢。アメリカにはウクライナをNATOへ加盟させ、ロシアの喉元へナイフを突きつけるべきだと主張する人がいる。恫喝は買収と同じようにアメリカの常套手段だ。
ロシアの体制転覆を目論んできたアメリカはウクライナをNATOに組み込もうとしている。これはロシアにとって受け入れがたいこと。実際、プーチン政権は厳しい姿勢で臨んでいる。
現在、ロシアの防衛ラインは1941年6月にドイツが「バルバロッサ作戦」を始める直前とほぼ同じ位置にある。この奇襲攻撃にドイツは310万人を投入した。西側には約90万人しか残していない。西側からの攻撃を考慮しない非常識な作戦はアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。
実際、西側の国々はドイツ軍と戦わなかった。事実上、戦ったのはレジスタンスだけ。その主力はコミュニストだ。非コミュニストでレジスタンスに参加したシャルル・ド・ゴールは大戦後、アメリカと対立することになり、暗殺の対象になったことは本ブログでも書いた通り。
1940年9月から41年5月まで、おそらく奇襲攻撃の準備をしている時期にドイツ軍はイギリスを空爆しているが、イギリスへ侵攻する作戦には思えない。これはバルバロッサ作戦の準備を隠すための陽動作戦だったのだろう。
ソ連が消滅した後、アメリカは自分たちが奉仕する私的権力にとって都合の悪いウクライナの政権をクーデターで2度にわたって倒した。買収や恫喝が通用しない場合、何らかの手段で排除しようとする。アメリカは自分たちへの従属度が足りないビクトル・ヤヌコビッチを2度にわたって大統領の座から引きずり下ろしたのだ。
最初は2004年から05年にかけて「オレンジ革命」。2004年の大統領選挙で勝利したヤヌコビッチを排除し、西側に支援されたビクトル・ユシチェンコを大統領に据えた。当然のことながら、ユシチェンコは新自由主義を導入、西側の私的権力はウクライナ国民の資産を盗む。その手先のウクライナ人も大儲けし、オリガルヒを生み出した。ユシチェンコやその仲間に対する国民の怒りは高まり、ヤヌコビッチは再び大統領に選ばれる。そこでアメリカはネオ・ナチを使ったクーデターを実行したわけだ。
アメリカ政府を後ろ盾とするNGO(非政府組織)が2013年11月にキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で集会を開いたところからクーデターは始まる。
当初の演出はEUへの憧れ(つまり幻想)を刺激する「カーニバル」的なもので、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。こうした抗議活動をEUは話し合いで解決しようとするが、そうした方針に怒ったのがバラク・オバマ政権だ。
オバマ大統領がキエフに送り込んだのがネオコンのビクトリア・ヌランド国務次官補。このヌランドがジェオフリー・パイアット米国大使と電話で話している会話が2014年2月上旬にインターネットへアップロードされたのだが、その中でふたりは「次期政権」の閣僚人事について話し合っている。
ヌランドは暴力的に政権を転覆させる方針で、話し合いでの解決を目指すEUに不満を抱いていた。そして口にしたのが「EUなんかくそくらえ」という発言。単に「口が悪い」という問題ではない。
それから間もなくネオ・ナチが前面に出てくる。2月18日頃になると彼らは棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始める。広場で無差別の狙撃があったが、これを指揮していたのは西側が支援していたグループの幹部でネオ・ナチのアンドレイ・パルビーだった。
そして2月22日にヤヌコビッチは排除される。25日に現地入りしたエストニアのウルマス・パエト外相も調査の結果、クーデター派が狙撃したとEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告している。
「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としている。この報告をアシュトンはもみ消した。
クーデターの最中、ヤヌコビッチを支持するクリミアの住民がバスでキエフに入っているが、状況が悪化する中、クリミアへ戻ろうとする。そのときにクリミアの住民を乗せたバスが襲撃され、バスが止まると乗客は引きずり出され、棍棒やシャベルで殴られ、ガソリンをかけられて火をつけると脅されている。こうした話が伝えられたクリミアがクーデターに反対し、ロシアに助けを求めるのは必然だった。
3月16日にはクリミアで住民投票が実施され、95%以上がロシア加盟に賛成した。そのときの投票率は80%を超えている。クリミアより動きが遅れたドンバス(ドネツクやルガンスク)では今も戦闘が終結していない。南部のオデッサでは住民がネオ・ナチに虐殺されている。
クリミアの制圧はアメリカ政府にとって重要な意味があった。そこのセバストポリには黒海艦隊の拠点がある。ロシアはこの拠点を確保するため、1997年にウクライナと条約を結び、基地の使用と2万5000名までのロシア兵駐留が認められていた。
クーデター当時、この条約に基づいてクリミアには1万6000名のロシア軍が駐留していたのだが、西側の政府や有力メディアはこの部隊をロシア軍が侵略した証拠だと宣伝していた。この偽情報を真に受けた人は少なくない。
そのウクライナでは現在もネオ・ナチの影響力は大きい。ウクライナの選挙で選ばれた合法政権をクーデターで倒したオバマ政権の副大統領を務めていたジョー・バイデンが大統領になった後、3月10日にNATO加盟国の軍艦がオデッサへ入港、同じ頃にキエフ政府は大規模なウクライナ軍の部隊をウクライナ東部のドンバス(ドネツクやルガンスク)やクリミアの近くへ移動させている。
3月14日には少なくとも2機のC-17A輸送機がトルコからウクライナへ空輸、トルコ軍兵士150名もウクライナへ入った。4月10日にゼレンスキーはトルコを訪れてレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と会談、その直後にトルコの情報機関は「ジハード傭兵」を集め始めた。
4月に入るとアメリカ空軍は1週間の間に少なくとも3度、物資を空輸していると伝えられ、4月5日にはウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領はカタールを訪問、そのカタールの空軍は5機の輸送機を使い、トルコを経由でウクライナへ物資を運んでいるという。
4月6日と7日にはNATO軍事委員会委員長のスチュアート・ピーチ英空軍大将がウクライナを訪問、9日にアメリカは「モントルー条約」に従い、トルコ政府へ自国の軍艦2隻が4月14日か15日に地中海から黒海へ入り、5月4日か5日まで留まるとると通告した。
その前にアメリカの軍艦2隻が4月14日か15日に地中海から黒海へ入り、5月4日か5日まで留まると通告されていたが、ロシアの反発が強いため、米艦船の黒海入りはキャンセルされた。
その間、4月28日にはガリツィア出身者で編成されたナチ親衛隊、第14SS武装擲弾兵師団を称える行進があった。参加者は約250名だったという。参加者が多いとは言えないが、ナチ親衛隊を称える行為が受け入れられているということは無視できないだろう。
ロシアの国防大臣はアメリカ/NATO軍がロシアトの国境沿いに4万人の部隊を配置していると指摘、それに対抗してロシア軍は2方面軍と3空挺師団を西側の国境近くへ移動させたと説明。またロシアの黒海艦隊に所属する艦船20隻以上が空軍や防空軍と共同で軍事演習を実施している。アメリカ/NATO軍が何らかの軍事的な行動を起こした場合、ロシア軍は迅速に動けることを示したのだろう。
こうしたロシア側の動きは想定外だったのか、その後、アメリカ政府は「ロシアがウクライナへ軍事侵攻する」と主張し始め、その一方でウクライナの現政権は部隊をドンバスの近くへ移動させて軍事的な圧力を強める。同時にアメリカは黒海へ艦隊を入れて軍事演習を実施してロシアを挑発してきた。そうした中、ウクライナの国防大臣が辞意を表明し、その一方でネオ・ナチ「右派セクター」を率いるドミトロ・ヤロシュが参謀長の顧問に就任したと伝えられている。
今年12月に入るとアメリカの偵察機が黒海の上空を何度も飛行、民間航空機の飛行ルートを横切るなど脅しを繰り返し、ウクライナ軍はアメリカ製の兵器を誇示してロシアを挑発している。その前にはアントニー・ブリンケン国務長官がロシアを恫喝、ロード・オースチン国防長官はウクライナを訪問していた。
そしてバイデン大統領とプーチン大統領は12月7日にオンライン会談を実施、プーチン大統領はNATOの東への拡大を止めるように求めた。アメリカやNATOがNATOの拡大を止めることを保証できないなら、ロシアは自らが拡大できないようにするという姿勢をプーチンは示している。バイデンはウクライナのNATO加盟へロシアは口を出すなと主張するばかり。それに対し、ロシアには自国を守る権利があるとプーチンは釘を刺している。もしロシア政府が戦争は不可避と判断したなら、動きは速いだろう。