天木直人氏がブログで、アメリカはベトナムで2度にわたって核兵器を使用しようとしたことを明らかにしました。当時のベトナム人民軍総司令官の証言や、機密を解除された米公文書によるものです。
アメリカは第二次大戦後何度もソ連=ロシアを数百発の核兵器で殲滅しようと計画したという、櫻井ジャーナルの記事を先に紹介しました。
今度の例はそんな大規模のものではありませんが、不利になった戦況を打開するためには(戦術)核兵器を使用することも厭わないという米軍の特性を示しています。
冒頭で出てくる「ディエンビエンフー」は、当時フランスの治下にあったベトナム人民が独立を目指して戦った最後の激戦地で、戦闘は1954年3月から5月にかけて行われ、ベトナム人民軍とフランス軍合わせて約1万人の戦死者を出しました。
この戦いに敗れたフランスはベトナムからの撤退を余儀なくされました。
この戦いに敗れたフランスはベトナムからの撤退を余儀なくされました。
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ベトナム戦争で核兵器を使用しようとしていた米軍の衝撃
天木直人のブログ 2018年10月8日
私は読者から得た情報で知った。
そして、それを、9月のブログで他の読者と共有した。
2004年7月17日に放映されたNHKBS「世界を変えた56日間の闘いーボー・グエン・ザップ93歳の証言」という番組で、次のような驚くべき史実が明らかにされていたと。
すなわち、ディエンビエンフーの戦いの終結交渉が行われようとしていた1954年4月24日のジュネーブ会議の2日前に、ジョン・フォスター・ダレス米国務長官がフランスを訪問し、外相ジョルジュ・ビドーに原爆2発の譲渡を申し入れた。ビドー外相がこれを断ったためベトナムに核兵器は配備されなかったが、 広島・長崎への原爆投下から10年も経たないベトナムの独立戦争の時に米国は再び核兵器を使おうとしていたのだと。
今度は1968年のベトナム戦争の時である。
ワシントン発共同が配信し、きょう10月8日の東京新聞が報道した。
ベトナム戦争中の1968年、米軍の現地駐留司令官だったウェストモーランド氏が南ベトナムに戦術核兵器を配備する秘密作戦を実施しようとして、ジョンソン大統領に阻止されていたことが分かったと。
米紙ニューヨーク・タイムズ紙が6日、機密解除された公文書をもとに報じたと。
衝撃的なニュースだ。
米国は核兵器をベトナム戦争でも使おうとしていたのだ。
そのニューヨーク・タイムズ紙の記事にはおまけがついている。
ウェストモーランド司令官は米軍統治下の沖縄で部下らに核兵器をどう運び、どう使うか検討させていたというのだ。
沖縄の米軍基地に核兵器が貯蔵されていた動かぬ証拠である。
日本にある米軍基地から米国がベトナム戦争に軍隊や兵器を運んでいた動かぬ証拠だ。
米国という国は許しがたい国である。
核兵器をつくっただけでなく、平気で人類に使おうとしていたのだ。
そんな米国と軍事同盟を結び、米国の核の傘にすがっているのが日本だ。
いまこそ日米同盟から自立して憲法9条を国是とする日本に立ち戻る時である(了)