2017年8月6日日曜日

圧力一本やり 売られてもいないケンカを買って出る 安倍首相の愚行

 安倍首相は、北朝鮮が核実験やICBMの実験をするたびに口を極めた非難と威嚇を繰り返しています。日本の軍備をさらに拡張し、アメリカの超高額で効果は全く不明の迎撃ミサイルの購入を促進するための好機だとでも考えているのでしょうか。

 日本こそが米・朝の和平の仲介役が相応しいのに、安倍首相が登場してからはその役割から対極の態度を貫いています。拉致被害者の家族たちの心中は察して余りありますが、本人には何の拘りもないのでしょう。軽佻浮薄を絵にかいたような人物です。

 アメリカの好戦派は事態が至れば北朝鮮を攻撃することに躊躇はしない、ソウルは火の海なるだろうが米本土は無傷だ、とさえ言明しています。トランプ大統領は決して好戦派ではないのに、安倍首相がなぜ米国の好戦派と歩調を合わせるような攻撃的な言辞を繰り返すのか理解できません。
 火の海になるのは勿論ソウルだけではありません。日本がそうならないという保証は何もありません。

 もしも安倍首相が本当に北朝鮮のミサイルに脅威を感じているのであれば何故原発を止めないのでしょうか。原発を止めて核燃料を安全なところにどうして退避させないのでしょうか。その対応がないままに北朝鮮の脅威を煽るのは「みせかけ」の演技に過ぎません。

 それはともかくとして、高橋乗宣氏が日刊ゲンダイの連載記事に「何故売られてもいないケンカを買うのか(要旨)」とする記事を載せました。
 以下に紹介します。
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   日本経済一歩先の真相
圧力一本やり 売られてもいないケンカを買って出る愚行
高橋乗宣 日刊ゲンダイ  2017年8月4日
「さらに圧力を強化していくほかない」「強固な日米同盟の下、防衛態勢向上の具体的行動を進める」――。安倍首相は毎度おなじみのセリフを繰り返していた。
 核開発にミサイル発射実験と、北朝鮮が凄まじい勢いで軍事開発に猛進している。先月28日深夜にも、いよいよ米国の首都・ワシントンを射程に収めた可能性のある大陸間弾道ミサイル「火星14」を打ち上げたばかりだ。

 金正恩委員長の暴走に対し、安倍政権の対応といえば、首相がトランプ米大統領との“ホットライン”を通じて何やら会話。その後、日米同盟の強化と北朝鮮への圧力を強めるというワンパターンである。
 北朝鮮が軍事的挑発を仕掛けるたび、圧力を強め、また挑発を仕掛けたら、さらに圧力を強める繰り返し。これでは堂々巡り。どちらかが降りるまで延々と挑発合戦を続ける、危ういチキンレースとなるだけだ。

 金正恩委員長の強硬路線は筋金入り。ちょっとやそっとの圧力でへこたれるようなやわな人物とは思えないし、北朝鮮のターゲットはあくまで米国であって日本ではない。在日米軍基地が攻撃対象となる恐れはあるが、今のところは日本国をどうこうしたいワケではないのだ。朝鮮戦争の休戦から64年。米国に対する積年の怨念を晴らし、核保有国として同等の関係を築き上げたいだけに違いない。
 それなのに安倍政権ときたらどうだ。先月末には、集団的自衛権容認の安保法制施行で新たに可能となった「米艦防護」の実施を初めて公表。火星14の発射直後には、空自のF2戦闘機が朝鮮半島の空域で、米空軍B1戦略爆撃機と共同訓練を行った。いずれも北朝鮮を牽制するのが狙いで、米国の軍事行動と一体化し、進んで先兵役を買って出ている印象だ。
 売られてもいないケンカを買いにいくほど愚かなことはない。安倍政権は米軍との一体化で国民を危険にさらす前に、米朝両国を対話路線に導くための橋渡し役になるように努めるべきだ。

 東アジアの地政学的観点や米国との対話力を考慮すれば、本来、日本こそ対話路線に引き込む役割を果たせる立場にあると思う。幸いにも韓国の文在寅大統領は、北朝鮮との対話路線を標榜している。米国の同盟国である日韓両国が一緒に連携し、金正恩委員長を対話の場に引っ張り出すことはできないものか。実現すれば、安倍首相は大いなる歴史的外交成果をあげることができる。日米が一体となって軍事行動を続けても、平和には貢献できない。
 それなのに、安倍首相の飽くなき軍事路線への拡大は戦前の軍国主義に加担した岸信介の孫という立場がそうさせるのだろうか。この調子だと、支持率回復を狙った内閣改造も、やるだけムダだ。圧力一本やりの外交路線を改めない限り、安倍政権に未来はない。

  高橋乗宣  エコノミスト
1940年広島生まれ。崇徳学園高から東京教育大(現・筑波大)に進学。1970年、同大大学院博士課程を修了。大学講師を経て、73年に三菱総合研究所に入社。主席研究員、参与、研究理事など景気予測チームの主査を長く務める。バブル崩壊後の長期デフレを的確に言い当てるなど、景気予測の実績は多数。三菱総研顧問となった2000年より明海大学大学院教授。01年から崇徳学園理事長。05年から10年まで相愛大学学長を務めた。