2017年8月28日月曜日

「武器では平和は守れない」~中村哲さんの講演会に1450人

 レイバーネットが、埼玉会館で25日に開かれたペシャワール会の中村哲医師による 「・・・34年・戦乱と旱魃のアフガニスタンから『平和』を考える」講演会の内容について、かなり具体的に紹介しました。
 1450人が集まった会場ではどよめきが起こり拍手喝采が続いたということで、この記事を読むだけで深い感銘を受けます。
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「武器では平和は守れない」~埼玉の中村哲講演会に1450人
レイバーネット 2017年8月27日
 8月25日、中村哲医師(ペシャワール会) 「命の水と緑の大地を拓いて34年・戦乱と旱魃のアフガニスタンから『平和』を考える」講演会が埼玉会館大ホールに1450人が参加し大盛況だった(副題「命の水と蘇る大地」「憲法9条こそ日本の強み」)。

 ハンセン病治療のためパキスタン北西部ペシャワールに赴任以来34年、アフガニスタン東部で、医療活動のかたわら1600本の井戸を掘り、相次ぐ戦乱と旱魃で難民化して人々の帰還のために灌漑用水を拓いて「緑の大地計画」を進める中村哲医師(地元ではドクターサーブと呼ばれている)は、政治と自然の変化に翻弄されてきた人々がひたすら求める「平和な生活」への願い、「豊かさ」とは何かを一緒に考えたい、と次のように講演した。

 「中近東の西にある山の国アフガニスタンは人口3000万の保守的イスラム教の多民族雑居国家で、アフガン戦争以前は遊牧と農業中心の需給率100パーセントの国だった。
 降水量は少ないがモンズークシ山脈の雪や氷河が溶けて土地を潤し、降り注ぐ日差しのおかげで光合成が促進し豊かな耕地となり糖度の高い野菜や果物がとれ、小さな国の集合体のようなこの国は、互いの民族を尊重しながら、平和な民族の花束とも呼ばれてきた。

 ソ連軍侵攻で200万人死亡600万人難民となり、豊かな緑の土地は破壊され、農業用飲料用の水の供給が遮断され、感染症の巣窟となった。1988年に(私は)医療活動から灌漑用水開拓活動中心に方針転換した。片道1週間かかる標高3000mの村では医療もさることながら、水と食料が届かず感染症が蔓延していた。1998年にハンセン病根絶という虚言で、国連は、金と物と人を引き上げてしまったので、募金でPMS基地病院を設立した。ソ連軍撤退後内乱を制しタリバンが統一し内乱は落ち着いたが、大干ばつの襲来で村がまるごと消えていくことは、戦争より深刻で、汚い水を飲んでしまう子どもたちに腸肝感染症が急増し、また食べ物が作れないために100万人餓死寸前になった。綺麗な水と食べ物が必要だった。餓えや渇きに医療は無力だった。

 911後米国ブッシュ政権はアフガニスタンに無差別大量爆撃してきた。アフガン難民たちは爆弾の雨の中、食べ物を探して逃げ回る状況になった。国連にパンと水の要求の訴えたが、聞き届けられず、カブール市民の協力者たちとともに、爆弾を避けながら、空爆下での食料配給に奔走した。
 その頃、日本に立ち寄ると、空港のテレビを日本人たちは、アフガン空爆を、まるでサッカーや野球観戦のように見ている。軍事評論家といわれる人たちが登場して、米軍が民間人をさけて『極悪非道のタリバン?』を攻撃しているかのように嘯く。空爆にピンポイントはありえない、実際に無差別攻撃なのだ。タリバンでない人たちがタリバンと一緒に暮らしているのだ。

 現在の日本と違って電気が使えないアフガニスタンでは、取水技術は江戸時代の手法を参考にし、斜め堰や柳技工や蛇篭工法を行った。アフガニスタンの人たちは粘り強く、途中で投げ出さず完成させた。彼らは『自分の村で家族と一緒に生活し1日3回のご飯を食べられる。これが命綱。これで生きていかれる』と言ってくれた。沙漠が緑になり砂嵐も阻止。沙漠に木が生え緑で気温が下がる。温暖化対策は戦よりも食料自給。現地に適した取水技術を確立し、人間の取分を守り搾取しない。アフガニスタンでは、雪解けによる大洪水と干ばつの悪循環を断ち、洪水にも渇水にも耐える取水堰によって、安心して暮らせる村が復活した。
 人間と自然が折り合うべき。自然は搾取の場ではない。武器があれば平和を守れるという迷信を捨て、人と人は和解すべきだ」。

 復活した村の緑豊かな水田風景が映し出されると、会場ではどよめきが起こり拍手喝采が続いた。休憩後、会場から寄せられた子どもから高齢者までの多種の質問に対して中村哲さんは次のように答えた。回答だけを羅列すると、

苦労した点は、用水路の構造の決め方で、理解てくれない日本人の傲慢さと総工費募金を集めること。
メディアはなるべく公平な目で、付和雷同するのを追いかけずに冷静に報道すべき
用水路に魚はいて養殖の計画もある。
医者の心得は人に優しくなること。
ただの自慢話で終わらせたくないので日本政府からも支援してもらう。2010年からJAICAと共同している。政府の中だからと云って極悪非道とは限らない。 国連の中の良心的な方たちとはテロリストの中の良心的な人たちとは協力し合う。ただの自慢話で終わらせたくないので。
かつて平和だったアフガニスタンを復活させ、戦乱がなくご飯を食べれることにお手伝いをする。 政治のことはアフガニスタンの人が考える。うまくいかなくて嫌になりそうになると,必ず助けてくれるアフガニスタン人がいた。その人のためにも裏切ったら詐欺になる。 良心的な募金はプレッシャーであり励ましでもある。
アフガニスタンの人たちは陽気で素朴、踊りが好きで、シタールのような楽器で音楽ほ奏でる。日差しが強いので豆類・野菜・果物の糖度が高く、肉はほとんど食べない。焼きたてのナンは大好き。
用水路で地下水の水位が上がったので、井戸ができ、水運びの労働から女性と子どもが解放された。
資金備蓄で20年間はまわせる。その間に、技術者養成訓練所で現地の人を育てたい。飽きっぽい日本人と違って、我慢強いアフガニスタンの人のことを理解してもらうために、日本とアフガニスタンとの民間レベルでの交流を活発にしてほしい。
現地で武装勢力にわれない方法は、武器装備をしないこと。武装装備した外国の兵隊は戦さ(人殺し)をしに来たと判断される。政治的な敵をつくらないこと。タリバンも警官も軍隊も村に帰ると互いに仲良し。緑の大地を作り、安全を確保することでつながっているので地元では喧嘩をしない。そうすれば襲われることはない。
米兵だろうがテロリストだろうが。良い人と悪い人いる。良心的な人とは協力し合っていく。

 中村哲さんは、その著書『医者。用水路を拓く』の中で次のように記している。
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 上空を軍用機がけたたましく飛び交い、私たちは地上で汗を流す。彼らは殺すために飛び、人々は生きるために働く。彼らは脅え、人々は楽天的だ。彼らは大げさに武装し、人々は埃まみれのオンボロ姿だ。彼らは何かを守るが、人々には失うものがない。
 「民主国家?テロ戦争? それがどうしたって言うんだい。外人とお偉方の言うことは、どうもわからねぇ。俺たちは国際正義とやらに騙され、殺されてきたのさ。ルース(ロシア=ソ連)もアングレース(英米人)も、まっぴらだ。世の中、とっくの昔に狂っている。だから預言者も出てきたのさ。それでも、こうして生かせてもらっている。奴らのお陰じゃない。神の御慈悲だよ。まっとうに生きていりゃ、怖いことがあるものか」。これが、人々と共存できる私の信条でもある。
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報告=ジョニーH