日本は独立国でありながら、沖縄をはじめ国内に多数の米軍基地が置かれ、ベトナム侵略戦争、アフガニスタン報復戦争、イラク侵略戦争などで米国の無法な戦争の根拠地とされてきました。
日本に駐留する米軍は、海兵隊、空母打撃群など、日本の防衛とは無関係の、他国侵略のための部隊が主力です。
そして米本国では認められないオスプレイ等の市街地での低空飛行や戦闘機の夜間の離着陸訓練などが、誰憚らずに行われています。
米兵や軍属は、税関のチェックを受けることなく米軍横田基地から直接入出国することが出来、彼らは犯罪をおかしてもその多くが裁かれないまま放置されたり、犯罪者が即座に帰国して処罰を逃れるなどしています。
また、年間約6500億円の米軍駐留経費を日本が負担しているほか、F35戦闘機やオスプレイ、あるいはイージスアショアなどの不要乃至は役に立たない兵器を法外な値段で山ほど買わされています。
こうした米軍の驚くべき特権と無法は、全て日米安保条約と日米地位協定に基づくもので、日本がいまだに完全な独立国となれていないと言われる所以です。
インターネット政党「新党憲法9条」を立ち上げ、そのリーダーとなっている天木直人氏は、10月に入って「日米安保条約」こそが諸悪の根源で、破棄しなくてはならないとする5つのブログを発表しました。ここにきて頻繁に語られるようになったのは、日米安保条約の弊害がそれだけ頻繁に表面化し出したということです。
因みに10月1日のブログ「沖縄知事選後の政治を占う(問題の本質は日米同盟の是非だ)」では、次のように語っています。
「(前 略) それに対し、野党共闘はどうか。打倒安倍の立場から、辺野古反対の気勢を上げるだろう。
しかし、本気で辺野古移設に反対するなら日米安保反対にまで至らなければウソだ。
しかし日米安保に反対するのは共産党と社民党だけだ。
そして社民党は村山政権時に日米安保を容認したトラウマを抱えたままだ。
共産党を除くすべての政党が日米安保容認の中で、どうして辺野古阻止ができるだろう。
かくて辺野古阻止の不毛な政局が役者を変えて再び始まる。
おりからきょう10月1日に横田基地にオスプレイが正式配備される。横田の普天間化だ。日本本土の沖縄化だ。必ず都心で事故が起きる。しかし起きてからでは遅いのだ。
繰り返していう。いまこそ日米安保体制を見直す時である。(後 略)」
今回は10月30日のブログを紹介しますが、それ以外の4つのブログは下記の通りです。
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一冊の本にでもしなければ国民は気づかない米軍の日本支配
天木直人のブログ 2018-10-30
日本は骨の髄まで米軍に支配されている。この、あまりにも不愉快、不都合、不正義な報道を見ない日はない。
たとえばきょうの東京新聞「ニュースの追跡だ」
米軍と日本の各省の官僚たちで構成される日米合同委員会という密室会議が、自衛隊の宮崎県新田原基地などを米軍施設として整備する事を決めたという。
普天間返還に伴う機能移転であるが、普天間以上の機能を与えるという。いわゆる焼け太りだ。焼け太りはそっくりそのまま辺野古に出来る米軍新基地だ。
たとえばきのうの東京新聞だ。
安倍政権が米国の言い値で次々と買わされている高額兵器のツケが、たまりたまって単年度では払いきれず、後年度に分割して負担(リボ払い)させられている。その残高が5兆円を超えたという。
たとえばきのうの日刊ゲンダイだ。
陸上配備型迎撃ミサイルシステム(イージスアショア)の配備先である山口と秋田が受け入れに反対しているから、防衛省は水質汚染や電磁波の人体への影響がないか調査をするという。しかし、調査したところで変更は出来ない。
イージスアショアは日本を守るためではなく、北朝鮮から発射される米国向けのミサイルの迎撃が目的で米軍が決めた場所だからだ。そこに設置するしかないのだ。
このほかにも、不都合、不愉快、不正義な日本の主権放棄の例は数えきれない。
たとえば米軍の横田基地上空は米軍の管制下にあるから民間機が自由に飛べないのだ。ついに米国は観光誘致の増便まで駄目と言って来た。
たとえば米軍の横田基地にオスプレイが10月1日から正式配備された。
しかし、これは沖縄に配備されているオスプレイと違って敵地攻撃用だ。事故率が高い。
しかも日本の防衛ではなく中国を攻撃するためだ。
そして中国への攻撃は起こらないから訓練ばかりしている。
つまり都心の上空がオスプレイの低空訓練場になっているのだ。
これらひとつひとつがバラバラに報道されるから国民は気づかない。
しかし、それを、まとめて一冊の本にして、「ここまで日本は米軍に支配されている。それでいいのか」とタイトルをつけて売り出せば、さすがの国民も気づくだろう。
このままでは、戦争が起きなくても日本国民は米軍に生活を奪われると。
憲法9条など、もはやあってもなくても、変えても変えなくても、どうでもいいのだ。
日米安保条約をなくさない限り、米軍の支配はこれからも進む一方なのだ。
それを国会で警鐘を鳴らし、安保反対と叫ぶ政党が出て来ないのが不思議である(了)