2020年9月15日火曜日

15- 朝鮮人虐殺から97年 記憶の継承に妨害も

 関東大震災に伴う朝鮮人の大量虐殺事件から97年が経ちました。都の追悼式は9月1日、横網町公園で行われました。横浜市での追悼会9月5日に行われました。映画監督呉充功氏は、神奈川県で東京都以上の人たちが軍に殺され遺体が隠された疑いがあると指摘しています。 やや日が経ちましたが14日、全国新聞ネット粟倉義勝氏の「朝鮮人虐殺から97年、記憶の継承に妨害も 関東大震災直後、官憲の隠蔽で全貌見えず」とする記事が載りました。

 そこには20代で虐殺を知ったという在日コリアン2世の慎民子さん(70「日本社会で自分は殺される側の人間だとの恐怖に駆られた。生き抜くために前向きに生き、私を殺さない人間を一人でも増やすことが大事だと結論づけた。今も後ろからナイフで刺される恐怖を感じる同胞がおり、ヘイトスピーチや小池発言でより一層の恐怖を感じる人がいる」という切実な声が紹介されています。

 7日付の「レイバーネット日本」の記事を併せて紹介します。

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朝鮮人虐殺から97年、記憶の継承に妨害も 関東大震災直後、官憲の隠蔽で全貌見えず

粟倉義勝  全国新聞ネット  2020/9/14

 1923年に起きた関東大震災直後に軍や警察、自警団が虐殺した朝鮮人らを追悼する式典が、地震発生から97年となった9月1日、東京都墨田区の都立横網町公園にある追悼碑の前で行われた。昨年は式典が日本をおとしめるものだと主張する団体がヘイトスピーチを交えた妨害を行い、今年は都が式典開催に一時条件を付け、批判が出て撤回した。記憶を継承しようとする努力とそれを妨害する動きがせめぎ合う中、虐殺の全貌は当時の官憲による隠蔽(いんぺい)により、発生から100年を前にいまだに見えないと関係者は指摘する。(共同通信=粟倉義勝)

▽読経

 「今年も小池百合子都知事はこの追悼式にメッセージをくださいませんでした。しかし自治体の首長たる知事が謝罪してこそ都民も同じように反省と謝罪、そしてこのような悲劇の事件を二度と起こさないと、決意に目覚めるというものです」

 コロナウイルス感染を警戒し一般参加を制限した今年の式典の読経には、小池知事への注文の言葉が入った。小池氏は2017年から、歴代知事が続けた追悼式への追悼文送付をやめた。殺人の被害者を天災による死者と区別しない姿勢で、虐殺の事実にも「さまざまな見方があり、歴史家がひもとくものだ」と評価を口にすることを避けている

 同じ17年、追悼碑から数十メートル離れた場所で、虐殺の事実に疑念を呈する団体「そよ風」が追悼式と同じ時間帯に地元住民の慰霊を名目に集会を始めた。参加者らは1973年に建てられた追悼碑に刻まれた「6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われた」との文言を問題視する。被害者数を「233人」と記す公文書の存在を根拠に、6千人は捏造(ねつぞう)された数で、追悼式は日本人の名誉を傷つけていると主張する。昨年の集会は大音量のスピーカーを追悼式に向け、参加者が「不逞(ふてい)朝鮮人に身内を殺された日本人たち…」と口にした。 被災地で虐殺の直前に飛び交った「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「暴動を起こした」とのデマを下敷きに、加害と被害の側を逆転させた言葉で、東京都人権部は今年8月、都の条例に基づき審査した結果ヘイトスピーチにあたると公表した。

▽誓約書

 だが、同じ都の公園緑地部はその約2週間後に、そよ風の今年の集会開催を許可している。同部は、ヘイトスピーチをしない、などの注意事項を守るとそよ風が約束したとし「公園管理者の立場では施設管理の安全が確保できると確認できれば許可は出す。(集会を行う)団体が差別的発言をしたかどうかは判断の対象ではない」と説明する。 一方で公園緑地部は許可に先立ち、昨年のそよ風集会で注意事項に反した行動があったとして、そよ風と、朝鮮人追悼式典実行委員会の両方に「公園管理上支障となる行為は行わない」との誓約書の提出を求め、応じなければ公園使用を認めない姿勢を見せた。これに抗議が広がり、追悼式の開催許可を求め3万1千人超の署名や117人の知識人の連名の声明が出された。都は結局、誓約書要求を撤回し、追悼式開催も認めた。 今年の式には米映画監督オリバー・ストーン氏や芥川賞作家、平野啓一郎氏らがメッセージを寄せた。そよ風の集会参加者は追悼式を非難し、ヘイトスピーチに反対する市民との間で終了後に怒号が飛んだが、声は追悼式には届かなかった。

 虐殺の史実を追うノンフィクション作家、加藤直樹氏は「ヘイトクライムの犠牲者の追悼式とヘイト活動家による妨害集会を、どちらもつぶせという方向に行きかねない(都の誓約書)要求は、そよ風の狙いでもあった。それをはね返せたのは大きい。都のヘイト認定が出たことも、多くの人が声を上げた結果だ」と追悼式後に話した。 そよ風には、ヘイトスピーチ認定に関する受け止めなどを尋ねたが、内部で検討した結果だとして「取材は受けない」との返答があった。

▽100年の隠蔽

 そよ風側が論争の争点に据えようとする殺害された人の規模について、内閣府中央防災会議報告書は中国人や日本人も含め約10万5千人の震災死者の「1~数%」と推定するだけだ。犠牲者の身元もほとんど分からない中、記録映画製作を通じ犠牲者7人の遺族13人を捜し当てた映画監督、呉充功(オ・チュンゴン)氏は「官憲による遺体の損壊と隠蔽が行われ、日本も韓国も政府が解明努力をしなかったことで被害の規模は今もつかめない。犠牲者一人一人がどのように殺されたのかを明らかにしなければならないのに」と話す。

 東京都以上の数の人が軍に殺され遺体が隠された疑いがあると呉氏が指摘する神奈川県で調査を続ける市民団体の山本すみ子代表は9月5日朝、横浜市での追悼会で「100年に近づいても明らかにならない徹底した隠蔽」を克服し必ず解明しようと訴えた。 5日午後には虐殺現場の一つ、墨田区の荒川河川敷で、調査に取り組んできた団体「ほうせんか」が続ける39回目の追悼式に例年と同じく300人以上が参加した。20代で虐殺を知ったという在日コリアン2世の慎民子(シン・ミンジャ)さん(70)がマイクを持った。日本社会で自分は殺される側の人間だとの恐怖に駆られた。生き抜くために前向きに生き、私を殺さない人間を一人でも増やすことが大事だと結論づけた。今も後ろからナイフで刺される恐怖を感じる同胞がおり、ヘイトスピーチや小池発言でより一層の恐怖を感じる人がいる」 静まりかえった会場で、慎さんは「でも私は、97年前とは違うと思う」と続けた。「こんなにたくさんの『殺さない、殺させない、繰り返してはいけない』と思う日本人がいる」。そうだ、と短い声が上がった。

 

「在日として暮らすことの恐怖」が語られた~関東大震災97周年朝鮮人犠牲者追悼式

レイバーネット日本 2020-09-07

関東大震災の時、官憲による煽動で多くの朝鮮人はじめ中国人労働者が自警団という市民によって殺された(国としては、検証をしていない)。東京の荒川河川敷では40年間近く毎年9月の第1土曜日に「関東大震災の韓国・朝鮮人虐殺の犠牲者追悼式」を行っている。今年も9月5日に行われた。コロナ禍の中、規模を縮小したという割りには昨年と大して変わらない400人を超える方が参加した。毎年初めての参加者を迎えているが、今年は特に若い方が多かったことが印象に残った。

主催者の挨拶に立った西崎雅夫さんは、今年のコロナの蔓延を、逆説的にとらえ、「世界は一つ」と痛感したという。さらに「自粛警察」などに触れ、1923年の時点から日本社会は何も変わっていないという。命の平等のない日本だからこそ、そのことを訴え続けなければならないと、相変わらずの朝鮮学校や朝鮮幼稚園の無償化はずし、朝鮮大学校生の学生緊急給付金から外すなどを指摘した。それらを踏まえても、いまだに日本政府は何の調査もしていないうえ、今年も小池都知事は9月1日の朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送らず、日本全体が公的には追悼の気持ちがないのではという

その後、これまでの調査などで当時の様子を話してくださった方の記述の一部を読んだ。

大阪から駆けつけた趙博(チョウパク・ぱぎやん)さんがこの日のために作詞作曲した追悼の歌を2曲歌った。「…九月の空は 涙色 悲しみ抱いて 雲流れれば 私は 流れた血を想う…(「九月の空」)より」という歌詞そのままの空の下で、2曲目の念仏からヒントを得たという「窓唇目足胸(そうしんもくにそくきょう)」という曲では、当時の犠牲者やその時の恐怖について歌った。「15円50銭と言ってみろ」のリフレインが不気味だった。

今年は、在日韓国人2世の慎民子(シンミンジャ)さんが、この事件など、在日として暮らすことの恐怖について語った。若いころは、もし何かあったら自分が殺されるか、あるいは殺すかもしれないという恐れと同居していたといい「朝鮮人として前向きに生きようと、本名を名乗ろうと思った」という。この追悼式に主催者側として参加するようになって、「私たちを殺さない、殺させない人たちが何人もいることを知って、ホッとした」と、そこが97年前と違うところだという。慎民子さんは「ほうせんかの家」のスタッフもしていて、そこに寄ってくる人々との交流の中で、たくさんのことを感じているという。私も20年近く毎年参加しているが、近年は参加者も増えてきているように思う。

当時を知る人はどんどん少なくなり、プンムルが始まるといつも一緒に踊った金さんは、昨年は車椅子で参加してくださったが今年は無理だったことと、10代の頃オートバイ事故で車いすになり、3年くらい前から歩行器になってご両親と参加していた青年が、コロナのためか顔を見せなかったことが個人的に残念なことだった。(笠原眞弓)