2017年8月10日木曜日

長崎市長、平和宣言で政府批判 「姿勢理解できない」

 長崎に原爆が投下されて72目の9日、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれました。
 式典には被爆者や遺族などおよそ5400人のほか核保有国6カ国を含む58カ国の駐日大使らが参列しました
 この1年間に新たに死亡が確認された3551人の名前が記された原爆死没者名簿が奉安され、長崎原爆による死没者は17万5743になりました。

 田上富久・長崎市長は平和宣言で、今年7月の核兵器禁止条約の採択を「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」、「この条約を『ヒロシマ・ナガサキ条約』と呼びたい」と高く評価する一方、日本政府の「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と批判し「条約への一日も早い参加」と憲法の平和の理念と非核三原則の「厳守と世界への発信」も政府に求めました。そして「これはゴールではない」として、「ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが問われている」と訴えました。

 安倍首相はここでもあいさつで「我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく」と述べたのみでした。

 NHKのニュースと長崎平和宣言を紹介します。
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長崎 原爆の日 田上市長が核兵器禁止条約の意義強調
NHK NEWS WEB 2017年8月9日
長崎に原爆が投下されてから9日で72年となりました。平和祈念式典で長崎市の田上市長は、ことし国連で採択された核兵器禁止条約の意義を強調し「核兵器が必要だと言い続ける限り脅威はなくならない」として、条約に反対する国々に核兵器によって国を守ろうとする政策を見直すよう求めました。

9日、長崎市の平和公園で行われた式典には被爆者や遺族などおよそ5400人のほか、58の国と地域の代表らが参列しました。はじめに、この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、合わせて3551人の名前が書き加えられた17万5743人の原爆死没者名簿が納められました。
そして、原爆が投下された午前11時2分にあわせて鐘が鳴らされ、全員で黙とうをささげました。

長崎市の田上富久市長は平和宣言で、ことし国連で採択された核兵器禁止条約について「被爆者が長年、積み重ねてきた努力がようやく形になった」と述べ、その意義を強調しました。
そして「核兵器をめぐる国際情勢は緊張感を増し、遠くない未来に核兵器が使われるのではないかという強い不安が広がっている」としたうえで、核保有国のほか日本など「核の傘」の下にある国々に対し「安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください」と訴えました。

これに対し、安倍総理大臣は核兵器禁止条約については触れず「『核兵器のない世界』を実現するためには核兵器国と非核兵器国双方に働きかけを行うことを通じて国際社会を主導していく決意だ」と述べました。
また、被爆者を代表して「平和への誓い」を読み上げた深堀好敏さん(88)は、「核は人間と共存できない。平和憲法を国是として復興した日本がアジアを含む世界から集めた尊敬と信頼を失ってはならない。唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはならない」と述べました。

核兵器禁止条約が採択されて初めてとなる長崎原爆の日は、犠牲者を追悼するとともに被爆者が訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という核兵器廃絶への願いを改めて世界へ発信する1日となります。


2017年 長崎平和宣言)
「ノーモア ヒバクシャ」

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています

核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます

私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。
あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。
皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。
そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。
福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2017年(平成29年)8月9日
長崎市長 田上富久