東京新聞のシリーズ「はがれた仮面・ジャパンライフ事件」の(下)編です。山口氏は1975年にジャパンライフを設立しましたが、その時点で以前に設立した健康食品販売会社「ジェッカーチェーン」で既にマルチ商法が明らかになり「被害者対策委員会」が結成されていました(ジェッカーチェーンは76年に倒産)。山口氏にはジャパンライフ設立当初からそうした負い目があった筈なのですが、反省するどころか、監督官庁から指摘を受けるたびに新な新種のマルチ商法を開発しながら、有力議員たちに取り入る一方で警察OBを有効利用することで生き延びてきました。それを容認してきた議員たちや官僚の非は決して小さくありません。
本シリーズは今回で終了します。
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<ジャパンライフ山口元会長> 実は気の小さい男なのかも…
東京新聞 2020年9月22日
<はがれた仮面・ジャパンライフ事件(下)>
1975年5月13日、衆院の物価問題等に関する特別委員会で、2人の参考人が対峙たいじした。1人はジャパンライフ元会長の山口隆祥(78)。もう1人は、マルチ商法の被害撲滅のために立ち上げた「悪徳商法被害者対策委員会」会長の堺次夫(70)だった。山口は当時、ジャパンライフ創業前に立ち上げたフランチャイズ方式の健康食品販売会社「ジェッカーチェーン」の社長。当初は新進気鋭の青年実業家として注目されたが、次第にマルチ商法の悪質性が指摘されるようになった。
その急先鋒せんぽうだった堺が、ジェッカーチェーンの被害者の思いを代弁すると、山口は「堺さんのところのお世話になる必要もないと思うんです」と言ってのけた。「そんな生意気なことを言うもんじゃない」。日本社会党(当時)の松浦利尚(故人)が大声で叱ると、山口はみるみる真っ青になった。堺はその表情が今も忘れられない。「実は気の小さい男なのかもしれない」。堺はマルチ商法業者「ホリディ・マジック」の被害者になったことがきっかけで、消費者被害救済運動に人生をささげてきた。山口にはあの国会以来、会っていないが、ジャパンライフがずっと気掛かりだった。「被害者はマインドコントロール状態で、被害者だと思っていない。だから被害も顕在化しにくい。昭和の詐欺師をもっと早く捕まえないといけなかった」
ジャパンライフは2003年ごろに磁気治療器の販売預託商法を始め、09年には自転車操業だったとみられる。だが消費者庁の腰は重く、ようやく立ち入り検査ができたのは15年9月。商品の在庫はほとんどなく、立ちゆかなくなっていたことは明らかだった。同庁は4回にわたって行政処分を出したが、ジャパンライフは問題を指摘された事業の運営方法を変えるなどして巧みにかいくぐり、倒産に至るまで2年3カ月かかった。
堺と山口が向き合った国会に呼ばれていた参考人には、消費者行政の権威だった東京大名誉教授の竹内昭夫(故人)もいた。繰り返される消費者事件に対し、こんな言葉を残している。「人間が真に賢明であり、欲のないような人間ばかりであれば消費者保護法なんて必要ない。人間的な弱みを持っていることをお互いに認め合うからこそ、人の弱みにつけ込むことを許さない消費者保護法が必要になるわけです」
消費者庁は来年の通常国会に、販売預託商法を原則禁止とする改正法案を提出する。1980年代の豊田商事事件以降、長年続いてきた被害の連鎖。ジャパンライフ事件をきっかけに、終止符を打てる日が来るのか。消費者行政が正念場を迎えている。(敬称略。この連載は木原育子、井上真典が担当しました)
マルチ商法を取り上げた1975年2月19日付の東京新聞特報面のスクラップを手に語る悪徳商法被害者対策委員会の堺次夫会長