ベストセラー「貧困大国アメリカ」シリーズの著者でフリージャーナリストの堤未果さんが、「大衆を好戦ムードへ向かわせたマスコミの大罪」と題する記事をご自分のブログで発表しました。
アメリカ及びドイツをはじめとする欧州のメディア(⇒既にアメリカ国務省などに完全に制圧されている)が戦争への協力姿勢を強めている例を説明するとともに、戦前の日本のメディアも、やはり戦争を礼賛し世論を戦争に向かわせる役割を果たしたと指摘しています。
戦前、新聞は検閲対象となっていたため、満州事変以降 軍の政治に対する発言力が増大すると、政府や軍を批判する記事の掲載は困難になりました。
そうした言論統制の被害者という側面は確かにありましたが、その一方で、新聞は政府の外交政策を「弱腰」「軟弱外交」という形で糾弾し、対外強硬論を煽り、国民世論を開戦に導く役割を果たしました。
戦後、報道機関が出した戦争協力反省の弁では、政府の戦争協力要請に屈した非については述べましたが、戦争への道を鼓舞する記事を書くたびに新聞の売れ行きが上がるという極めて功利的な理由から、結果的に政府や軍部を戦争に向かわせる世論の形成を図ったことには触れませんでした。
その点でメディアの戦争責任の取り方もまた不十分でした。
問題は将来、メディアが戦前の二の舞を演じないかということですが、その惧れはあり過ぎるくらいあるものの、演じないと確信できる材料は何もありません。
日本のメディアの「政府からの独立度」が世界で第61位であると評価されても、何の反省も示していないこと一つとっても明らかなことです。
「一度の敗戦では襟を正せない」という皮肉な、しかしながら正しいと思われる主張がありますが、ことメディアに関しては完全にそうだと言えます。
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大衆を好戦ムードへ向かわせたマスコミの大罪
ジャーナリスト 堤未果 2015年9月3日
二〇一五年八月十五日。
安倍総理が出した戦後70年談話の内容について、大手マスコミ各社は他国や自社の論評を報道するのに忙しい。
だが私たちが、過去の戦争を検証する際、もう一つ忘れてはならない重要な要素がある。
古今東西、時の政府が戦争を始める際、世論を誘導するという重要任務を担ってきたマスコミの戦争責任だ。
ドイツの大手新聞『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(以下FAZ)紙に十七年間勤務した元新聞記者のウド・ウルフコッテ氏は、オリエンタルレビュー誌のインタビューで、同国におけるマスコミの戦争報道を厳しく批判する。
イラン・イラク戦争で‘80年代末にイラン人に使用されたドイツ製毒ガス兵器について彼が現場取材を経て書いた記事は、FAZ社の上層部に阻止された。また、コソボで使用された劣化ウラン弾で帰還兵たちに健康被害が出ているにも関わらず、政府側に立って「劣化ウラン弾は無害」とする記事を掲載した同紙の記者は、その後NATO特派員を経て出世したと言う。
ウルフコッテ氏が、著書「買収されたジャーナリスト」でかつての同業者たちに投げかけるのは、当局に迎合し、自ら腐敗の道を選ぶジャーナリズムそのものの体質だ。大手新聞社に属している事で与えられる信じられないような特権の数々や、政府の望む記事を出し続ける事で約束される出世の道。どの社の記者も、疑問すら持たず、むしろ互いに協力し合っていたのだ、と彼は言う。
「何よりも、居心地がよかったのです」
アメリカで、旧ソ連との核開発競争と原発推進という二つの大波を全力で後押ししたのもまた、新聞社だった。
当時戦争省に雇われ、原爆投下の現地にすら入らず「被爆者の死因は放射能ではない」とする記事を書いたニューヨーク・タイムズ紙のウィリアム・ロレンスは、のちに原爆推進記事を評価され、ピューリッツアー賞を受賞している。
それから半世紀たった2001年、同紙の記者ジュディス・ミラーが書いた、イラクに大量破壊兵器があるとする記事は、アメリカ世論をイラク戦争支持へと一気に向かわせた。2004年に同紙が、その記事が事実ではなかったと謝罪文を掲載したのは、アメリカ・イラク両国から、取り返しのつかない数の犠牲者が出た後だった。
ひるがえって日本はどうか。
満州事変や日中戦争で、日本の新聞は戦争を礼賛、第二次世界大戦中も先頭を切って世論を煽っていた。八月十四日の敗戦前夜、新聞社は国が降伏するという情報を入手していたにもかかわらず、国民に闘い続ける事をうながす社説を載せている。
世界規模でメディアの寡占化が進む今、戦争そのもののみならず、戦争報道の責任の所在がますますあいまいになるリスクに、私たちは警戒の目を向けるべきだろう。
記者クラブという制度を持ち、世界でも類をみない新聞発行部数を誇り、「マスコミ信頼度ランキング」トップクラスの日本。あの戦争から70年を迎えたいま、敗戦と共にマスコミの戦争責任を感じ、たった一人朝日新聞社を辞めた現在100歳の元新聞記者、むのたけじ氏の言葉が身に染みる。
「あの当時、新聞は読者を忘れていた。しかし軍部は読者を知っていた」
週刊現代「ジャーナリストの目」2015年8月掲載記事