2022年9月30日金曜日

安倍元首相は 犠牲者たちを悼む気持ちのない 冷淡な政治家(LITERA)

 国葬反対の世論の盛り上がりの中で、有本香氏「国葬反対派は極左暴力集団」は問題外にしても、安倍応援団は「亡くなった人を悼む気持ちがないのか」などと攻撃しました。
 LITERAが、それは的外れな攻撃であって、安倍元首相こそ自らの政治の犠牲になった国民に寄り添うことも悼むこともしない冷淡な政治家だったということを具体例を挙げて反撃しました。
 何故そんなに冷淡であったのかに関して、臨床心理学・犯罪心理学を専門とする原田隆之・筑波大教授が、かつて、麻生大臣には2つの力:「認知的共感性」と「情緒的共感性」が圧倒的に欠如しているとする興味深い記事を出したことが思い出されます。
    ⇒(18.5.19) 問題発言の麻生大臣に圧倒的に欠如している2つの力
 「認知的共感性」は相手の気持ちを頭で理解することのできる能力、「情緒的共感性」は相手の心情を頭で理解するだけではなくそれを追体験し同じように感じ取る能力のことで、幼児の時期に親が放任していた場合や、無神経な発言をしてもそれが許される環境で育ったような場合「認知的共感性」は育たないだろうと述べています。
 「情緒的共感性」については何故か言及がありませんでしたが、「共感性」もトレーニングに依存する部分があるので同様なのではないかと思われます。
 麻生氏の欠点はそのまま、養育係に育てられ実父から「言い訳の天才」と言われたという安倍氏にも共通しているように思われます。
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国葬で安倍応援団「悼む気持ちないのか」に騙されるな 安倍元首相こそ災害や政治の犠牲者を「悼む気持ち」のない冷淡政治家だった
                            LITERA 2022.09.27
 本日27日、ついに安倍晋三・元首相の「国葬」がおこなわれる。すでに指摘されてきたように、今回の国葬には法的根拠がなく、岸田文雄首相は国権の最高機関である国会での審議もおこなわないまま閣議決定だけで強行しようとしている。つまり、行政権の濫用によって巨額の税金を投入してまで故人の神格化を図ろうとしているのだ。
 さらに、各社世論調査で過半数以上の人々が反対の意思を示している理由は言うまでもなく、次々に明らかになっている安倍元首相と統一教会とのかかわりについて調査もせず、蓋をしたまま国葬を実施しようとしている点にあるだろう。
 ところが、国葬賛成派の安倍応援団たちは、こうした国葬反対の理由をまるで無視。有本香氏にいたっては「国葬反対派は極左暴力集団」(飛鳥新社「月刊Hanada」11月号)などとわめいている。
 まったく何を言っているのだろう。世論調査で半数以上が反対しているというのに「反対派は極左暴力集団」って、それならばこの国ではとっくに暴力革命が起こっているはずで、噴飯モノのレッテル貼りとしか言いようがない。
 しかし、こうしたおバカ妄想発言よりもっと悪質なのが、「葬儀のことをあれこれ言うのはおかしい」「亡くなった人を悼む気持ちがないのか」という論理で反対派を封じ込めようとする連中だ。
 三浦瑠麗氏などはその典型で、9月24日にも〈殺された人と遺族の思いには寄り添わず、殺した人の思いにばかり寄り添ってきたのが、この夏の日本でした〉とツイートしていた。
 三浦氏の場合は、森友公文書改ざん問題で近畿財務局の赤木俊夫さんが自殺した際、「この問題っていうのは人が死ぬほどの問題じゃない」などと、「寄り添う気持ち」どころか故人と遺族を傷つけるようなコメントをしておいて、何を言っているのか、という話だが、ほかにもテレビでは同様のコメントが飛び出している。
 25日放送の『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日)では、東山紀之が安倍元首相を悼むことの大切さを語り、和田アキ子も同日放送『アッコにおまかせ!』(TBS)で「お亡くなりになった方の葬儀にどうのこうの言うのは、それはちょっとね。お亡くなりになった方やご家族に失礼だと思う」などと述べた。こうしたコメントは本日の国葬特番でもコメンテーターたちから飛び出すだろう。
 しかし、これ、問題のスリカエ以外の何物でもない。そもそも安倍元首相の葬儀・告別式はすでに7月に執り行われており、それについては誰も批判していない。反対する人々が問題にしているのは、繰り返しになるが、税金を使った公的行事として「国葬」を国会での審議も統一教会との関係についての調査も一切おこなっていないまま強行することなのだ。
 デュープロセス⇒法的手続きを無視した国葬の実施を認めることは民主主義に反する重大な問題があり、「悼む気持ち」などという感情論で片付けることはむしろ、けっしてあってはならないだろう
 しかも、こうした「安倍元首相を悼む気持ちはないのか」「亡くなった人や遺族に寄り添わないのはおかしい」いう主張に対して言っておきたいのは、安倍元首相こそ、自らの政治の犠牲になった国民に寄り添うことも、悼むこともしない政治家だったという事実だ。
 安倍政権下では、さまざまな災害や事件が起こり、多くの国民が被害にあったが、安倍元首相は総理大臣という立場にありながら、国民の生命を守る責務を放棄し、犠牲者の死を悼むことなく冷淡で無責任な態度をとってきた。この機会に、あらためて安倍元首相の言動を振り返ろう。

高橋まつりさんの過労自殺を悪用して「高プロ」導入、過労死遺族の面会要請を無視して財界人と乾杯
 安倍首相は2017年2月、過労自殺した電通の高橋まつりさんの母親と面会し、まつりさんとの思い出話を「首相は涙ぐみながら聞いた」と報じられ、長時間労働の是正を「なんとしてでもやります」と述べたと伝えられていた。だが、翌2018年になると、安倍政権は長時間労働や過労死を助長する「高度プロフェッショナル制度の創設」を盛り込んだ働き方改革一括法案を野党の反対を押し切って強行採決、成立させた。まつりさんの母親も「全国過労死を考える家族の会」も過労死防止に逆行するとして高プロ創設に反対を表明しているなかで、である。
 しかも、「家族の会」が安倍首相との面談を希望すると、安倍首相はこれを拒否。2018年5月23日の衆院厚労委員会では、過労死遺族が傍聴するなか、当時国民民主党所属の柚木道義衆院議員が「直接、安倍総理とお会いしたいとおっしゃっているんです。加計理事長と同じ15分でも、せめて15分でも会えないんですか」と安倍首相に訴えたのだが、安倍首相は質問されているのに答弁に立たず、加藤勝信厚労相が面会の話とは違う答弁をはじめる始末。その上、安倍首相は事も無げに「柚木議員の話は、まるで高プロを導入すると、過労死が増えるかのごときのお話」などと言い放ったのだ。
 そればかりか、同年6月26日の参院厚労委員会では、過労死遺族が傍聴しているのに、野党からの質問に対し、加藤厚労相と一緒になって安倍首相は口を開けて大笑いする場面さえあった。
 しかし、もっとも安倍首相の冷酷さを露わにしたのは、過労死遺族からの面会を拒否した日の過ごし方だった。前述した5月23日、安倍首相が遺族の面会を拒否して向かった先は、銀座の料亭「東京吉兆」。安倍首相はここで、経団連の今井敬、御手洗冨士夫・両名誉会長らと会食をおこなったのだ。
 高橋まつりさんの過労自殺を「働き方改革」の宣伝として使い倒し、時間外労働の上限規制と高プロ創設をセットにすることで本質をはぐらかし、過重労働で死に追い込まれたまつりさんの事件を過労死を合法化するために利用した上、そのことに批判が高まると面会を拒絶して経済界の大物たちと乾杯する──。あまりに非道と言わざるを得ないが、過労死遺族が指摘してきた不安は的中。東京新聞は今年7月、〈高度プロフェッショナル制度で、会社にいる時間と社外で働く時間が「過労死ライン」を大幅超過する労働者が続出していることが判明〉と伝えている。

原爆被害者の要望を拒否しながら、SNSでは被爆者幹部とのツーショットを悪用して“印象操作”
 首相在任中、広島と長崎の原爆被害者の思いを踏みにじってきた安倍首相。慰霊の式典では毎年のように“ほぼコピペ”の文章をただ読み上げてきたが、それだけではなく、それまで慣例として広島・長崎でおこなわれてきた被爆した人たちの暮らす原爆養護ホームの訪問を2018年を除いてサボりつづけ、2014年には訪問をドタキャンした挙げ句、戻った東京では歯の治療と美容室で散髪をするという信じがたい行動に出た。2018年に訪問したのも、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が長崎の式典出席や被爆者との面会を予定しているため、自分が被爆者との面会をしないわけにはいかなくなってのことだと見られている。
 だが、この年、安倍首相は絶句するような酷い言動に出た。
 2018年の広島での式典後におこなわれた被爆者7団体との「被爆者から要望を聞く会」では核兵器禁止条約への署名・批准を求める声があがったが、安倍首相は「参加しない考えに変わりない」と拒否。しかし、このあと安倍首相は、TwittertとFacebookの公式アカウントに、広島県原爆被害者団体協議会の坪井直理事長(2021年に死去)とにこやかに握手する写真とともに、こう投稿したのだ。
〈「ネバーギブアップで頑張っていく」20歳の時、広島で被爆した坪井さんの言葉です。唯一の戦争被爆国として、我が国は、核兵器国と非核兵器国双方の橋渡しに粘り強く努めながら、「核兵器のない世界」の実現に向けて、一層の努力を積み重ねてまいります〉
 坪井理事長はこの日の「要望を聞く会」で、「原爆は人間の悪知恵が作ったもの。われわれが核兵器をなくすような力を発揮しなきゃいけない」と主張し、核兵器禁止条約を批准するよう求めた。それを無下に拒否しておきながら、自分があたたかく手を差し伸べる写真を投稿して、あたかも被爆者の要望に応えているかのような“印象操作”をSNSで発信したのである。被爆者を裏切る行為であり、冷酷にも程があるだろう。
 しかも、広島につづいて長崎でも安倍首相は被爆者の思いを無視。長崎での式典のあと、安倍首相は長崎の被爆者5団体と面会したが、団体側から安倍首相に手渡した要望書には急遽、手書きで「総理大臣は、あいさつの中で核兵器禁止条約に一言もふれていませんが、その真意をまとめの発言で述べていただけないでしょうか」と書き加えられた。しかし、安倍首相はそれでも、最後まで核禁止条約に触れない理由を一切答えなかった。被爆者団体側の最低限の要望さえ、安倍首相は踏みにじったのだ。

死者230人以上の西日本豪雨のさなかに「赤坂自民亭」参加、翌日にも極秘で総裁選の選挙運動を優先
 2018年7月の西日本豪雨での死者は230人以上(令和元年版 防災白書)にもおよび、1982年の長崎大水害に次ぐ被害が出るという平成で最悪の事態となったが、対策をとるべきタイミングで「赤坂自民亭」なる内輪の宴会に安倍首相が人気の日本酒・獺祭を持参し参加していたことは大きな批判を浴びた。
 それは人命軽視と言わざるを得ないものだった。「赤坂自民亭」がおこなわれた7月5日の14時には気象庁が「厳重な警戒が必要」と異例の緊急会見を開き、実際に同日には避難勧告が数十万人におよんでいた。にもかかわらず、自民党は左藤章衆院議員(当時)いわく「酒飲んで、ワァーっというだけ」の宴会を開催し、安倍首相も総裁選対策として参加。宴が終わると、安倍首相は記者に「(赤坂自民亭は)和気あいあいでよかった」などとノーテンキな感想を口にしたのだ。
 しかも、翌6日には被害はどんどんと拡大していったが、安倍首相は7日の午前中に関係閣僚会議を15分間開いただけで、その後は私邸に帰宅。非常災害対策本部を立ち上げたのは8日午前8時。あきらかに初動が遅れに遅れたというのに「救命救助、避難は時間との戦い」と言い出し、その後も初動対応の遅さを指摘されると「政府として一丸となって、発災以来、全力で取り組んでまいりました」などとうそぶいたのである。
 だが、問題は初動が遅れた原因だ。「赤坂自民亭」に参加した翌日6日の首相動静では、公邸で18時49分から規制改革推進会議の大田弘子議長や議長代理のフューチャー会長・金丸恭文氏、梶山弘志規制改革担当相らと会食し、20時4分に終了し、安倍首相は公邸泊となっていた。だが、日本テレビの報道によれば、じつはこの日の夜、自民党の無派閥議員が乗った車が公邸に入っていく様子を確認。その上、そこには菅義偉官房長官の車もあり、公邸では「菅長官が自らとりもった、安倍首相と無派閥議員の極秘会合」がおこなわれたというのだ。無論、この極秘会合の目的は、総裁選3選に向けた、無派閥議員の囲い込みだった。
 この問題の7月6日といえば、午後から広島県内では土砂崩れがさまざまな場所で発生し、夕方には福岡県と佐賀県、長崎県に大雨特別警報が発令。気象庁は「これまでに経験したことのないような大雨」「重大な危険が差し迫った異常事態」「土砂崩れや浸水による重大な災害がすでに発生していてもおかしくない状況」と呼びかけていた。安倍首相はこうした情報を知らなかったわけではなく、事実、この6日の午後、安倍首相は7・8日に総裁選のための地方行脚として予定していた鹿児島・宮崎県への訪問を〈現地での捜索活動などに悪影響を与えてはいけないと判断〉(時事通信より)して取り止めたことを公表していた。ようするに、「捜索活動」がおこなわれる深刻な事態であることを理解していながら、自分は公邸で総裁選のための極秘の選挙運動に勤しんでいたのである。
 災害対応よりも総裁選の選挙運動を優先させる。西日本豪雨は、私利私欲で行動する安倍首相の無責任さがもたらした“人災”だと言うべきだろう。

森友問題で赤木さん自殺の原因を作りながら、「手記には書かれていない」とフェイク主張で赤木夫妻を冒涜
 安倍元首相がいかに「悼む気持ち」に欠いていたのか。そのことを象徴するのは、やはり森友学園問題で公文書改ざんを強要されて自殺に追い込まれた赤木俊夫さんと妻・雅子さんへの態度だ。
 森友公文書の改ざんがはじまったきっかけは、言わずもがな、安倍首相が2017年2月17日に国会で言い放った「私や妻がかかわっていたら総理も国会議員も辞める」という発言であり、その点は財務省の調査報告書でも事実上認定している。だが、問題の元凶である安倍元首相は、最後まで俊夫さんと雅子さんを冒涜するような言動を繰り返した。
 そもそも、2020年3月に赤木俊夫さんの遺書と手記が公開された際には、安倍首相は「胸が痛む」などと言いながら、「麻生大臣のもとで徹底的に調査し明らかにした」として再調査を拒否。その上、同年3月19日の参院総務委員会では、改ざんのきっかけが安倍首相の「私や妻がかかわっていたら総理も国会議員も辞める」発言だったと指摘されると、「改ざんのターニングポイントとなったのは2月17日の発言だったとは手記のなかには(書かれて)ない」と言い出した。
 この安倍首相の卑劣な態度に対し、雅子さんは直筆の文書を公表。そこにはこう書かれていた。
〈安倍首相は、2017年2月17日の国会の発言で改ざんが始まる原因をつくりました。麻生大臣は墓参に来てほしいと伝えたのに国会で私の言葉をねじ曲げました。この2人は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではないと思います。〉
 しかし、信じがたいことに、安倍首相は「安倍首相の国会発言が改ざんが始まる原因をつくった」とする雅子さんの反論がおこなわれたあとも、国会で「手記には書かれていない。(手記を)読まれたんですか?」などと連発。こうして赤木さん夫妻を冒涜しつづけたのだ。
 いや、そればかりか、国賠訴訟で雅子さんが求めていた「赤木ファイル」の開示についても、安倍氏は首相在任中、その要求を完全無視。結果として、安倍氏が首相を辞めたあとの2021年6月に開示されるにいたったが、その際、安倍元首相のTwitterアカウントは、安倍元首相と昵懇の産経のネトウヨ記者・阿比留瑠比氏が“野党の追及がしつこいから改ざんがおこなわれた”などと主張するコラム記事を貼った上で、このように投稿したのだ。
〈赤木氏は明確に記している。「現場として(森友学園を)厚遇した事実はない」この証言が所謂「報道しない自由」によって握り潰されています。《秘書アップ》〉
 本サイトでは当時、この主張がいかにフェイクと責任転嫁を目的とした投稿であるかを詳しく指摘したが(詳しくは既報参照→https://lite-ra.com/2021/06/post-5931.html)、安倍元首相はこのように、再調査される側だという自身の立場を無視し、改ざんの責任をまったく認めようとはせず、「報道しない自由」だの「野党の追及がしつこいから改ざんがおこなわれた」などというネトウヨを煽るようなフェイクの主張を繰り返したのだ。
 安倍元首相の銃撃事件を受けて、赤木雅子さんは「安倍晋三さんの口から直接、謝罪の言葉を聞けなくなったのは、本当に残念です」とコメント。じつは銃撃される前日の7月7日、雅子さんは参院選の応援演説のために神戸・三宮に駆けつけていた安倍元首相に直接会い、名前を明かさないまま「再調査をしてください」と書いた手紙を手渡したという。そのとき、安倍元首相は「ファンレターかと思われたのか「えぇ、手紙」と喜ばれていました」と雅子さんは語っている(「AERA」9月26日号/朝日新聞出版)。雅子さんは国葬について「私は賛成でも反対でもありません。ただ、疑惑を残したまま国葬されることは安倍さん本人も望んでいないと思います」と述べている

技能実習生の死にヘラヘラ笑いながら「答えようがない」、相模原・障害者殺傷事件も無視
 ようするに、安倍元首相こそが改ざんにいたる原因をつくり、にもかかわらず最期の最期までその事実を認めずに俊夫さんと雅子さんを貶めつづけた。いや、これだけではない。安倍元首相はここに挙げてきた言動だけではなく、死亡した技能実習生の実態を国会で追及された際、ヘラヘラと笑いながら「私はいまここで初めてお伺いをしたわけでありまして、ですから私は答えようがない」と答弁したり、2016年に起きた神奈川県相模原市の障がい者福祉施設「津久井やまゆり園」での入所者19人が殺害された事件でもお見舞いのツイートをせず、ヘイトクライムを厳しく批判することもしなかった。このような人命を軽んじる安倍元首相の態度は、排外主義や差別を助長させ、いまにつながっている
 このように、「悼む気持ち」どころか、国民の生命を守るという責務さえ果たさず、その態度でさまざまな被害者・遺族を傷つけ、さらなる被害者を出す政策を主導してきたのが、安倍晋三という政治家なのだ。
 そんな人物に弔意を事実上強要しようとする「国葬」を実施することには、真正面から反対と言わなければならないだろう。(編集部)