2015年9月20日日曜日

「違憲」の安保法制は これで終わらない 

 19日午前2時すぎの国会正門前、参院本会議で投票が始まると集まった人びとの「法案反対」の声は収まり全員が議場内の様子をスマートフォンなどで静かに見守り、やがて「成立した」誰かがつぶやくと、直後に「採決撤回」「選挙に行こう」と、怒りの大合唱が起きたということです
 
  記者から心境を聞かれたシールズの奥田愛基さんは、「悲壮感などはない」と答えました。
 国民の声を聞く耳を持たない政府であればこうなることは分かっていました。
 彼は15日の公聴会に呼ばれたときも国会で次のように語っています。
 「そうなれば全国各地でこれまで以上に声が上がります。また路上で声を上げます。できる範囲で、できることを、日常の中で」、「次の選挙にもちろん影響します」
 
 19日未明の決着で落胆した人はあまりいなかったのではないでしょうか。むしろ決着したと思っていない人たちが殆どの筈です。
 
 今後の課題について、清水雅彦・元慶大教授は以下の様にまとめています。
・戦争法反対の声を維持し、発動させない。
・違憲訴訟を起こす(自衛隊員が原告になるのが一番いいのですが)。
・戦争法案に賛成した議員を次の参議院・衆議院選挙で落とす。
・戦争法案に反対した議員が多数派を握り、政権交代する。
・政権交代後に戦争法を廃止する。
 
 これらは皆さんが心の中で暗黙の内に合意している基本方針だと思います。
 とりわけ「戦争法案に賛成した議員を次の参議院・衆議院選挙で落とす」ことには、誰一人として異論を差しはさまないことでしょう。
 安倍自民党はついに虎の尾を踏みました。
 
 東京新聞の社説:違憲” 安保法制 さあ、選挙に行こう」 と
 日刊ゲンダイの記事:「安倍首相の“憲法破壊”を許した自民党と大メディアの運命」 
 の二つを紹介します。
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社説 「違憲」安保法制 さあ、選挙に行こう  
東京新聞 2015年9月19日
 新しい安全保障法制により、日本はこれまでの平和国家とは違う道に踏み出す。この流れを止めるには投票で民意を示すしかない。さあ、選挙に行こう。
 自衛隊が他国同士の戦争に参戦する集団的自衛権を行使できるようになり、これまでの「専守防衛」政策とは異なる道を歩みだす。これが新しい安保法制の本質だ。
 
 戦争放棄の日本国憲法に違反すると、憲法学者らが相次いで指摘し、国会周辺や全国各地で多くの国民が反対を訴えたが、与党議員が耳を傾けることはなかった。戦後七十年の節目の年に印(しる)された、憲政史上に残る汚点である。
 
◆公約集の後ろの方に
 安倍晋三首相が新しい安保法制推進の正当性を裏付けるものとして持ち出したのが選挙結果だ。
 首相は国会で「さきの総選挙では、昨年七月一日の閣議決定に基づき、平和安全法制の速やかな整備を明確に公約として掲げた。総選挙での主要な論点の一つであり、国民の皆さまから強い支持をいただいた」と答弁している。
 確かに、昨年十二月の衆院選で有権者は自民、公明両党に三分の二以上の議席を与え、自民党総裁たる安倍首相に政権を引き続き託したことは事実、ではある。
 とはいえ「アベノミクス解散」と名付け、経済政策を最大の争点として国民に信を問うたのも、ほかならぬ安倍首相自身である。
 首相が言うように、安保政策も主要争点ではあったが、自民党が衆院選公約として発表した「重点政策集2014」で安保政策は二十六ページ中二十四ページ、全二百九十六項目中二百七十一番目という扱いで、経済政策とは雲泥の差だ。
 「集団的自衛権の行使」という文言すらない。これでは憲法違反と指摘される新しい安保法制を、国民が積極的に信任したとはいいがたいのではないか。
 
◆「奴隷」にはならない
 もっとも、人民が自由なのは議員を選挙する間だけで、議員が選ばれるやいなや人民は奴隷となる、と議会制民主主義の欠陥を指摘したのは十八世紀のフランスの哲学者ルソーである。
 政党や候補者は選挙期間中、支持を集めるために甘言を弄(ろう)するが、選挙が終わった途端、民意を無視して暴走を始めるのは、議会制民主主義の宿痾(しゅくあ)なのだろうか。
 しかし、二十一世紀を生きる私たちは、奴隷となることを拒否する。政権が、やむにやまれず発せられる街頭の叫びを受け止めようとしないのなら、選挙で民意を突き付けるしかあるまい
 選挙は有権者にとって政治家や政策を選択する最大の機会だ。誤った選択をしないよう正しい情報を集め、熟慮の上で投票先を決めることは当然だ。同時に、低投票率を克服することが重要である。
 安倍政権が進める新しい安保法制について、報道各社の世論調査によると半数以上が依然「反対」「違憲」と答えている。
 そう考える人たちが実際に選挙に行き、民意が正しく反映されていれば、政権側が集団的自衛権の行使に道を開き、違憲と指摘される安保法制を強引に進めることはなかっただろう。
 
 昨年の衆院選で全有権者数に占める自民党の得票数、いわゆる絶対得票率は小選挙区で24・4%、比例代表では16・9%にしかすぎない。これが選挙だと言われればそれまでだが、全有権者の二割程度しか支持していないにもかかわらず、半数以上の議席を得て、強権をふるわれてはかなわない。無関心や棄権をなくして民意を実際の投票に反映することが、政治を正しい方向に導く。
 幸い、国会周辺で、全国各地で安倍政権の政策に異議を唱えた多くの人たちがいる。その新しい動きが来年夏の参院選、次の衆院選へとつながることを期待したい。
 まずは自分が声を上げ、共感の輪を広げる。そして多くの人に投票所に足を運んでもらえるようになれば、政治が誤った方向に進むことを防げるのではないか。
 来年の参院選から、選挙権年齢が二十歳以上から十八歳以上に引き下げられる。若い世代には、自らの思いをぜひ一票に託してほしい。それが自分たちの未来を方向づけることになるからだ。
 
◆民意の受け皿つくれ
 野党にも注文がある。安保法制反対の共闘で培った信頼関係を発展させて、来年の参院選では安倍自民党政治とは異なる現実的な選択肢を示してほしいのだ。
 基本理念・政策が一致すれば新党を結成して有権者に問えばよい。そこに至らなくても、比例代表での統一名簿方式や選挙区での共同推薦方式など方法はある。
 野党が党利党略を優先させて、選挙にバラバラで臨むことになれば、民意は受け皿を失い、拡散する。そうなれば自民、公明の与党が漁夫の利を得るだけである。
 
 
安倍首相の「憲法破壊」を許した自民党と大メディアの運命
日刊ゲンダイ 2015年9月19日
来夏の参院選で“消滅的大惨敗”の可能性
 安倍首相を総裁選で無投票再選させたばかりか、この国の憲法と民主主義をぶち壊した自民党の暴挙は歴史に残るものだ。国民は決してこの怒りを忘れないだろう。来夏の参院選で自民の惨敗は必至である。18日の国会前集会で壇上に立った神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏は、こう語っていた。
 「選挙権が18歳以上に引き下げられたことで、社会は激変するでしょう。若者たちは権利をしっかりと行使するべきだ。安保法案に賛成した議員を一人残らず落選させよう」
 その言葉に呼応するように、SEALDsが「賛成議員を全員落とそう!」とシュプレヒコールを上げると、参加者らは拳を掲げ声を張り上げた。本当の“勝負”はこれからだ、手ぐすねである。
 
 07年参院選では、自民が1人区で6勝23敗と大敗しているが、これを上回る大敗北もありそうだ。元毎日新聞記者で政治評論家の板垣英憲氏はこう言う。
 「自民で20議席以上減らす可能性は高いでしょう。法案は説明するたびにボロが続出し、ただでさえ国民の反発があった中での強行採決です。国民は唖然としていますよ。だが、これは自民党の終わりの始まりです。安保法案だけではなく、今後、沖縄・普天間基地を巡る政府と沖縄の衝突も激化するし、いろいろな場面で安倍政権の問題が指摘されるでしょう。もはや票を減らすことはあっても、増えることはない。夏の参院選は若い世代も参加するから、自民議員は大惨敗する可能性があります」
 
 野党共闘すれば1人区はドミノ現象で負ける。比例は前回より数議席減らし、「12議席もいくかどうか」(野上忠興氏)とされる。そうなれば20議席減で、与野党の「数の力」は逆転する。悲願の憲法改正もかなわぬ夢に終わり、安倍首相は退陣ということになる。
 
国民から見放されるのは大メディアも同様
 国民を敵に回したのは、安倍政権ベッタリの大マスコミも同じだ。60年安保以来の国会前デモの盛り上がりをてんで報じず、安保法案に反対する国民の声を事実上、黙殺した。それどころか、政府寄りの世論誘導みたいなことまでして、安保法案の成立に協力した。

 市民団体「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」の共同代表で東大名誉教授の醍醐聰氏がこう言う。
 罪深いのはNHKです。安保法案成立の最大の功労者といっていい。17日の中継では政治部の記者が、“連休を挟むと不測の事態が起こりかねない”と連呼し、反対運動が過熱して何か暴動でも起きるような物言いをしていました。政府の思惑を忖度し代弁しようとしたのはミエミエです。野党や反対デモを『悪』と決めつけた偏向報道でした」
 NHKは、イランと欧米の核合意でホルムズ海峡封鎖が現実味を失うと、政権と歩調を合わせるように南シナ海の中国脅威論を喧伝するような報道をタレ流した。さらに、「法的安定性はどうでもいい」と言った礒崎補佐官の参考人招致の模様も中継しなかった。
 もっとも、政府と癒着関係にあるのはNHKだけじゃない。今月4日、安倍首相は読売テレビの「情報ライブ ミヤネ屋」に出演した。国会会期中の平日に、テレビ出演のために首相が大阪まで出かけるなんてあり得ないが、もちろん、安倍政権協力メディアだからだろう。
 
 大メディアの経営トップや編集幹部は官邸の懐柔策に取り込まれている。上がしょっちゅう安倍首相とメシを食べているから、現場の感覚が麻痺して、報道機関として持つべき最低限の「節度」さえ失っている。強行狂乱国会をやらせている与党国対幹部や特別委の理事たちに愛想笑いの記者も多かった。
 「大メディアがだらしないから、マグマのようにたまった国民の不満の受け皿となっているのがツイッターやフェイスブックです。私も、もっぱらネットで情報発信しています」(醍醐聰氏=前出)
 大メディアと関係なく広がった国民運動は大新聞・TV不要も決定づけたと言える。